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愛は愛の上に愛を作ったりはしないさ

今さっきのこと

Das Hoffestという単語を辞書で調べて、でも載ってなくて「は?」ってなって、
じーっと単語を見つめていたらHofとFestで切れるのね、と納得して、

漢字を見ただけでなんとなくの意味がつかめるのと同じように
アルファベットでもどこで切れるかとか、語幹や接尾辞からなんとなくでも意味がつかめるように、
なんとなくでもそれができるくらいにまではなってきたような、そうでもないような、
悔しいな〜なんて思いつつ、

ネイティブにはなれっこないんだから、楽しく好きな言語を好きなだけやればいっかって思ったり、
でも外国語ができるって生活の幅広がるしもうちょっと真面目に頑張ろうかなって考えたり、

日本にいると「日本やばい日本やばい」の声ばっかり聞こえて日本以外でも生活できるようにならなきゃなって思ってたけど諸外国の人って自国のことをどう認識して、感じてるんだろう、と、ふと、でもめちゃくちゃ強く疑問に思った。

そのとき急に、脳内に「博愛」という言葉が浮かんだ
博愛なんて、こんなに私に似合わない言葉、どこから出てきたんだろう。

どこの国でも、地域でも、言葉でも、結局人間は人間だし、みんなそれぞれ生きてて、
どこにでも生活というものはあって、それぞれ楽しみも面倒もあるんだって、
突然お腹の中で考えが成立した

ただそれを受け入れると今までの私がどこかへ行ってしまいそうで
あの感受性もあの悩みもあの思い出も、ぜんぶ消えてなくなっちゃう気がして、自分じゃなくなる気がして、こわくて寂しくなった
アイデンティティクライシス

これはいつもいつも、入院するたびに、大きな治療を受けるたびに、何かを手放すたびに、感じてた。

博愛の概念を手に入れた私なら、
過去の私もひっくるめて愛してあげられるのかもしれない、とは思うけど、
恨みとか妬みとかの感情が薄くなればなるほど、そこから生まれるたくさんのエネルギーを失う気がして、とっても怖いや

摂食障害の患者が過食も嘔吐も拒食もつらいけどそれにすがって自分を見出してるのと同じかな

でも、たとえ醜いものだったとしても、
何かを生み出し続けられるだけのエネルギーって、とっても尊いと思うんだよね
なくしたくないな

クライシスするアイデンティティなんてないくせに、ね

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