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余裕がないと言って去っていったあなたへ

あの頃、私はほんとうにあなたが好きでした。
今思い出しても本気だったなと思うし、恥ずかしくなるくらい、あなたしか見ていませんでした。

自分のことは、家も学校も仕事も、何もかも見通しが立たなくてどうして良いかもわからなくて、まったくもって絶望するしかない状況だったけれど、それでもあなたといられるのなら、もう少し生きて、頑張ってみたいと、そう考えていました。

3年間もぼんやりと片思いをし、たぶらかされているのかななんて不安になり、それでも手を伸ばし続けたら隣にいてくれるようになって、私は毎日浮き足立って、それでもどこかで遠慮してしまっていて、安心しきることも頼ることも、踏み込むこともできませんでした。

あなたと世界を共有できるようになって、言葉が伝わるとはこういうことか、と初めて感じました。
考えていることや感じていることがそのままきちんと、同じ形で届いている気がして、こんなにも同じ音階で過ごせる人がいるのかと驚くとともに、これまで過ごしてきた世界はなんだったのだろうと、絶望しました。

あなたもそう感じてくれていると、私は信じて疑いませんでしたし、今でもそう思っています。
それでもあの心地よさはそう長く続きませんでしたね。

あなたは仕事を言い訳にし、生活の中から、そしてあなたの人生から、私を取り除き、その結果として空いた以上の場を、すぐに埋めました。

信じたくはなかったけれど、あの頃の私は今よりさらにバラバラだったので、いずれあなたに限界がきて手放されることなんて、初めからわかっていました。
やっぱりか、とまた失望し、それでも悲しみ続けることでしか救われない気がして、私の中からはあなたを取り除かずに日々を溶かしました。

思い続けていれば実現する、なんて、スピリチュアルなことは大嫌いだけれど、思い続けることでしか私は生きられませんでした。
その結果なのか、関係ないのか、あなたは遠くに行ってしまったにも関わらず、私の隣に戻ろうとしましたね。
嬉しく思わないわけがありませんでした。

相変わらずあなたと共有する世界は正確で、綺麗で、輝いていて、暖かくて、それでも手の届かない現実に毎日泣きそうでした。
安心することで不安が生まれるなんて、なんとも逆説的でアイロニーに満ちていますが、それがあの頃の私の本心でした。

「また隣にいられたなら」と、そう本気で願ったり、それでは私はあの頃の私に戻ってしまうだけだと拒んだり、私の内情はいつまでも忙しなく、線路の脇に生きる綿毛のように漂い、舞っていました。

あなたと同じものを見たくて、同じ音を聞きたくて、同じ湿度で生きたくて、ずいぶんと長い間もがき、たくさん苦しくなりました。
私はあなたになりたかったのです。

しかし、また逆説的ですが、もがけばもがくほど、私の目は、髪は、鎖骨は、手首は、くるぶしは、あなたから離れていきました。

あなたに近づけたということなのか、あなたにはなれないと悟ったのか、あなたになる必要がなくなったのか、自分でもわかりませんが、とにかく私はあなたを求めることも、望むことも、待つことさえも、しなくなりました。

あなたはあなたのままだけれど、私にとってはあなたではなくなってしまいました。
もう互いに手をとることも、同じスクリーンを見上げることもないだろうけれど、できればいつまでもそこにいて、私にとっての灯台であってほしいと、勝手な望みを抱いてしまいます。

あの頃の私はあなたを想ってシューマンを弾いたけれど、込めた情愛が深すぎてあなたのメトロノームを壊してしまった。きっとそれだけのことでした。

あなたの好きな小説も、もういらない。

さようなら、あなたの隣の私。

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