6 「紫乃」

雨降り。今日はどしゃ降り。
いつも出発は雨だった。雨女なのだろうか。
もう、いいや、理由とか原因とか、どうでもいい。
別れようと言ったのは自分で、まさか、あっ、じゃあ、そうするか、、などとの応えがすぐとは。
すぐもすぐ、待ってましたとばかりに、そうするか。
簡単すぎて、希薄とか、幻とか、そんな悠長なイメージではなく。
びっくりで、じゃあ、今までは何だったの?!

どしゃ降りの雨の日、日曜日だった。
秀太は、出て行った。おい、離婚届とか、悠太の親権とか、どうする気?
食卓テーブルの上に、印鑑を投げるようにおいて
「これで、適当に出しとけば。」
それで終わった。

夢だけじゃ生活出来ないってことで。
紫乃は短気で、多少は自信過剰のきらいがあるので、さっさと離婚届を出して。
1才の悠太と二人になり。
バイオリズムとかあるのかと後になって考えたりした。なぜ、あの日、やけに腹が立ってイライラして、悪いのは全部秀太という話になってしまったのかと。時折思い出しても、後ろを振り向いたりはしない。
悠太は父親に顔が似ていて、たまらなくなることがある。憎んで別れたわけではないから、悠太を見ると、つい、秀太を思い出してしまうだけで。

暮しが大変だった、秀太はイベント会社か何かに勤めていて、ある程度自由がきく職場だったので、
引越し屋さんのバイトをしたり、居酒屋さんでバイトをしたりして、働く男だった。一般的な男より、働く男。ところが、働いた分は、きれいに使う人で。ギターを自分で作りたい、いずれは札幌に戻ってギターを作る工房を持つ。持ちたいではなく、持つだった。
その夢を夢で終わらせないためには、お金がかかるらしくて。いちいち、紫乃は聞きたくもなくて、無視していた。それも悪かったのかもしれない。

28才の紫乃は、新千歳空港に悠太を抱っこ紐で胸に抱いて降り立った。雨降りで。かなり強い雨降り。
少しひんやりした空気に、3年振りになるのかと。
旭川に住む母親に帰るからとだけ、電話をして。
馬鹿みたいな3年間だったと思う。

大学時代から付き合っていた秀太が、東京に行くと言って、紫乃は付いていって。一緒に下町の小さな古ぼけたアパートで暮し。
当然のごとく、吐き気がして、体がだるくて、
不安な気持ちで産婦人科を受診すると、やはり妊娠だった。いずれはそうなると予想していた。秀太は体が丈夫な分、夜の方も激しく。いくら避妊をしていても、いつか出来るとは想像していた。
秀太は、特別喜びもしなかったけれど、
「籍入れたほうがいいな。
生まれてくる子供のためにも。 」

紫乃の母親である蘭子は、男を追って東京に行くと言った段階で、紫乃については子離れしなければと、突き放して考えるようにした。
馬鹿な子じゃないから、なんとか生きて行くでしょうと、自分の気持ちを紫乃から離した。
一人娘。蘭子にとっては、大切な大切な娘。
苦しい事だったけれど。

あっけらかんとした性格で、札幌に部屋を借り一人暮らしを始めてすぐ、彼氏が出来たと報告してくるような娘だった。
学部は違っても、ともに北大生。蘭子は安心していた。
一応、北海道の中でトップレベル。
紫乃も旭川の高校時代は常にトップスリーに入っていたから。
蘭子としては、安心していた。
法学部なので、司法試験を受けて、すべてはそれから、、蘭子は勝手に娘の人生の絵を描いていて。

蘭子は旭川市内で小さな薬屋を営んでいる。
漢方薬専門の店で、代々続く店で兄は医者になり、
蘭子が仕方なく継いだかたちで。
兄は医学部で蘭子は薬学部。薬学部にしなければ薬屋を継ぐこともなく、違う人生だったかとも思ったりもするけれど。
夫、戸籍上だけの夫は、札幌で法律事務所を。弁護士。なんでも引き受ける弁護士ではなく、刑事事件専門で。
札幌市内にマンションを買って。
蘭子は一度も行ったことはない。他の女がいることは知っていたから。
紫乃は大学を卒業すると、司法試験に合格するまではと父親の事務所を手伝っていて。
合格したと思ったら、ふいに東京に消えて。
蘭子は、紫乃は父親の血が濃いと諦めて。

妊娠するまでは、紫乃は父親から紹介してもらった都内の法律事務所に勤めていたので、さして困らなかった。自分の収入で家賃を払ったり、生活全般の費用は出していて、あまり秀太の収入について考えもしなかった。
どちらかというと下町の古ぼけたアパート暮しを楽しんでもいた。いずれは札幌に戻るつもりで。
秀太に抱かれていて紫乃は幸せだった。単純に。

妊娠して、紫乃は体調がひどくすぐれずに、
事務所を休むことも増えて、紫乃はいいかげんはイヤなので、事務所は辞めた。弁護士の資格はあるのだから、子供を産んでから考えようと、簡単に考えていて。
ただ、それから秀太は、夜も戻らないことも多くなり、紫乃の収入もなくなると、生活に困るようになり。
旭川の母親に、何度も何度もお金を借りた。2年近くの間に、どれだけ借りたかしれない。
借りたのだから、いつか母親には返さなければとは紫乃は頭にあったけれど。

仕事で東京に父親が来ると、食事をしたりデパートで悠太に玩具を買ってくれたり、何万か小遣いをくれたり。
紫乃はなぜか父親には一線を引いていて、お金を貸してとは言えなかった。
自分の両親は戸籍上だけ、形だけの夫婦なのだろうとは、小学生の頃からおぼろげながらも感じていたから。母親には本心で話し、甘えることも出来たけれど、父親には出来なかった。
その反動なのだろうか、秀太に、大きな体で一見は包容力のありそうな秀太に父親像をも求めていたのだろうか。
夢中になったのは自分の方だと。
秀太に溺れてしまったのだと。

部屋の中には、高価なものなどないので、ゴミとして出せるものはテキパキと処理し、近所の人に声を掛けると、冷蔵庫、テレビ、炊飯器、洗濯機、掃除機など、もらってくれて。衣類も殆どは捨てて。
小さなバッグ一つで、紫乃は故郷に。
空港には、母親が来てくれていた。
紫乃の顔を見ると、母親の眼には涙が。
まだ何も話していないけれど、母親はもう察しているのだろうと。2年間、毎月毎月、生活費の殆どを無心していたのだから、勘の鋭い母親のことだから、全部知っているのかもと。

厳しい母が、理由を聞かずにお金を振り込んでくれていて、紫乃は気味悪くもありながら、母親はきっと覚悟のようなものがあるのではと思っていた。

紫乃は、助手席に座り、悠太は後部席のチャイルドシートへ。
チャイルドシートを見て、紫乃はあっ!やはり、母は知っている、離婚して戻ったと知っていると確信して。車にチャイルドシートを付けた。それは事情を知っていることを意味している。
悠太が生まれてから、帰省したことはなかったのだから。
旭川まで、3時間はかかる。
道中、事の顛末をかいつまんで話す。
あっけらかんと。事実だけを話す。

「少し、ゆっくりしなさい。
悠太君は、1才。せめて3才までは、そばにいてあげなさい。」

3才まではそばに。

母のその言葉は、嬉しかった。体から力が抜けた。
咎めることは一切しなかった母。
母は、家につくと悠太に夢中になり、おばあちゃんよ、よろしくね、、おばあちゃんよ、、。

蘭子は紫乃がお金を貸して、貸してと度重なる頃、一度調査を入れた。
そして、はやる気持ちをぐっと抑えて、早く気付きなさい、戻りなさい、家に戻りなさいと願っていた。
空港での涙は、やつれはてた娘の姿に我慢出来なくなり涙が。
頑張ればいいってもんじゃないのよ。
ダメだって感じたら、ばっぱと戻るのよ。
紫乃、ごめんね、、私達の血よ。男には恵まれないのよ。悠太は男の子で良かったね。
蘭子は、夫にしても、紫乃の秀太くんにしても、ある意味では優秀な人間なんだろう、だけど、自分達親娘にとっては、善き夫ではなかった。
それだけの事。紫乃はまだ若い、これから、まだまだよ。

紫が好きな蘭子は、女の子だったら紫乃と名付けたいと願っていて。
紫乃はすくすく元気に活発に聡明に育ったけれど、
男性に対する感覚だけは、名前のイメージ通りに
日本的過ぎて、愛に走る女イメージの名前通りになってしまって。

*******************

悠太君は現在は小学校の3年生です。
お母さんとおばあちゃんと、札幌で暮らしています。旭川のお店は閉めて、札幌のマンションを買って。

私の会社の顧問弁護士さんの事務所に、紫乃さんは勤めていますが、非常にやり手の女性弁護士として活躍しています。

背も高く、顔が小さくて、ちょっと独特の魅力のある女性です。

毒舌家でもあり、私は紫乃さんに会いたくて、法律事務所には特別用事がなくても、たまに顔を出します。毒舌家イコール正直者と私は思っています。

ありがとうございます。
18

風花会那

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。