血の繋がりはそれ以上でも以下でもない

「なんて生意気なこと言うんだい! まったく、親の顔が見てみたいね」

「俺も見てみてえよ」

こんな会話を、よく母とする。このやりとり、我々親子にとっては渾身のギャグなのだ。本人たちしかおもしろくない、最高にタチの悪いギャグ。

- - - - - - - - - - - - - - - - - 

血の繋がりってなんだろう、って物心ついた頃から考えてきた。

その理由は、この記事からもなんとなく察してもらえるかもしれない。

上記の記事ではきちんと触れていないけれど、私の現在の両親は、産みの両親ではない。彼らは養親であり、私は養子だ。

産みの父親の妹夫婦と、普通養子縁組を結んでいる。普通養子縁組というのは、いわゆる婿養子を取るときなどに使われる制度で、世間一般でイメージする養子=特別養子縁組とはちょっと違う。

普通養子縁組と特別養子縁組の違いについてはこちら。

戸籍上は産みの親の名前が残るので、戸籍謄本などを取れば養子だと分かる。けれど確認する方法なんてそれくらいだから、わざわざ言わなければ養子だって人に知られる機会はまずない。たぶん。少なくとも私は、これまでそんな機会なかった。

でも名刺がわりにその件を話すので、身の回りで、私の身の上について全く知らないという人はあんまりいない。

少し話が逸れた。そういうわけで私は、物心ついた頃から、血の繋がらない両親に育てられている。(厳密に言うと母は親戚に当たるので、いくらか繋がってはいる。それはさておき)

そして彼らがなんせ良い親だったおかげで、養子としてここまで生きてこられたことを誇りに思うし、心底感謝している。もらってくれてありがとう、と。

- - - - - - - - - - - - - - - - - 

彼らは誇れる親ではあったけれど、しかし尋常な親ではないとも思う。だって、血の繋がりってなんだろう、って物心つくかつかないかの子供が悩んでたんだ。

それってつまり、物心つく頃には両親が、「あんたの本当のお父さんはね……」って話を当たり前にしてたってことだ。

そんな境遇で生まれ育ったおかげか、

「なんでわかったの……?」
「わかるわよ、お母さんがお腹を痛めて産んだ子のことだもの……」

みたいな親子のやりとりが、あんまり響かない。血の繋がりだけでなにかを説明した気になるなよ、って感じてしまう。そんな雑なストーリー、いまどきなかなかないと思うけれど。

同様に、血が繋がってるのになんでこんな違うんだろう、とか、なんで理解してくれないんだろう、みたいな悩みとか葛藤もピンと来ない。違くて当たり前じゃん、って思ってしまう。

- - - - - - - - - - - - - - - - - 

でもおもしろいことに、そんな私だからこそ、血の繋がりって確かにあるよねって実感する機会も多い。

平たく言えば、遺伝だ。容姿とか、声とか、そういう当たり前の話でなく。私の場合、特に顕著なのが「好奇心の対象」だ。

育ててくれたのは確かに現在の両親なのに、私が興味を示すものって、産みの父にとても近いのだ。

最たるものが、高専に進学したこと。高専とは、工業高等専門学校の略で、ようするに工業高校のより専門的なやつだ。

産みの父は海外で工学系の教授をやっていたくらい理系畑の人間で、私が進学した高専の、第2期受験生だった。しかし当時の高専のレベルは半端じゃなく、箸にも棒にもかからず落ちたらしい。

育ての両親は理系の人間ではなかったから、彼らから高専の話を聞いたことはないはずなのだ。あまり一般的な進学先ではないから、何かで調べたのだろうけれど、どこで知ったのかすら、今となっては覚えていない。

しかし経緯はともかく、かつて産みの父が受験した学校を、その事実を知らぬ間に子が志していた、なんてちょっとしたドラマみたいじゃないか。

- - - - - - - - - - - - - - - - - 

でもそれって、たかが、だと思うのだ。されど、でもあるけれど。

何が言いたいかというと、血の繋がりは確かに何かに影響を及ぼすものではあるけれど、だからといってそれだけで家族の絆を語るなんて、はなはだ滑稽だということ。

裏を返せば、血の繋がりがあるからといって、無理に家族ごっこする必要もないんじゃないだろうか。

家族なんだから分かり合えて当たり前?

きっとそうじゃない。家族だからこそ、分かり合うために向き合う時間が必要なんじゃないだろうか。他人なら見て見ぬ振りできるダメな部分も、家族は見えてしまうから。見なかったことにできないから。

親は子供のことをぜんぶ分かるわけないし、子供は親のことをぜんぶ分かるわけない。でも家族だから、信じざるを得ない。特に子供は、他に頼る大人がいなければ親に依存するほかない。そうでなきゃやってられないだけだ。

血の繋がりとか、家族とか、そういう目に見えないものに幻想を抱いていると、自分だけでなく一番身近にいる人たちを追い詰めてしまう。

立派な親になる必要もなければ、優等生の子供になる必要もないはずだ。表面的な尊敬なんてあるだけ邪魔だと、個人的には思う。

- - - - - - - - - - - - - - - - - 

血の繋がりなんて、あってもなくてもいい。共通の趣味をひとつ持っている、というのと大差ない。

共通の趣味があったから仲良くなれた、って友人はいても、共通の趣味を持つ人すべてと友人にならなきゃいけない、とはならないだろう。そして、共通の趣味さえあれば誰とでも仲良くなれる、わけでもないだろう。

血が繋がっているから、って無理に家族ごっこをする必要はない。でも、血が繋がっていることに甘えて、ひとりの人として向き合うことを避けていてはダメだ。

血の繋がりは、それ以上でも以下でもないんだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?