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大人になるのがこわかった話

昨日書いた通り、わたしは大人になるのがこわかった。死ぬほど。


死ぬほど、というのは言葉のあやでもなんでもなく、ほんとうに

「大人になる前に死ななくてはならない」

と本気で思い込んでいて、それはなぜかって、ありとあらゆる方向から

「大人になったらちゃんとしないといけない」

って強迫観念が飛んできていて、それによってわたしはべちゃべちゃになっていたから。
ちゃんとなんて曖昧すぎる言葉が全身に塗りたくられていた。


大人になったら一人で何もかもうまいことやらなきゃいけないんだと思っていたし、大人っていうのはそれができると見なされて、当たり前に期待されるんだって、今でもちょっと思っちゃって、そんなのわたしには絶対無理で、だから大人として扱われるのがこわい。


なんでそんなことを考えるのかっていうのはわからないけど、
「大人は自由で自由には責任が伴う」
とかそういう煽り文句みたいなのに影響されてたのかもしれないなって思う。


そして大人は二十歳からかなってなんとなく脳が勝手に判断していた、あの頃の話をすこしだけ。




高校卒業とともにめちゃめちゃ閉鎖的な女の園みたいな環境を抜け出し、学校に通ったり、本を読んだり、遊んだり、学校やめたりしたら1年が経っていて、予備校に通い出していた。


家にいたくなかったから予備校以外で友達をたくさん作って、みんな大学生だったから普通にめっちゃ遊んだ。
夏休みに多摩川で水風船投げたりした。

勉強しろよって思うけど、夏休みは家以外に居場所がなくて窒息しそうだったからという言い訳をする。図書館は暑いし仕方がなかった。
そういうところだけ見たらわたしはほんとうに元気に笑って遊んでるから死にそうなのとか全然信じてもらえなくてなかなか頭抱える。


そんな感じで夏はまあそこそこ楽しく過ごしたし、なんだかんだそれなりにちゃんと勉強したから成績もこんなもんでしょというくらいでなんとか生きてたけど、秋くらいに突然

「もうすぐ二十歳になる」

「大人だ」

「しかも大学生にもなる」

「自由だ」


ってなって、

「無理、死んじゃう」ってなった。
わけわかんねえって感じだけど、あのときはとにかく死ぬと思った。


このままでは生きていけない、みたいな超サバイバルな脳みそになっていて、とにかくその頃にはわたしはまともな大人になれないんだろうなって勝手に決めていた。

ずっと困っていた身体症状についての本を読んだりもして、中途半端な知識をつけたことで余計に自分がややこしくなった。

みんなそんなもんなのかもしれないけど、通過儀礼みたいなもんかなって今は思うけど、とにかく大人になるのが怖くて怖くて、たまらなかった。
他にもいろいろと理由や原因やきっかけはあったと思うけど、この頃は怖さが一番大きかった。


毎日めちゃくちゃな気持ちだった。

週に3回は帰りに商業ビルの屋上を見上げ、2回はエレベーターで登って「あっちのビルの方が高さがあるな」なんて確認し、何回もフェンスをよじ登ってあと2ミリ前に出たら落ちるってところに立ってみたりした。知らない人に大丈夫って聞かれても走って逃げて、そんなときに自分が泣いてることに気がついてそれで生きてることを確認して、いつの間にかカッターを使うことを覚えていて気がついたら予備校でカウンセラーの人に紹介状をもらって大学病院にいた。


浪人生なんてそんな精神状態で当たり前だよって声も聞こえてきそうだけど、わたしはあのとき「やっと助けてもらえる人に会える」って気持ちで、でも実際はそんなことなくて、そりゃそうなんだけど病院に行ったところでそれだけで何かが解決するなんてことはなくて、ただ薬を飲んでぼーっとして冬期講習中は眠くなって、入院しろって言われるのを拒んでいるうちに年を越していて、毎日なにもできなくて、それでも大人になる怖さが消えることなんてなくて、大人になると自分で定めた日が迫ってくるのにただただ怯えて何もできなくて、いよいよ受験シーズンが始まって、いつどの大学を受けたかとか覚えてないけど、あと数日で二十歳になるって日についに耐えられなくなって、なんども確認したビルの屋上にまた向かった。


あと2ミリが怖くなってしまわないようにとコンビニでお酒を買って、フェンスをよじ登り、慣れたものだななんて感心して泣きながらまずいお酒と持ってるだけの薬をすべて飲んで、それでも最後の2ミリは本当に大きくて、うだうだしているうちに消防か救急か警備かよくわからないけどおじさんがいっぱいきて、意識が戻ったときには病棟にいた。


それは医療保護入院というもので、わたしの意思なんてひとつも関係なく閉鎖病棟に閉じ込められるものだった。


なにもかも禁止で、いま思えば仕方ないんだけど、とにかくなにも許されなくて、ときどき肢体拘束もされて、面会に来れるのは親だけで、親がくると乱れるってわかってて主治医はそれを見過ごして、まわりの患者もいいわね優しい親御さんねなんて言ってきて、地獄だった。


二十歳の誕生日は大人になってしまったという思いだけで一日中泣いていた。日付が変わった瞬間から看護師さんに嘆いた。ちゃんと生きられないのに、なんで生かされてるの?こわいよ大人になんてなれないよ、って。


2月が終わるころ、退院していいよって言われた。気持ちは何も変わってなかったし、実際その後どこへ行っても「この高さなら死ねるかな」ばかり考えて死に場所を探してた。あの入院に意味はあったのか。


それからなんとか受かっていた大学に通って、その間もずっと通院したけどずっとフェンスをよじ登ったしカッターも手放せなかったしそのうちODとか硫化水素とかも覚えて、ただただ薬を飲んで泣いてまた入院しろって言われて拒否して、あの日々はなんだったんだろう。



ゼミの担当教授にボロクソ言われながらも4年で卒業して、5月から働くんだって決めてGW明けに4日だけ出社して、やっぱり全部無理だ大人になんてなれない働けない怖い全部怖い怖い怖いってなって帰りに線路に飛び込もうとしてまた閉鎖病棟に入れられて、それは措置入院というもので、というのはまた別のお話。









相変わらず猫背は治らないし過食もするし謝るのは苦手だしビルに登るとこの高さなら死ねるなとか考えるし、疲れるとすぐ泣くし怒ろうとしても泣くし体はかたくなるし税金とか難しくてわからないし、風邪ひくし虫歯にもなるけど、生きててびっくりする。

生きていけないなんて考えてめちゃくちゃ泣いたけど、とりあえず生きてて、大人になっても誰かが助けてくれて甘やかしてくれてて、びっくりしてる。ほぼ毎日


なるべくはやくわたしも人を助けられるようになりたいな、なんてそんなこと言っても、今はまだそうしてもらえてるけどあと3年もしたら誰も手を差し伸べてくれなくなるんじゃないかなんて、大人になれないわたしは今日も嘆く。




明日から数日、ホテル暮らしです!




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