風花会那

読むこと、書くこと、描くこと、弾くこと、綴ることが好きです。

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最近の記事

出会いに感謝

2023年も、そろそろ終わります。 忙しい一年でしたが、新しい出会いが沢山ありました。 これまでに出会ったことのない世界の人と沢山出会い、感動し、驚き、尊敬し、勉強にもなりました。 人間の体そのものはロボットではありませんから、確実に年齢と共に老いていくはずです。しかし、老いてなお進化もするのですね。 気持ちの持ちよう、気持ちの在り方で、肉体そのものさえ、活力を維持できるのですね。 筋肉や運動機能は、90歳からでも進化すると云われますが、放置して、怠惰に暮らしたとす

    • 気分の人

      今年は、カラス、熊、鹿、ポプラの綿毛、猛暑、そして仕上げは雪虫と、今までにない自然現象、動植物の盛んな行動で驚かされた一年だったように思う。 雪虫に至っては、白いコートなど着ていたら、前も後も腕も衿も、黒ごまにまぶされたような状態になり、どうしてよいか驚きよりも気持ちが悪かった。 家の陽当たりの良い窓ガラスには、夕方から夜にびっしりとその雪虫が貼り付き、ベランダの床を見ると、黒い胡麻で埋まっているようにも見え、ぞぞっと背筋に冷たいものが走り、騒いでもどうなるもので

      • つらつらと

        暑い夏がやっと終わった感じがする。 今年の夏は、何処へ行っても暑くて建物の外に出るには勇気が必要だった。 合言葉は暑いですね。挨拶も暑いですね。 眼の調子がよくなってきたので、いざ読書と考えていたが、予定していた読書はままならず。 サガンを読みたいと考えていたのが、 向田邦子にはまってしまい、向田邦子ばかりを読んでいた。 屋根裏部屋に設えた書庫に、階段を掛けて上る気力がなかった。 向田邦子の作品は姉がはまっていて、 リビングに数冊あったので。失敬して読んでいた。

        • 記憶に残る言葉

          何かの拍子にふいと思い出す言葉があるもので。無意識ですから、多分誰にでもあるはずですが。 地下鉄の中で、隣に座っていた大人、大人という表現はおかしいかもしれませんが、 高校生や中学生ではなく、お勤めのサラリーマンとも違う、若くもなく、50代のように見える2人の男性、清潔そうな白いポロシャツに綿パン、もう1人もグレーのポロシャツにゆったりめのパンツスタイル。 バッグなどは持っていない。 小さな声で話しているのでしょうが、 「、、、、、、どうも理解出来ない、、食べる

        出会いに感謝

          眼の不調

          春から長い闘いだった。 花粉アレルギーで、ここまで眼に不調が出るのかと、自身のことながら驚きばかりだった。 改めて、アレルギーで苦しんでいる人達の気持ちを理解出来たように思う。 会う人毎に、 「眼、どうされました?」 「アレルギーですか?」 「痛々しい、、」 「眼が強く印象的ですからね、つらそう、、」 うーん、うなるしかなく。 視力も落ちたはずで。 読書は諦めて、 眼を使うことは極力ストップした。 去年までは、全く症状がなく、ポプラの綿毛が飛び散って、霧のよ

          ポプラの綿毛

          ポプラの綿毛 街中も郊外も、フワフワと綿毛が舞っている。雪のようでもあって、雪のように純白ではない。雪は水分を含んでいるので、よほどの奇妙な風でも吹かない限り、長い時間空中に雪が舞うことはない。 ポプラの綿毛は、いつまでもいつまでも、フワリフワリと舞っている。 毎年5月から6月は、ポプラの綿毛が舞う情景は札幌の風物詩のようらしい。 雌雄あるポプラですが、綿毛が舞うのは雌。 花が咲き、実がなり、その実が弾けて綿毛が飛び出す。 沢山、沢山、ポプラが根付きますようにと

          ポプラの綿毛

          天の邪鬼

          天の邪鬼 「占いは逆に考えるようにしている!」 ヘソマガリ、偏屈、天の邪鬼な人なので、 だろうなぁ!素直に占いを信じるはずもないし、このような人の口から占いという言葉が出てきたことすら驚きであって。 「あら?!占いって、占ってもらったことあるの?」 「あるわけないだろ!」 隣でそっと笑っている奥様は、 「雑誌の占い、、付き合い始めた頃、 え~と、何年だった?2017年?2018年?」 「知らないよ、、、俺はお前だけじゃないからな、」 ほー、、このように言われて

          根性の出し惜しみ

          OBさんばかりの集まりに参加させて頂いた。参加というより、父に付いていっただけで、「娘も一緒に・・・」この語尾無しの一言で参加させて頂けたわけですが。 現役を辞しているようで、それぞれの会社の陰の御意見番みたいな存在でしょうか。そのような人の集まり。同期の桜?同じ大学の出身仲間?仲良し会? 食事をぼちぼち口に運びながら、なかなか面白いお話を沢山聞かせて頂きまして、有益な時間を過ごさせて頂きました。 美味しい雲丹は絶品。今時期は桜鱒が美味しい季節ですが、美しいお料理

          根性の出し惜しみ

          桜に思う

          今年は桜の開花が1週間から2週間ほど、例年より早かったのです。 そのおかげか、約1ヶ月間、桜をあちこちで楽しませてもらったのですが、枝がしのる(枝がしなるが正しい使い方。『しのる』は北海道の方言)ほどにたわわに花を重ねた八重桜が今年最後の桜になるのでしょう。ピンクが鮮やかで、ついつい目を奪われてしまいます。 桜というと、「おはん」や「生きて行く私」などの作品で知られる作家の宇野千代さんに思いを馳せます。 小説家として、また和服デザイナーとして、事業家として、明治30

          おおげさが苦手

          おおげさが苦手 池波正太郎さんのエッセイ集に、「おおげさがきらい」という作品がありますが、 苦労したからといって殊更に吹聴することなく、地道にわが道を進むべき、わが道で密かな楽しみを見出だし、己1人悦にいっているのが良し的なことを作者は言いたいのでしょうが。 最近はおおげささんが多い。とくに書き物、SNSでは、キャッチコピーよろしく、おおげさな文言または、普段使いようもない死語集でも探さない限り、現代用語としては使用されないような言葉をタイトルとしたり、、おおげささんが多

          おおげさが苦手

          向こう三軒両隣

          引っ越しをした場合などは、向こう三軒両隣くらいは、ご挨拶をしておきましょう。 向こう三軒両隣とは、自宅から見て、お向かいの三軒と自宅の両サイドの二軒。 戸建てでしたら、理解しやすいですが、マンションやアパートの場合はどのように考えるのでしょう。 それでなのか「向こう三軒両隣」という言葉は死語に近くなっているのかもしれません。 向こう三軒両隣くらいは、仲良くしておきたい。せめてご挨拶くらいはしておくべき。 向こう三軒両隣の話ではございません。 桜の話でして。

          向こう三軒両隣

          芽吹き

          春は芽吹き。 壁に這う蔦の芽吹きは力強く。冬の間、雪に痛めつけられたはずが、そんなことなど意に介さず、じわじわと芽吹く。 1人ですることは、自分1人が責任をもてばよい。良くても悪くても。高評価であろうと、一切合切評価されないとしても。 「さっぱりワカラナイ‼️」 「根拠はなんだ?!」 「誰が決定した?最終決定は誰なんだ?!」 不満や怒りばかりで。 チャンスはまだまだ、次のチャンスに賭けましょうよ! などと言ったとして、彼らには響かない。 頑張って、自信満々で、

          ジャーナリング

          心がスッキリしない、心が重そう、何かが頭の中にひっかかっているように見える、 そんな時に薦めてみるのはジャーナリング。 紙にペンで、心に思うところを一気に書いてみる。 1日に1回、正直に書いてみる。 上司への不満でもよい、妻への怒りでもよい、仲間への嫉妬もあるかもしれない、 何でもよい、人に見せるためではない、 自分の気持ちを正直に無心に書いてみる。 紙にボールペンでも万年筆でもシャープペンでもよい、実際に手を動かして書くことが重要であって。 1日5分でもよい。

          ジャーナリング

          今年は大雪でしたが、降るのも一気に、消えるのも、さっと消えてしまった感があります。しかし、まだまだ雪については油断は出来ないとして。「春の華やぎは、まだまだ先のこと・・」の言葉を耳にして、厳つい外見の方から発せられた言葉なので、つい、振り向いてしまいました。春の華やぎとは素敵!

          今年は大雪でしたが、降るのも一気に、消えるのも、さっと消えてしまった感があります。しかし、まだまだ雪については油断は出来ないとして。「春の華やぎは、まだまだ先のこと・・」の言葉を耳にして、厳つい外見の方から発せられた言葉なので、つい、振り向いてしまいました。春の華やぎとは素敵!

          フェティシズム

          フェティシズム 何かに対しての偏愛、もしくは偏愛をする人。略してフェチと言っているらしいのですが。 匂いフェチ、髪フェチ、声フェチ、脚フェチなど、いろいろありそうですが、 私は声フェチのような気がします。 周囲の人が、そのように言われるので、おそらくそうなのでしょう。 なんとかフェチは、特別なことではなく、100人いると80人くらいは、何かに対しての強い好みがあるとか、つまりは、偏愛があるらしいのです。 自身が意識していない場合も含めてですが。 声フェチと言われて、

          フェティシズム