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私が憧れたのは

書きたいことももうないしはやく死にたいなあと思う。

どれだけ足掻いたところで生きる才能がなさすぎるし、生きるのはつらい。

普通になりたいと願うのは普通の人みたいだけれど、普通にもなれないから嘆くのだ。


私は6歳の頃から「この一年は去年の一年より短くないか。5年のうちの一年が6年のうちの一年になったからなのか」と気がついていたし、

9歳の頃には「秋とは気がついたら終わっているもので過ぎ去ってからあれが秋だったのかと定義するものなのかもしれない」と考えていたくらいには賢いのだけれど、

それでも普通に当たり前に生きるにはなにかが決定的に足りていないようで、どうしても苦しくて無理だなあと思う。


偏差値なのかIQなのかコミュニケーションスキルなのか、語学力なのか胃腸の強さなのか脚力なのか心肺機能なのか親の資産なのか、Facebookの友達の数なのかドーパミンなのかハグなのか流した血の量なのか、足りないものがなんなのかはまったく検討もつかない。

けれどとにかく生きようとすればするほどにお前は欠陥品だと突きつけられる。


最近はどうしても完成させたい小説もなにもないから、やり残しなんてないよ、はやく死にたいなあ、とずっとぼんやり思う。

ただ11月にまたスイスに行く予約をしてしまったのでそれまでは食べて眠ってなんとか生き延びられるといいなあ、とか。


人に迷惑をかけるのがこわくて、非難されたくなくて、こんなにも何も出来ないのに生きていて申し訳ないという気持ちから「死ななければ」と思い続けていた。

生きていれば誰もが多かれ少なかれ他人に迷惑をかけるだとか、好きこのんであれこれ世話を焼いて助けようとしてくれる人がたくさんいることなどを学び、死ななければという気持ちはかなり薄れた。

けれど、死んでしまいたいとは頻繁に思う。

心臓が止まったところで何も解決しないけれど、とにかく自分から逃れたくてたまらない。

いつかなにかとんでもないことをやらかすのではないかと、自分を信じられなくて、死んだ方が社会のためだと、ああやっぱりまだそんなことを思う。


三年前、退院後に保健所に繋げてもらっても、社会への正しいコミットの仕方がわからなくてずっと迷子だった。

この世に私を引き止めるものはなにもないけれど、突き放してもくれなくて、世界はいじわるだし、ほんとうは引き止めて欲しい。



ーーー



そんなことをこねくり回していたら、思いがけずお手紙をもらってしまった。

半年にも満たない間だったけれど関わった小学生の女の子から、もう帰国するけど今までありがとうございますって。

「大すき」だなんて書いてあって、また会えるとうれしいですなんて、なんだかもう、申し訳なかった。

私はなにもできないし、彼女になにもしてあげられていないし、いつも真面目じゃなかった。
他の気に入った子ばかりみていた気もする。

それなのにそんなことを言われて、プレゼントももらって、どうして?

ごめんなさいと謝りたくなる。



ーーー



自分の家に帰りたい、とよく思う。

帰る家なんてもうどこにもないけれど、寂しさに疲れてしまった夜は自分の本棚から文庫本を一冊抜き出したい。
私を形成したものをなぞるように読みたい。



ーーー



人の真似をすることでしか人の世を渡れない私は、好きな作家たちの人生を追いかけようとした。

物書きを目指すのは烏滸がましくて、想像することさえ自分で勝手に禁止していたけれど、18歳で自由になったあとは彼らのうちの誰かと同じ大学の同じ学部に行きたがった。

精神の不安定さと思いの弱さと危機感の薄さ、それに圧倒的な能力の欠如によって叶わなかったけれど。



ーーー



中学の授業で惹かれた歴史上の人物もいたけれど、周りには勉強に興味を持つような子がいなくて共有できなかった。

習ったことを深堀りするなんて思いもつかなかったし、政治的な映画を観ようと言っても賛成してくれる友達なんていなかった。

興味のあることに首をつっこめなかったのは機会損失だった。
惜しいことをしたと思う。

似たような人間のいる学校に通いたかったといつまでも思う。

母校、何年かに一度だけ顔を出すけれど、その度に肩身が狭くなる。
中一の担任には優秀だったのにと言われ、中二の担任にもふらふらしてるのには目標や理由があるんでしょと当たり前のように問われ、ごめんなさいと思ってしまう。

中三の担任には会っていないけれど、高校に上がらなかったことをほら言わんこっちゃないと責められる気がしてならない。

お世話になったほかの先生は、私の文章を面白いと言ってくれて、本でも出せば?なんてお世辞でも泣きそうになる感想をくれる。

用があって連絡すると「たまには遊びに来なね」と言ってもらえるから、いい思い出なんて全然ないのに懐かしくなってしまう。


第三体育館の製氷機
カフェテリアのセブンティーンアイス
雨でプリーツの崩れる制服のスカート
高三の教室前を通って行く美術室
学年で色の変わる上履き

妙にリアルに浮かび上がってくる



ーーー



私はたしかに27年も生きてきたけれど、いつも不安で不安定で、確かさなんてひとつもなかった。

やりたいことも使命もなくて、生きていける能力もなくて、どうして生かされているのだろう。

これからどうすればいいのだろう。


私の憧れた彼らはどう生きてどう死んでいったのか、あるいは死んでいくのか。
それが知りたくて私は遠くに来たのかもしれない。


でもなんにもわかんないや

いい加減誰か教えてよ

それか一生わかんないんだよって突きつけてよ


魂も感受性も力も、中途半端にあるからきついんだよな、すべて失くしてしまえたらいいのにね。

なんだか毎日とんでもなく寂しくて、私はカオナシみたいだ

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