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負の遺産


子供があまり丁寧に扱われていないような、リアルな家庭を垣間見ることで安心している自分が気持ち悪い。

先日のHちゃんのところにしろ、パパのDVから逃れてママが1人で子どもを2人有名私立に通わせてる家庭にしろ、母子家庭の一人っ子でネグレクトと過干渉が繰り返されている家庭にしろ、内情を知れば知るほど、どこかで安心してしまう自分がいる。

もちろん、子どもたちのことはめちゃくちゃ心配になるし、その子たちの親のことを責めたくなる気持ちも出てくるし、でもみんないっぱいいっぱいなんだなって思ったりもするし、自分にはなんにもできないなって悲しくなったりもするし、それでも、すごく、ほっとする。環境や状況が悲惨で凄惨であればあるほど。

汚いなって思う、自分の感情が。
ほかと比べて安心してるのかなって考えると、すごく落ち込む。アウシュヴィッツを見学したいのも同じ気持ちからなのかな、とかも。
でも、健全に機能しているように見える家庭でもある程度は不健康なところがあるんだろうなって思ったり、完璧なんてないんだなって考えると少しは優しくなれそうだし、気負いすぎずに生きられそう、な気もする。

色んな家庭があるけれど、「良」「悪」の二元論だけじゃない見方をしたいなって思う。こっちの家庭はちゃんとしてるけどあっちはちゃんとしてない、とか、私が決めつけることじゃないよね。まあモヤモヤすることはあるけど。
家族のあり方に上も下もなくて、当事者が満足できていればそれでいいってことだよね、たぶん。

子どもたちを見ていて、いつも思う。
強くなくてもいいし、優しくなれないときがあってもいい。そんなに逞しくいられなくても、いい。でも、しんどいことがあってもなんとか持ちこたえて、誰かを頼ってでも自分らしく生きていってほしいな、って。
みんなそのうち私たちのことなんて忘れてそれぞれ歩んでいく。寂しいけどそれくらいが健全だなって思う。でも、どうしても自分だけでどうにもならないとき、助けを求めてくれたり、思い出してくれたりしたら、いいな、って、すごく思う。

私は子どもの頃からつい去年くらいまで、世界中の誰も頼りにならないって思ってたけど、ほんとうは色んな人にケアしてもらってたんだなって思う。あの子もあの子もあの先生も。みんな。みんながいたから、明日もとりあえず足を運ぼう、って思えてた。
その頃の人たちとは、もうほとんど会わなくなったけど、どうしてもしんどくなったら、訪ねようと思う。話してもいいし、話さなくてもいい。ただ、生きているという事実を確認するためだけに。

うちの紅梅盆栽さん、咲きました!!!!!
そしていつの間にかフォロワーさんが100を超えた……いよいよ変なこと書けなくなってきた感じするけど私らしく私とその周りの世界を表現していきたいなって思います。みなさまいつもお付き合いいただきありがとうございます。
そしてそして、ひさつぐさんお誕生日おめでとうございます☺💐

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