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足音が描くアイドルの確かな実存

Sexy ZoneのChapterII in DOME 福岡公演に行ってきました。
めちゃくちゃ良かったです。

セクゾのライブは、去年のアリーナのときに誘われて行きはじめました。知り合いからセクゾの話を結構聞かされていたので、ふわっとした知識とともに、初めてのリアルアイドルのライブに赴きました。
そしてそのまま、セクゾの初ドームにも行くことができて。今年は自分でチケットをとってアリーナ、ドームと行くこともできて。
それぞれ少しずつ違った顔をした公演で、まじでセクゾのライブの演出をはじめとするライブ全体のパフォーマンスは、びっくりするところもたくさん、ニヤニヤしちゃうところもたくさん、盛り上がって、楽しんで、音楽に浸って、そして、涙がこみ上げてしまうところもあって。

他のアイドルとは少し違う。アイドルに会いに来るのはもちろんだけど、アイドルと一緒にいろんなことを乗り越えてきた、その日々を振り返ったり、その頃の自分を呼び起こしたり。なんというか、たくさんの波に揉まれ、形が変わって、グループの音楽性も変わって、いろんな経験をしてきたセクゾ、セクラバだからこそのライブで。アイドルで括るよりも、アーティストのライブと言いたくなるようなパフォーマンスがたくさんあって。

もちろんライブの主役はセクシーたちなんだけど、彼らが歩んできた道、一人ひとりのファンが歩んだり、歩めなかったりした道、その過去が、経験が、記憶が、思いが、なににも勝る主役のように思えてしまって。


セクゾのドーム、重てぇ〜
めちゃくちゃ良くて泣いちゃったじゃないか!!


というちょっとした感想でした。

ここから本題。

今回は、スタンドの10列目ぐらいで、大学の講義室で教授を見るくらいの視野でセクゾを見ることができました。一番接近したタイミングでは、余裕で肉眼メンバーを認識することができ、とても見やすかったです。(まあ、別ジャンルで最前で見たときよりは見えなかったけど)
そんな感じの席で、ステージ構成のネタバレになるかもしれないけど、目線の先で、聡ちゃんや勝利が踊ってるんです。踊るというか、ステップを踏む、みたいな。ホップ・ステップ・ジャンプみたいな感じで、軽やかに踊っていたんです。


演出で、一瞬だけ静寂が流れたのかもしれない。次のパフォーマンスのために息を止めていたセクラバがたくさんいたからかもしれない。

目の前で踊っていた聡ちゃんの足が。
ステップを踏むたびにステージに触れる足が。

そこから、足音が聞こえたような気がして。

そこまで近くもないから、きっと本当は耳には届いてない。多分勘違いでしかないのだろうけど。でも、足音がしたような気がして。


本当に目の前にいるんだ。


本当に、そこにいるんだ。



たとえ目で見えていても、やっぱりちょっと現実感はなかった。耳で歌声を聞いたとしても、それがアイドルの実在とはどこか結びついてないような気がして。


そこにアイドルはいるけど、この世界とあの世界には大きな壁が隔てられている、とずっと思っていた。同じ人間だと思おうとしても、あんなにすごい人たちと自分が同じには見えない。どれだけプライベートの話を聞いても、本当のプライベートには触れられていないような気がしてならない。

自分とは違う物理法則のもとで存在しているんじゃないか。そう思いたくなる。

だって、自分と同じ人間が、何十万という人の思いを受けて、それに応えていると思うと、すごく苦しいじゃないか。沢山の人の目にさらされ、欲望を浴びせられ、愛情を投げつけられて。そんなの、私には耐えられない。自分とは違う生命体と思わなきゃ、ちょっとやってられないじゃないか。



でも、ライブで、足音を耳にして。

私たちとSexy Zoneは、確かに同じ世界に生きていて、同じ物理法則のもとで生きている。

重力には抗えなくて、触れれば音を発してしまう。


確かな同じ生物であるという実在を感じてしまった。


もう、アイドルは虚像ではなくなって、幻でもなくて、遠い世界で生きているなんでもできるスーパーヒーローでもなくて。
あくまで、同じ世界に生きている、同じ法則で生きることを余儀なくされてる、同じ生き物なんだ。


決して拾われることのない、些細な足音。
でも、それは絶対的に同じ世界にいるという証に思えてならない。


考えたこともなかった。
感じたこともなかった。

足音なんていうありふれたものが、私とアイドルを、どうしようもなく同じ人間だと思わせてくれる。


誤魔化すことのできない、逆らうことことが絶対にできない、こんな当たり前の法則が、私とアイドルをつなげてしまった。

同じ世界に、同じ今に、確かにいる。
そして、あの時、あの場所に、確かにいた。

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