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今も生きているのは、死なない理由が見つかったから。

一度だけ、本気で死を考えたことがある。いや、一度じゃないかもしれない。まあ、多くても二回だと思う。たぶん。

学校を辞めて空っぽになったときと、友人に裏切られて失意のどん底に落ちたときの、二回。

どちらのときも、「死にたい」と思ったわけではない。「どうして死んではいけないのだろう」と考えて突き詰めたときに、さっぱり死んではいけない理由が見当たらず、このままでは死ぬしかないな、と思い詰めた。


死をまっすぐ見つめると、そこまでの道のりは驚くほど単純だ。遮るものなんてほとんどないし、あったとしても簡単にどかすことができる。

だから、本気で向かおうと思えばすぐにたどり着く。

ただ時には、そんな死への道のりを全力で阻む存在がいることがある。

私の場合は、親だった。

「どうして死んではいけないのだろう」は、裏を返せば「こんな辛い思いをしてまでなぜ生きていなければいけないのだろう」でもある。

それを阻んでくれたのは、「死んだら親が悲しむ。親を悲しませたくはない」という思いだった。

その証拠(?)に、その後しばらくは「親を悲しませないよう、自分が死ぬときは先に親を殺そう」と本気で思っていたし、今でもそれに近いことは思っている。

ようは「親より先に死ねないな」と思い、そのおかげで今日も生きているって話だ。

久しぶりにそんなことを思い出した。この話はまた今度きちんと掘り下げたい。


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