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「質問力」のポイントは、どれだけ相手の目線に立てるか。
授業の場合に必要なのは”ファシリテーション力”・”心理的安全性”


研修や授業を行う際に、参加者が積極的に参加できているかどうかは大事なポイント。集団でその参加度を高めるためには、参加者一人一人が”ジブンゴト”化できるかを意識することが授業者・講師に求められます。

今後の社会では、誰もが”講師”・”先生”になることが当然になる時代です。
多くの大人の経験が、参考になりますし
子どもたちの視点が、時代を切り開いていくカギになります。

現に、TEDトークなどでも多くの業種の方が話す機会があります。

私も多くの人たちの前でコメントを求められたり、式典で話をしたり、講演をした経験もあり、当然のことながら日常的に授業を実施していました。

少人数の授業から、200人規模の講演や、オンラインだと1000名規模で話をすることもあり、それぞれの場面でどのようなことを意識していたかということが今回のテーマです。


自分は話し上手ではない


「講演される方は、本当に話が上手いですよね」
「非常にポイントがわかりやすかったです」
などと言われることもありますが、私は自分自身の話術が巧みであるとは思ったことはありません。

”話し上手ではない”という意識を持つことが、逆に必要だと意識しています。大事なのは、集合体であろうとなかろうと、

”一人の人間に必ず届かせるように話をする”ことを意識しています。

30~40名の集合授業でも、必ず今日はこの子!というようなペルソナを決めて、ここに届かせることを意識しています。
オンライン会議などでも、相手の顔が目の前に見える場合は、その人のリアクションを見る。

極端に言えば、一人にすら届かない話は、他の全員にも届かないのだから、まずは一人にでも届けられるように意識をするということです。


話すのではなく、質問に答えていく意識


なにか講義・授業をするときに、大事にしたいのは「疑問」です。

例えば、
日本史の授業で「今日は縄文時代の文化の特徴を学びましょう」というテーマを伝えることも大事ですが、そこに興味を沸かせることが出来るでしょうか?

・なぜ縄文土器という”土器”がこの時代に誕生したのでしょうか?
・この時代から”弓矢”などの使用が始まっていきますが、なぜでしょうか?

こうした「疑問」を解決することから「学ぶ興味」「聞く興味」が湧くものですよね。

・1543年に伝来した「鉄砲」がもたらした文化の影響は何でしょうか?

こうして少しずつ難易度をあげていくことだってできるわけです。
「疑問」はこちらから作れます。
この疑問を、一緒に解決していく、もしくは受講者が解決に向けて何かを調べる・学ぶという行動変化が起こせれば、その最初のインパクトは大きかったと言えるでしょう。


”疑問”に大事なのは、”意外性と親和性”


ただし何でもかんでも”疑問”を投げかけるのは、得策ではありません。
そこが”質問力”、問いを立てる力です。

私はなるべく意識しているのは、以下の二点です。
①意外性
いつもは何も考えずに、そうだと”当たり前”に思っていたものに対して、あれ何でだっけ?と思わせる。または普段そこまで深く考えていなかったことで、実は言語化するのが難しいと思わせること。

簡単なアイスブレイクで、よく使っていたのは、
・「右」「左」という言葉は、どう説明しますか?
・マンホールのふたは、なんで丸いのでしょうか?
・(倫理系だと)なぜ人間の爪は伸び続けるのでしょうか?
などなど

②親和性
そのなぜか自身にとって、普段の生活につながるものであること。答えを知った時に「だから、これはそういうことなんだ!」と他の気づきに繋がること。

これもアイスブレイクでは…
・(英語だと)英単語で「train」は名詞では「電車」ですが、動詞では?
・日本刀に関する諺は多くありますが、皆さんはどれだけ知っていますか?
・(政治経済系で)モノの値段ってどういう風に決まると思いますか?
などなど


疑問を導いていくのが、ファシリテーション力・心理的安全性


子どもたちの成長に一番大事なものは、私は
”自ら疑問を見つけ、自ら考え、そして解決に向かっていく力”
だと思います。※これは子どもたちだけではなく、大人もですね。

私は、これを
”問いを立てる力”(問題発見力)
”考動力”(こうどう力)
”そうぞう力”(創造・想像)

としています。

そのために、まず問題を発見することに慣れていない、またはそういうものだと思いこんでいる”常識を疑う”ことを練習してもらうためにも、発問は本当に大事なのだと思います。

そして、もう一つは疑問を持ったことを恥じさせない文化も必要なのです。
質問を出来る力。
一歩立ち止まれる力。
当然を疑う力。

周りから敬遠されることもあるこの行動ですが、これを是非認めてあげる環境を整えてあげることが大事なのです。

それが”ファシリテーション力”であり、”心理的安全性”のある環境であると言えるはずなのです。


今、自身の所属している環境は、こうしたことが出来る環境でしょうか?
私は組織の中で”心理的安全性”を作ることに本当に苦慮しています。

ただし自分が主導権を握ることができる講座や授業・会議の場面では、参加している全員が前向きに参加できるような環境づくりを心掛けていきたいものです。

そして自分の言葉、特に「発問力」をどれだけ高められるかを
更なる課題にしていきたいですね。

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