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感情を分解して考える

最近、認知療法について勉強し始めた。認知療法というのは、うつ病を代表とする精神疾患の治療に用いられるカウンセリングのことで、ざっくり言うとストレスの緩和・軽減を目的としたものだ。

その中で、個人的にもっとも伝えるのが難しいと感じるもののひとつが「0か1かの思考をやめること」である。白黒思考、と言ったりもする。

自分を強く責める傾向のある人は、なにか1つでもできなかったことがあると、「こんなこともできないなんて自分はダメな人間だ」と考えがちだ。

でも実際は、「0から50まではできて、51から100ができなかった」のかもしれないし、「0から99まではできて、100ができなかった」だけかもしれない。

それを一緒くたにして「こんなこともできない」としてしまうと、とてもストレスがかかる。適度なストレスは脳を活性化して生活にハリを与えてくれるが、過度なストレスは毒になる。なんだってそうだ。適度な運動は健康に繋がるが、やりすぎて体を壊しては元も子もない。

ともかく、何かにチャレンジしたときに大事なのは、それを1として扱わずに、できるだけ分解することだ。細かく分解できると取り組む意識も変わるし、終えたときの捉え方も全く異なってくる。

今まで1と思っていたものを10に分解できれば、今日は0から3までやろう、と自然と区切りを意識できるし、今日は0から2まではできた、と自然と0か1かの評価から抜け出しやすい。

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この考え方は、適切な自己評価をして心のセルフケアをするうえで重要なのはもちろんだけど、他者評価をするうえでもとても重要だ。

成果がでなければぜんぶ無意味、なんて極端な考え方をいまどきする人がどれほどいるか分からないけど、仕事においてはどうしても白黒思考で考えてしまいやすい。考えてしまいやすいというか、評価制度ってやつがどうしても白黒思考を生み出す仕組みになりがちだ。

与えた目標がクリアできなかったからといって、ばっさりと「できていない」と評価するのは危険だ。さっき挙げた通り、「0から99まではできていた」のかもしれない。それを「できていない」と評価してしまうと、「あとは100に辿り着く方法だけ考えればよかった」はずの人が、「0から考え直す」なんて無駄が発生する。

ただ一方で、安易に「その人なりにがんばったからよし」とするのも違う。それもまた「途中経過はすべて評価する」という考え方になってしまっているので、白黒思考から抜け出せていない。

そうではなく、「あなたは0から50まではできていました」「あなたは0から一歩も動けていません」と分解して評価・伝達することで、「次は51から先を考えよう」「どうすれば1に繋がるのか」と、各自が自分にあった最適解を探しにいくことができる。

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分解するのは、段階ばかりじゃない。感情も分解できる。

メンタルヘルスの視点からいろんな話に目を向けると、「やらなきゃいけないことよりもやりたいことをやりましょう」なんて文言が多いことに気が付く。「やらなきゃいけない」を「やりたい」に変える思考法、なんてのも多い。

でも、「やらなきゃいけない」も「やりたい」もすごく抽象的で、しかもめちゃくちゃ白黒思考な考え方だ。「0から100までやらなきゃいけない」で埋め尽くされたものなんてないし、「0から100までやりたいこと」で目白押しのものもない。

なんだって「やらなきゃいけない部分」「やらなくていい部分」「やりたい部分」「やりたくない部分」「どうでもいい部分」...いろんなものが集まってできている。

お腹がすいて倒れそうだからご飯を食べなきゃいけない。でも高いお金は払いたくない。作る手間もかけたくない。できれば30分以内に食べたい。片付けるのもめんどうだ。

そのときに「レトルトかカップラーメンでいいかな」と思えるなら、「手間を省きたい」気持ちが強そうだし、「もうちょっといいご飯が食べたい」と思うなら、「おいしいご飯が食べたい」という気持ちが強いのかもしれない。

「お腹がすいて倒れそうだからご飯を食べなきゃいけない」を適切に分解するなら、その目的は「倒れない(死なない)」ことであり、手段は「栄養を摂取する」ことだ。そして栄養を摂取する方法はその時点では問うていない。

大抵の「やらなきゃいけないこと」がそうだ。なんなら手段も与えられていないことが多い。やらなきゃいけないことは思っているより多くなくて、あとの余白はやりたいように埋めたらいい。


「やりたいように埋める」のが難しい、という人は、無理に埋めなくたっていい。それもまたひとつの選択だ。

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