見出し画像

おい!評価! #151

 最近、色々な学ぶ機会で話題に上がるのが「評価」の在り方です。とにかく、日本の公立小学校の評価システム(私のまわり)は上手くいっていないと思います。

1.評価の目的

 評価の目的、と聞かれてなんと答えますか?通信簿のための、評価になってしまっていることが多いと思います。つまり、評価=判断になってしまっているということです。上らから目線での評価には、もう価値がないと最近強く思います。評価の真の目的は「学びを最大化すること」であると、最近とある本で読みました。私はその通りだと思います。

2.通信簿の価値

 通信簿の価値はなんでしょう?保護者に子どもの学習状況を伝えるために存在している通信簿ですが、正しく伝わっているのかはかなり疑問です。一般的に、通信簿の所見にはあまり厳しいことは書きません。かなりオブラートに包んでいます。文字数が制限されていることが多いので、上辺の所見になってしまいがちであると思います。結局、どうつけられたか、あまり説明されていない◎〇△(ABC)の数だけに注目が集まり、「◎や△の数を数えておしまい」になっていないでしょうか?
 「昔からあるから、出し続けている。」がほとんど真実ではないですか?また、通信簿は学校の裁量ですが、自治体で足並をそろえて、「思い切ったことができない、思い切ったことをする勇気がない」が真実ではないでしょうか!
 とにかく、どうしたら、評価で学びを最大化できるかを考えたいです。

3.テストでは、はかれないもの

 多くの先生が、一度は、業者テストで評価することに頼ってしまっている事実に疑問を抱いていたことがあるのではないでしょうか?(しかし、なかなか頼らないことは難しい。)
 テストでは、「知識」はある程度評価できるものの、「技能」や「態度」はかれません。
 最後に一回、ペーパーテストで評価を重視するというシステムを見直さなくてはいけないと思います。

 また、最近思うことをもう一つ。学年でそろえて、この時間のこの問題で評価すると決めている問題があります。その時間に評価をつけます。ものによりますが、単元の最後にできるようになっていたら、遡って評価を上向き修正してもいいですよね?特に技能的なもの。この時間のこの問題で評価をとると決めたら、それを修正しない先生も多いように感じます。

4.他者評価より、自己評価

 自己評価できること、この価値がかなり高いということを痛感しています。大人になったら、自己評価ができないと成長できません。子どもたちに自己評価は難しいかもしれませんが、自己評価できるように、やり方を教えていく必要があると思います。最初は難しいかもしれませんが、小さい頃からやっていれば、本当の意味で自分で成長できる人になると思います。これを小さいうちからやっていない、人から評価される環境で育ってきたので、「自分の強みがわからない」「働く上でのテーマがない」など、自分のことが自分事になっていない大人が増えているのではないでしょうか?
 もし通信簿を出し続けるなら、自己評価を加えるべきです。

5.総括的評価より形成的評価

 ・総括的評価(=テスト・成績・通知表制度)
 ・形成的評価(事前評価、継続的な評価、学習のための評価、学習としての評価)

 多くの先生方が、通信簿をつけるために、総括的評価に重きをおいてように思います。子どもたちのためを考えると、どう考えても、形成的評価の方が大事ではないですか?子どもの成長のために、本当に意味があるのは、形成的評価だと思っています。これこそ、まさに「指導と評価の一体化」です。
 「見取りは、一斉授業とは相性が悪く、一斉授業をする限りは、見取りはしませんと宣言しているようなものです!」最近この文章と出会い、しびれました。
 「見取り=継続的な評価=学習のための評価+学習としての評価」と書いてありました。


6.来年度から実現しそうなこと

 以上を踏まえて、職場で色々な意見を出したら、結構共感を得ました。

 通信簿に意味を持たせるために、面談をして、通信簿を少し個別最適化します。
 ①4月、面談で子どもが書いたシートをもとに、目標設定する。
  (もしくは、三者面談)1学期は所見を書く。
 ②2学期、目標に対する進捗状況を面談で伝える。所見なし。
 ③3学期、面談なし。所見で、目標にどのくらい迫れたかを伝える。

 以上、エンチャントでした!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?