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異常なまでの生死への執着心を抱えて

インターネットがなかったら今頃わたしは骨になっていたと思う。

小学4年生から携帯電話を持ち、友達と毎日デコメ(懐かしい)をし、前略プロフ(懐かしい)は眺めてるだけだったけどmixi(懐かしい)が流行り出してからはいつもオンラインにいる人間だった。
最終ログイン5分以内(懐かしすぎて泣きそう)。

友だちが日記を書くのを常に待ってたし、紹介文とかめちゃくちゃ書いたし、コミュニティも眺めてるだけだけど入れる限界数くらいまで入ってた。

みんなお腹の中では汚いこと考えてるくせになんで笑ってプリクラ撮ってるんだよって思いながら笑ってプリクラ撮ってた。
清く正しく美しい10代の過ごし方。

mixiが廃ってもTwitterとインスタとFBと友だち2人だけに公開してたアメブロと時々スナチャとか、とにかく人のいる場所にいた。

一人で過ごすことが多かったからインターネットに生きたのか、インターネットに生きたから一人だったのか、インターネットは関係なくもともと一人でいる人間だったのか。そんなことはわからないけど、とにかくインターネットはわたしの生きる場所だった。
帝王切開生まれNTTdocomo育ち。





とんでもなく不謹慎かもしれないけど、人は一度死んでしまえばその後のランニングコストは0です。

まあ死んだ直後は葬式やら何やらで出費はかさむしその後もお墓とか供養とかそういうのはあるけどやらなくてもいいわけだし、とにかく食べるものも寝る場所もいらないんですよ。あなたの心の中以外には。
死んだらあいつとあいつとあいつの心に巣食って蝕んでやるんだからなと思ったりもしますけどね。あの子を着てあの男を食べてあの人で寝る。こわ!


でも死んでない人、つまり生きてる人(わたしとあなたのことです)は当然ながら今日も地球のどこかでいくばくかの体積をもってして呼吸をして酸素を二酸化炭素に変え排出をし食事をしたり湯船に浸かったりはたまた愛を囁きあったりするわけですよ。個人的に愛は叫んで欲しいけどね。

それはもう20数年前に(40数年前ですか?もっとですか?)産み落とされたからにはどうしようもなく厳然たる事実なんですよね。

思えばあの頃は寝返りを打っただけでキャーキャー言われスプーンを使えただけでみんながニコニコしてくれトイレで用を足せたら親の親とかに報告されてたんですよ。

それが今じゃ手を汚さずにハチミツをヨーグルトに入れられるし湯たんぽに入れるお湯を沸かすこともできるし一人で寝てても寝坊しないようにアラームのセットもできるんですよ。最近は左ハンドル右車線のドライブだってできますからね(言いたがり)。

だいたい毎日、翌朝のことまで考えて行動しているわけですよ。すごい適応だと思うんですいや本当に。みんなすごいよ。


自分の意思とはまるで関係なく産み落とされて、泣いて栄養とって消化して寝て、それだけでよかったはずなのにだんだんと「食事中は椅子に座りなさい」だとか「おもちゃは譲りあって使いなさい」だとか叱られるようになるんです。辛くないですか?


現代だとトイレトレーニング中にはオムツ姿の写真とともに「いつになったら自分でトイレ行ってくれるんだろう〜」みたいなことをインスタのストーリーにあげられるのかなって想像しただけで恥ずかしいので平成初期うまれで良かったなとちょっと思います。
インターネットは自分だけが楽しみたいタイプ。





なんの話でしたっけ、そうですね死ぬべきか生きるべきかみたいなことでした。

まあ死ぬべきって思ってもだいたい死ねないのでどう生きるかってことなんです。

つまり生きやすい世の中にとか生きづらさを抱えたみんながとかそういうのじゃなくていやまあそれらは大事だしわたしもそういうので生かしてきてもらったみたいなところあるからあれなんだけど、今日なにして遊ぶ?とかほんとそういう話をしようよみんな。

映画みにいくから会うとかじゃなくてさ。ふらっと待ち合わせしてふらっと散歩してふらっとシャボン玉するとかそういうのでいいじゃん。たまにアイスとか食べてさ。帰ったらお餅とか焼いてさ。あ、洗い物とゴミ捨てはよろしくね。


死にたい人が死んじゃったらそりゃまあ寂しいけど国とか行政的にはまあなんかこう、死にたがってるけど死ねなくて生きてるだけで何もできない状況に陥ってる人の方があれじゃないですか、全体主義で考えると。公共の福祉的に言うと。

わたしもそうやって生きてきたからどんな立場からも何も言えないし、生きる方向にエネルギーを向けるとかそういうのなかなか難しいし時間かかると思うんですよね。


というわけで自殺した人の数が減ったとか増えたとかだけで一喜一憂してないで目の前で死にたがってる人に目を向けましょう。

生活保護とか障害年金とかの受給者と精神科病棟の患者には月1でシャボン玉を配ったりしましょうよ、ということです。凧でもいいけど電線とかあれじゃん。



インターネットによって生かしてもらってきたからインターネットには感謝してるしこれからもずっとよろしくねBFF(キラキラ〜ン)って感じだけどだからこそ地に足つけたリアルワールドな生身の人間っぽい生き方と仕事をしていきたいなと最近になって思ったり思わなかったり。

衣食住に近いところとか第一次産業で生きていくのは惹かれるけどやっぱりお友達の二番煎じみたいだし寒いのは嫌だし高度に文明化された社会のぬるま湯に浸かっていたいとも思います。






最後に前略プロフっぽいこと書きます。


兎に角主張したいこと
mixiの紹介文っていい文化だったよね



こんなに毎日毎日、何を書くことがあるっていうんですかね私は。おやすみなさい!

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