遠回りするということ|「ということ。」第22回


 先日、実家に帰った。実家といっても生家ではなく、昨年母と妹と弟が越した先だ。父は福島に残り、逆・単身赴任状態。母の手術のために、会社を休んでの帰省もどきだった。

 その手術の前日、入院のあれこれを済ませ家に帰るとちょうど妹も帰ってきたばかりだった。妹は八月の終わりに二十三歳になった。大学三年生だ。私よりも器用で明るく、美人で気立ての良い妹は、二年遅れで大学に入学した。

 私たちは家族のうちで二人きりの喫煙者なので、顔をあわせるとつい台所の換気扇の下で長話をしてしまう。部屋を散らかしっぱなしの妹の彼氏の話、いつになるか分からない私の結婚の話、妹が去年の仏留学中に冴えないオランダ人に口説かれた話、若いうちは妊娠と性病にだけ気をつけて遊ぶべきだという話。一緒に住まない姉妹だからできる話は、日々積もる。
 周りからは「信じられないくらい仲のいい姉妹」と言われるが、こんなに話をするようになったのはここ三年、四年のことだ。たぶん、お互い大人になったからだ。相手の話に興味のあるフリ、相手に自分の話を聞いてほしいフリ、そのどちらも冷たくはない道理で上手にできるようになった。

 母の手術の前の晩で、たぶん二人ともいつもよりも興奮していた。大学でチューターをしている妹は「このあいだ、高校生に学科プレゼンをしたんだ」と言った。私は「見せてみなさいよ」と言った。自分の部屋からプレゼン資料を持ってきた妹は、コホンと小さく咳払いして、「皆さん、こんにちは!」と少し笑いながら発表を始める。

 三十分くらいのプレゼンだった。彼女の高校時代の話から大学を選んだ理由、学部学科の魅力、留学のこと、今の時間割、将来の夢。きっと私も、いつかどこかのオープンキャンパスで聞いたことのある内容。けれど、半分くらいを過ぎたころから、私はどうにも目頭が熱くなってしまったのだ。「うまいことペラペラ言っちゃって」と笑ってやるつもりだったのに。

 美人で気立ての良い妹は、二年遅れで大学に入学した。彼女は四歳のころからクラシックバレエを習っていて、それは長い間、スクールの中でも目立たない存在だった。ところが中学二年生のとき、偶然踊りを観たヨーロッパの振付家が、彼女の“耳の形”に惚れ、「ドイツに来ないか」と誘ってくれたのだ。稀有なことに、「日本の義務教育が終わるまで待とう」とまで申し出てくれたので、その通り妹は中学を卒業してからすぐ単身でドイツへ行った。

 帰国後、スクール内で急に目立ちはじめた妹は疎まれ、映画『ブラック・スワン』のごとく他人に失敗を願われたり行く手を邪魔されたりと嫌な思いをたくさんした(バレエって、確かにそういう世界なのだ)。「訴えれば勝てるんじゃないか」と思えることまでされた。
 でも挫折はあっけない。足を故障して、「日常生活なら問題ないけれど、踊るのはもう辞めるべき」と診断を受けたのは、妹が十七歳のころだった。

 元々「帰国したら高認はとろう」と家族で話していたから、彼女は通信制の高校で勉強し始めたころだった。人生の八割以上を捧げた恩師にもその敬愛を踏みにじられた妹はヘトヘトで、「もうバレエを踊りたくない」と思い至ったのだろう。トゥ・シューズを家で見ることはなくなった。毎日の洗濯物に入っていたレオタードもタイツも、見かけなくなった。

 それだから五年くらい前、実は家の中は修羅場だった。妹は、家族が自分を腫れもののように扱うのに傷つき、私たち家族は妹が傷つくことを恐れ、結果腫れもの扱いになった。普段は何も言わない弟だって、「姉ちゃんはバレエを辞めちゃダメだ」と口を出したほど。普段ヒステリックにものを言う母だって、何も言えなかったほど。

 妹の学科プレゼンの話に戻すと、それはもう身内の贔屓目もあるが立派なものだった。自分が通信制で高認をとった経緯も、大学や学部学科を選んだ理由も、きちんとあの子の言葉になっていた。それでいて、大学の広報部がうれしがるだろう大学のアピールや、高校生やその保護者が本当に欲しい生の声も、それは見事に組み込まれていて、その巧みさにも私は驚いたのだった。
 もちろん、対外用のプレゼンだから本人の言うように「あ、ここはフィクションでーす」な部分も多いけれど、そんなの問題じゃなかった。むしろ、求められている“フィクション”を作れるようになっていたことも、姉は泣けるほどうれしかったのだ。

「バレエ、やって良かったね。ドイツに行って良かったね。二年遅れでも高認とって大学入って、良かったね」と、私は今まで妹を傷つけてしまいそうで言えなかったことを言った。すると、妹は「なんでそんなに泣くの〜?」と笑っていた。ちょっと照れながら。そして「伊達に周りより歳とってないからね!」と胸を張った。そのちょっと照れたドヤ顔を見て、「ああ、この子はこの子の二十三年間を生きてきたのだ」と、私は妹を「かわいそう」だと思っていたことがすごくすごく恥ずかしくなった。

 きっと、妹がストレートで大学に入っていたら、二十一歳で学科プレゼンを任されていたら、あんな発表はできなかったはずだ。二十三歳の、今までの怒りや悲しみがあるあの子だから、姉を泣かせちゃうくらいのものが生まれたのだろう。

 これは、妹が特別苦労した話でも、私のようにストレートで大学に入り多数派の道を歩んでいる人を軽んじる話でもない。ただ、遠回りでも生まれてから今までの歩数は一緒なのだという話。その時々の自分で、その時々の環境を生きられるのだという話。ただ、それだけの話。




 


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編集者|不定期連載エッセイ「ということ。」|Twitterで収まらない話をnoteでします(創作の筆名「藤崎枝直」はお休み中です)
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