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恋しちゃうということ|「ということ。」第18回


 恋をするのは、大いに結構! けれど、コンビニに並ぶ女性誌の表紙や、電車の中吊り広告を見て、私がいっつも引っかかるのは「〜しちゃう」という表現だ。

「夏、迫る! たった1回の〇〇で痩せれちゃう裏技」
「〇〇すれば、恋に発展しちゃうこと間違いナシ!」
「いいねが集まる? 思わず見とれちゃう絶景スポット〇選」

 とか。だいたい、女性向けのメディアで目にすることの多い表現。

 元来 “開き直り体質” の私は、何に対しても「それの何が悪いの?」というスタンスを、日々貫いている。“開き直り体質” であること自体、すでに開き直っている。

 そう。私が問いたいのは、「痩せたい人が痩せて何が悪いの?」「単身者と恋に発展して何が悪いの?!」「絶景に見とれて何が悪いのー?!」と、いうことだ。

 どうも、私にとっての最大の基準である「日本語が日本語として、いかに無駄なく正しく美しいか」とは、相反する表現のような気がするのだ。

 いや、分かってはいる。広告的な言葉づかいとして、「〜しちゃう」といわれると、その背徳感というか、おトク感というか、そういうウズウズしたものをすごく掻き立てられる。そういう、一つの手法だと思う。

 けれども、無闇に使いすぎではないだろうか。

 最近、きちんと自覚したことの一つに、私は「提供する側」として「提供する意識」が欠落しているな、という点がある(これに関しては、まだ、開き直っている途中だ)。

 どういうことかって、「読んでもらうための工夫」や「読んだ人を動かすためのトリック」について、私はあまりに意識が向かないのだ。

 だから、「〜しちゃう」という表現が、たとえ広告的な意図だけでなく、日本語の愉しみとして生まれたのだとしても、やっぱりどうしても、すっごく引っかかる。

 どんなに楽しげなことでも、「〜しちゃう」と付けた途端、まるでそれが悪いことのように思えてしまうのだ。……もとい、思えちゃうんだ。こんなふうに、「〜しちゃう」っていうのは悪いことに使う表現のはずなのに。

 でも、題に付けた「恋しちゃう」だけは、まあ、許してもいいかなと思う。その気持ち、分からなくはないから。

 そんなあれこれをぐるぐる思考する、木曜の夜。




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編集者|不定期連載エッセイ「ということ。」|Twitterで収まらない話をnoteでします(創作の筆名「藤崎枝直」はお休み中です)
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