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心変わりするということ 〜その2〜|「ということ。」第23回


※その1はこちら

 恋にも葬式があればいい。死んだ恋にとらわれずに生きられるよう。またいつかと期待せずに進めるよう。出会えてよかったと思えるよう。二度と会わないでいられるよう。全身全霊をかけた恋が、たくさん泣いて傷付いた自分が、ずっとずっと安らかに眠れるよう。

 彼(ユニ)は、それはもう特別だった。カリスマというものがこの世に本当にあるのならば、ユニは正しくそれだった。何をしなくても視線を集め、ユニが言うことはまるで正しく聞こえた。そして一時は、その生命のすべてを私に注いでくれたひと。私からも、持てるだけの時間と思考と感情を捧げたひと。
 私たちは二人では駄目だった。好きなだけではどうにもならないこと。好きだから見えなくなること。そういったことごとが、見事に問題として立ちはだかって。今、ユニは別の女性と結ばれ、私の隣にも私たち二人だから大丈夫なひとがいる。

 その結婚を知った日(私が自分の心変わりを自覚した日)……あれからユニを思い出すこともずいぶん減った。ふとしたきっかけで思い出しても、片付けを覚えたばかりの子どものように、無邪気さに身を任せて箱に仕舞えるようになった。単純にうれしい。迷いなく一人を大切にできる、気持ちの良い覚悟。

 けれど恋は、ただ死んだだけではゾンビのように蘇るもので。この歳になればささやかに感じる記念日も、それがとっておきに思えていたころの日付は忘れないようにできているらしい。九年前のちょうど今ごろ、地方都市の小さな山の展望台で、ユニと私はキスをした。

 この日ばかりは、どうしたってユニが浮かぶ。まるで、お盆のように。死んだ恋が帰ってくるように。視界の端に、彼岸花の赤がちらつく。空葬いした死をいつまでも受け入れられないように。亡骸を探してしまう。恋は死んでしまったのだと、間違いなく亡くしたのだと、何でもいいから確かな証拠が欲しくなる。今夜をユニも同じ気持ちで過ごしていてくれたら、と。あわよくばなんて考えではなく、ただ、満足のいく今こそがあの恋の続きだと思いたくなってしまう。

 だから、どうか。ユニと私の恋が、空回りした二人の日々が、きちんと天に昇りますように。手向けるとしたらどんな花がいいか、水葬か火葬か、あるいは風葬か。そんなことを考えて、葬儀のひと通りを想像して、私はそれらを箱に仕舞う。一つひとつを手でつかみ、重さを確かめ、また箱に。この作業によって、かつて死んだ恋は弔われるはずだと。そう、願って。




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編集者|不定期連載エッセイ「ということ。」|Twitterで収まらない話をnoteでします(創作の筆名「藤崎枝直」はお休み中です)

コメント1件

はじめまして。
一度心の奥深くに刻まれた想いは,何か別のことで上塗りしようとしても,なかなか消えてくれません。
ましてやこの国では,故人を偲ぶ行事すら定期的にあるくらいですから,過ぎ去った在りし日を思い出すことは,どのような色付けをするかはともかくとして,人として備わった感覚なのでしょう。
であれば,夕日の沈む浜辺の砂の城のように,年月の波が少しずつさらって,やがて海へと還っていくのを,傍らで眺めているしかないのかもしれません。
箱が満杯になる日が,いつか来るといいですね。
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