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泣かずに生きるには長く生きすぎた

12日の深夜にしくしくと泣いていたら浮かんできたワード。年っていうのは誕生日に一気にとるのではなく、日々少しずつとってるもんなんだって、わかってるくせにどうしても誕生日前はぐっちゃぐちゃのどっちゃどちゃになる。



物書きになりたい。でなければ何者にもなりたくない

ヘッセみたいなことを言うようだけれど、突き詰めれば結局わたしは私以外の何者にもなりたくない、つまりどこにも染まりたくないってことなのかなあ。

就活も、自分が何者になりたいかまったくわからなくってそのくせ何者にもなりたくないっていうのは漠然とあったから1マイクロシーベルトも気持ちが入らなかった。

恋愛する度に相手に染まりゆくようで怖くて気持ち悪くて、飽きたふりして逃げ出してた。
若さゆえの傲慢で自暴自棄な考えのような気もするけれど、それでも私は。私が完璧に真似して生きていきたいと思える『生き方』や『生きる道』を進んだ先人が未だに見つけられないからずっと足掻いている。

子どもの頃から好きな作家さんの真似をするくせがあるけれど、畢竟、形しか真似られないしそんなもの揃えたところで私は私のままなのだ。
顰みに倣う、なんて、愚かだと思うけど、それでも他に指針がないし、切り拓くほどの勇気も自信もなくて、私のままでいるしかできなくて、でも私のままでいたい私もいて、私は誰になりたいの?

佐藤真理子さんみたいなのはけっこう理想。でも佐藤多佳子さんみたいな爽やかに痛い、なめらかに刺さる文章も書けるようになりたい。
やっぱりドイツ行こうかなあ。

作家になりたい、なんて、小学生の頃以来忘れていたし封じていたけれど、一年半前に主治医からもらった「抽象概念を表出するのが上手」という言葉を家宝のように大切に抱えて、夢でも叶わなくてもいいから『書くことで生きていく』っていうのを目標に掲げて生きていきたい。
ここでいう書くことで生きていく、は生計を立てるって意味だけじゃなくて、生きていると実感できるようになるってところまで、書いて、生きるってこと。

ほんとうに、わたしは、何が嫌で何が好きなんだろう。何にならなれて、何にはなれないんだろう。



昨日は誕生日でした。ここ数日は例年通り、相変わらず空虚な心を抱えた日々だったけど、途中からはいろいろとどうでもよくなりました。

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