本の記憶 No.23

幸田露伴の娘、幸田文さん。
結婚して、離婚してお嬢さんを連れて実家に戻る。
それからずっとお父さんと暮らす。
厳しい、それはそれは厳しいお父様。

幸田文さんは、小説も書かれていますが、随筆がとっても素晴らしくて。
日本語らしい日本語。美しい日本語。
心に沁みます。心がしんとなります。
難しい言葉ではなく、ごくごく当たり前の普通の暮しをしている人達の言葉で、とっても美しく、これこそが日本語と感じてしまうように、さらさらと肩肘張らずに書かれています。
でも、読み終わると爽やかな余韻が残り、私は背すじをピンとして、口もともピッと引き締め、眼ですら、眠そうにはしていられなくなります。

幸田文さんは、1904年(明治37年)生れ、平成2年に亡くなられました。
6才で母を失い、8才で姉を失う、また弟も亡くなり。父と娘の絆は自然と強くなってしまうのでしょうが、幸田露伴は毅然として、娘を厳しく育てるのですね。 幸田露伴と真逆なのは森鴎外でしょうか、子供達をこれ以上はないであろうと思われるほどに可愛がります、溺愛。

私は文学作品では森鴎外の方が好きですが、父親像としては、幸田露伴の方が納得できる。
大切だと思えばこそ、自分の亡きあとも、しっかり生きて行けるように教え、躾る。
甘やかすのは、とても楽な事ですから。

「月の塵」は、
作者が亡くなってから、机の中にあった雑記のような体をした文章をまとめたものです。
58作の随筆が収められていますが、どれもこれも素晴らしく。
エッセイなどとは言えません。随筆です。

幸田文さんの随筆については、いろいろな場所で書いたり、話したりしていますが、現在の日本の女性が忘れてしまっている、または、親に教えられもしなかった日本人、日本の女性としての、たしなみの数々がさりげなく書かれています。

あくまでも平易な言葉で。
正しく知識のある人は、なるべく易しい言葉を使うものだと、幸田文さんは、そんな文章の基本姿勢を教えてもくれます。

「月の塵」とは、抜群の表題です。
作者の幸田文さんらしい、表題と思います。

お父さんとのふれあい、弟さんとの姿、絵が浮かぶようです。

「残された言葉」

「 そのとき父は八十一歳で、重く病んでおりました。看病している私は、四十四歳になっていました。
あとから考えあわせれば、父はもうその病気のはじまる以前に、すでに時の来ていることを察していた、と思われるふしぶしがあります。八十を過ぎる高齢なら、これは本人のみならず誰が考えても、おなじ思いが浮いてくることだとおもいます。それなのに私は馬鹿みたいに、もう一度もちなおしてくれるものと、ひたすら思いこんでいるようなところがあって夢中になって看病していました。でも、実際は夢中すぎて、ぼんやりした看病だったと、あとではそう思っていますが、、。」

悲しいとも、哀しいとも、大変な看病だったとも書いてはありませんが、
この静かに感情をおさえた文章で、作者の喪失感や、もっと何かをしてあげたかったという後悔のようなものも、十分伝わってきます。

幸田文さんの作品を読むと和服が着たくなります。
また、季節、季節の樹木を見たいと思います。
外見からは想像できない行動力もあるかたで、
一作、一作、丁寧に読むことで、日本語の多様さや、明治の女性、本当に芯のしっかりした女性の素晴しさに尊敬もして。

「月の塵」は、1994年に単行本で、写真のものは、
文庫で1997年発行のものです。

「ありなし川」 の冒頭の一文も、印象が強く、

「それ一つしか知らない、というのはいい気なものだし、押しが強い。」

本当に、本当にと思います。
多くを知っている人は控えめで、そっと後ろで成り行きを眺めているものです。少し笑みをかみ殺しながら。

能ある鷹は爪を隠すとは、ニュアンスが違いますが。今は、一つしか知らない人間が台頭しすぎかもしれません。

嬉しい!! ありがとうございます!
21

風花会那

コメント2件

「本屋さんのダイアナ」という小説で、森茉莉さんや幸田文さんの美しい随筆がすきな女の子が登場するのですがそれを思い出しました。
マシュウさん、こんにちは、

森鴎外の娘さんと幸田文さんは仲良しだったようですね。
森茉莉さんの作品も、非常に面白い、思うように好きなようにを貫いた人のようです。

コメントありがとうございます。
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