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加害者性をみつめ続けるということ

「男であることがつらい」と言う男の友達


もし自分が男だったら、今の世の中は耐え難いんじゃないかなあと、よく思う。
自分は何も悪いことをしてなくて、品行方正に振る舞っていても、男というだけで警戒されて、電車でちょっとぶつかっただけで痴漢って言われるかもしれなくて、隣に立っただけで嫌な顔されたりなんてして。

もちろんもちろんもちろん、女性が女性であるだけで、それだけ自分を守らなきゃって敏感になる環境とか、今までの世の中のあり方とか、そういうのが本当に本当に悪いんだけど、
自分の性が男だというだけで、がっしりした体つきでヒゲが生えてるってだけで、警戒されて、避けられて、満員電車では犯罪者を見るような目で見られるって、本当に嫌になると思う。

エレベーターで女性と一緒になったらめちゃくちゃビクビクされるし、たまたま女性の後ろを歩いてただけでも睨まれるし、気を遣うところだらけですごく疲れると思う。
女は女でもちろんめっちゃつらいけど、男じゃなくてよかったって思うこともいっぱいある。私は加害者になりたくないから。責められたくも怒られたくもないから。

だから、男の人が「男であることがつらい」って言うのも、無理ないと思う。
彼はそんな簡単な言い方はしてないけど、要するに「男というだけで自分が孕む男性性の加害性を扱いきれない」みたいなこと。


私はなんかもう、ほんとに申し訳なんですけど、正直、ぜんっぜん、ほんっとに、男という生き物は男というだけで汚いとか危ないとか正しくないとか、
なんで男性器は飛び出してるんだよちゃんと体内にしまっとけよとか生理がないのずるいとか、そういうの本気で普通に思っちゃうし、
背後を歩かれると電話してるふりしながらヒールでペニスをぶっさすイメージトレーニングとかめっちゃする。
でも、なんっっっっにも悪いことしてなくてやましいこともない人がそういう扱いを受けるの、ほんっと意味わかんない、よね。

犯罪者の家族が犯罪者扱いされるのと同じイメージ、かな?

男という共通項だけで、ペニスがあるという共通項だけで、
犯罪者の家族というだけで、血が繋がっているというだけで、
「危害を加えてくるかもしれない!」って警戒されて時に叩かれるの、まあ、叩く気持ちもめちゃわかるし、私も全力で逃げちゃうの認めるし、綺麗事では済まないけど、
なんでこうなっちゃうんだろうね。みんな疲れるだけなのに。

誰もが加害者にも被害者にもなりえる


性別だけじゃなくて、いつでもどこでも誰にでも、加害者になる場面や環境やタイミングはあって、つまり加害者になる可能性はそこらじゅうにあって。
誰かにとって当たり前のことが、誰かにとっては当たり前じゃなくて、当たり前にやったら「マウンティングだ!傷ついた!」とか言われたりもたりもして。

そういうの全部気を遣ってたらもう本当に本当に本当に疲れるし眠いしお風呂はめんどくさいし洗濯はもっとめんどくさいし洗い物はもっともっともっとめんどくさいし、でも人間として人間社会で生きるにはやっぱりある程度必要なんですよね、他者を慮るとかそういうやつ。

人より優れているものを把握しておくこと
社会的に加害になりえる要素を知っておくこと
自分が加害性をはらんでいるということを認めること

これらはめちゃくちゃ疲れるし、なんでダメな奴らのせいで私がこんな思いしないといけないんだよ💢とも思うけど、まあ、人として人間ぽく生きるためには大事っぽいので、いい感じに気をつけたいです。

男をやめたいとか学歴を消したいとか、家族と一緒にしないでほしいとか、
「ジャップランド無理すぎ〜おれもうマインドが日本人じゃないからw日本のあいつらと一緒にしないでw」とか、
いろんな「勝手に決めるな!カテゴライズするな!」みたいなの、多分いっぱいいっぱいあるけど、
みんな何かしらのナイフを持っているから、とりあえずはナイフを持ってることを自覚したいよね〜っていう、なんだかいい子ぶった話になっちゃいました。


被害者に傷つく人もいる


弱さで殴るっていうのもここ2年くらいのテーマです。

私は長いこと死にたがってきて、今でも全然死ぬこととか生きることとかばっかり考えてるし、
食べる食べないにとらわれて食事はしんどいし、人と話すのは苦手だし時に苦痛だし、
もうほんとにほんとに関係各位みんなに心配されて助けられて許されて構ってもらってきたんですけど、
「エンデちゃんは弱くて死にそうだから期待しちゃダメだし優しくしなきゃダメだし叱っちゃダメだし許さないといけない」って気を遣われまくってきたなあ、ちょっとだけ申し訳ないなあ、とか思うわけです。

出国直前まで、2年近くお世話になった職場のおじさんが、辞めていった子のことを
「あの子はさ、今にも死ぬんじゃないかって雰囲気で、親も迷惑だよね。あんな風にされたら、親も何も言えないしできないよ。あれは脅しだよ、子どもから親への脅し
って言っていて、すごく悲しかった。

その辞めていった子のこと、私は本当に少ししか知らなくて、話したことも2回くらいしかなくて、でもすごく抑圧されてきたのが手に取るようにわかった。
狭い世界に閉じ込められてきたんだな、それを自覚もできないでここまできたんだなって、見てるだけで苦しくなるくらい、彼女は身動きが取れないでいた。

なのに、たまたま恵まれて、がんばる土壌が用意されていて、資格職につけていて、綺麗で有能な奥さんが支えてくれているおじさんに、あんな風に言われるなんて。

あのおじさん、上野千鶴子さんの祝辞を読んだらなんて言うかな。
そもそも読もうとも思わないんじゃないかな。
やだな、あんなおじさんがいっぱいお金稼いでる世の中なんて。


加害者と被害者だけの単純な世の中じゃないから


いつまでも被害者ヅラしてんじゃないよって言いたいわけではもちろんなくて、被害者は守られるべきだし、優しくされるべき。
もちろんもちろん本当にそうなんだけど、被害者だけが守られてて、加害者ではない周りの普通の人が不満を口にする光景を見かけるたび、しんどくなる。

普通の人って本当に貴重で、普通の人が真面目に稲刈りしたりコンビニでお茶を並べたり銀行でお金を数えたりしてくれてるから、私はいつでもお煎餅を食べられるし伊右衛門を飲めるしドイツでもデビットカードを使えるんですよね。

だから普通の人も大事にしなきゃいけなくて、でも加害者もずっと加害者だったわけじゃなくて悲しいこととかいっぱいあったんだろうし、そういう根の根の根から汲まないといけないし、みんな仲良く明るく元気に一所懸命がんばろうとか無理だけど、でも、単純に被害者だけを守ってても、何も変わらない

いろんなことを、たくさん勉強して、たくさん知って、たくさん考えて、生きないといけない。

理由なんてどこにもない、あれは私のせいじゃない

私はずっとずっと死にたがってたし、死ななきゃいけないと思ってたし、今でもちょっと嫌なことがあると自分のごめんなさいの声に追い立てられて死ぬことを考えるし、東京に戻っても働ける気はしないし、でも。

でも、親のことはだいぶ消化できるようになってきた気がしてる。
会わなくなってもう3年も経つからなのか、私が落ち着いて考えられるようになったからなのか、わからないけれど、
私があの人たちからあんな風に扱われたのは、「私だからではない」って思えるようになってきた。

私はダメダメだけど、

私じゃなくても、
女でも男でも、
頭が良くても悪くても
運動ができてもできなくても
顔が整っていてもそうじゃなくても
外反母趾でもそうじゃなくても
背が高くても低くても
脚が長くても短くても
少食でも大食漢でも
デブでもガリでも
パリピでも陰キャでも
ブロンドでも黒髪でも
天パでも直毛でも猫っ毛でもハゲでも
私じゃなくて、死んだ上のきょうだいでも

私の親はきっと、子をああやって扱ったのだ、どんな子であれ、私にしてきたようにしたのだ、と考えられるようになった。

私はまともに働けなくて、わがままで、お金のかかる子どもで、頑固で、まあまあ可愛くて♡、まあまあ賢くて♡、そこそこ髪が綺麗で♡、友達もまあまあいる♡、そんな人間だけど、
そんなのとは何の関係もなく、私の親は、私があの人たちの子だという、その理由にもならない理由だけで、コントロールし、縛り、押しつぶした。
だから、私のせいではない私は悪くないのだ。

弱さは免罪符にしちゃダメだけど悪じゃない


でも、いつまでも死にそうにして、弱いままでいて、何もできないままで、保護される対象でいては、周りの人に気を遣わせるだけだから。
何より自分にとっても生きた心地がしなくて余計に苦しくなっていくだけ。

深い悲しみは、それだけ深く、深く深くじゅうぶんに、きちんと悲しむ必要がある。
そのグリーフワークを終えたとき、やっと人は生きることを考えられるようになるから、思う存分悲しんで、泣いて、愚痴って、手首を切って、ODして、寝て、仕事を辞めて、洗濯物を溜めて、洗い物も溜めて、未読104件溜めて、お金は貯められないで、TSUTAYAでゲオして、CD3000枚買って、家家コンビニ家コンビニ家の繰り返しで、いつの間にやらゴールド免許になって、超楽しい地獄を作って、輝く白さ驚きの柔らかさで、君が通ってきた全部の自動ドアは私がぜーんぶ手動で開けてたんだよ、なんて言うのを27回くらいループしていいと思う。

上述のおじさんはほんとにほんとに一回脳みそかき混ぜたほうがいいんじゃないかとか思うけど、そう感じる人がいるのは事実だし、程度が過ぎたら優しいお友達も疲れさせちゃうし、離れていっちゃうかもしれないし、やっぱり健康になりたいって、思うようになった。そろそろ19ループくらいしたからね。

せっかくいろんな人が気にかけてくれて、生かさせてくれてるんだから、そろそろパワーが溜まってもいい頃。
その期待に応えても、いい頃だよね、って。

見えない敵と戦っても仕方がないから

できるはずだとか、将来どうなるか楽しみだとか、エンデは大丈夫だよとか、
なんの根拠もなしにそんなことを言われるたびに、応えられない自分とか、応えなくちゃいけないんだろうなってプレッシャーに苦しくなってたけど、
2017年くらいから少しずつ、自分でも「できるはず」「将来が楽しみ」「私は大丈夫」って思えるようになってきた。

まだまだまだまだまだまだまだまだ、まーだまだ、苦しいけど。
何もできないままでいたい、なんて思っちゃうけど。
心配されながら早めに死にたいとか本気で願っちゃうけど。

強くて優しくて賢くて、穏やかでたくましくて余裕があって落ち着いていて、自分の弱さや加害性やずるさを認められる、そんな人に私はずっとなりたかったことを思い出した。

儚さとか可愛さとか、弱さを盾にする小賢しさとか、そういうの全部、もういらないよ。

バイバイ、助手席にしか座れない私




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