『巨匠とマルガリータ』と〈悪魔を憐れむ歌〉――ブルガーコフとストーンズ

(初出:「ロックジェット」Vol.20、2005年)

60年代ポップ的な小説

 ローリング・ストーンズが《ベガーズ・バンケット》(1968年)で発表した〈悪魔を憐れむ歌 Sympathy For The Devil〉の詞が、ミハイル・ブルガーコフの小説からインスピレーションを得ていることはこのバンドの研究本にはたいてい記されている。作品に魅了されたマリアンヌ・フェイスフルが当時恋人だったミック・ジャガーに読むよう薦めたのだという。
 その小説、『巨匠とマルガリータ』(昔は『悪魔とマルガリータ』の邦題で知られていた。原題は『マスターとマルガリータ』)を実際に読んだストーンズ・ファンは、さほど多いとは思えない。だが、奇想天外でかなり面白い話であり、もっと読まれていいはずの本だと思う。
 ブルガーコフ(1891年生-1940年没)は、ロシアが「ソ連」だった時代に執筆した人であり、革命後の社会を風刺した彼の小説や芝居はたびたび発表禁止になった。圧制で記憶される為政者スターリンの気まぐれに運命を弄ばれ、何年も書き続けた『巨匠とマルガリータ』は結局、ブルガーコフの生前には出版されなかった。同作は66-67年にようやくソ連で発表され、その後、急速に各国へ紹介が進んだ。西側諸国ではちょうどロックというジャンルが急成長していた頃であり、「サマー・オブ・ラブ」と呼ばれた67年にサイケデリックがブームとなる一方、ベトナム戦争反対や反体制運動などが盛り上がっていた時期でもある。
『巨匠とマルガリータ』は、モスクワの池のほとりで、作家協会の議長と詩人が無神論談義をするところから始まる。そこに現われた謎の外国人は、2人の文学者に対し、大昔の出来事を見てきたように語る。総督ピラトがイエス・キリストを審問した『聖書』の時代の光景である。2人はその場面を聞くだけでなく、まるで目撃したかのごとき感覚になる。議長はその直後、外国人の予言通り、電車に轢かれ首をコロリンと切断され死んでしまう。謎の外国人は、悪魔ヴォランドだったのだ。悪魔はこれを皮切りに、次々に怪事を起こしモスクワに混乱をもたらす……。
 ふり返ってみると、1928年頃から書き始められた『巨匠とマルガリータ』は、結果的に様々な面で60年代の空気と親近性のある内容を持っていた。ドラッグによる幻覚体験が注目された60年代には、若者が『指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)』を愛読するなどファンタジーが好まれていた。そんな「幻覚/幻想」流行りの一環として、魔術への注目もあった(ケネス・アンガーが作り続けていた映画『ルシファー・ライジング』とミック・ジャガーのかかわりなど、ストーンズは繰り返し魔術方面でも噂や話題になった)。だから、もらったお札が紙くずと化したり、流行ファッションを着たつもりが下着姿になっていたり、悪魔が人々に幻覚を見させる『巨匠とマルガリータ』が、マリアンヌやミックのような60年代後半の西側の若者に“発見”され、面白がられたのは理解できる。
 また、小説中では悪魔の罠に落ちた人々が官憲に捕まる。自分が遭遇した怪事を懸命に説明したせいで、精神病院に入れられる人も続出する。このへんの展開はソ連における粛清を風刺したといわれるが、それとはべつに、小説『カッコーの巣の上(郭公の巣)』(62年)を連想させもする。LSDの服用イベント、アシッド・テストを行ったことでも知られるケン・キージーの書いた『カッコーの巣の上』は、当時のカウンター・カルチャーで話題になり、後に映画化もされている(75年。主演は60年代ポップ・カルチャーを象徴する映画『イージー・ライダー』にも出演したジャック・ニコルソン)。それは、管理社会の縮図である精神病院における患者たちの抵抗の物語であり、やはり精神病院での医者と入院者のやりとりをコミカルかつ皮肉に描いた『巨匠とマルガリータ』と通じるものがあった。
 さらに『巨匠とマルガリータ』は、イエスを裏切った後、自殺したとされるユダが殺害されたと書くなど、『聖書』を自由に解釈している。これに対し、『ジーザス・クライスト・スーパースター』のアルバムが作られたのは70年(舞台初演は71年)。このロック・ミュージカルも、イエスと使徒たちの集団を自由に解釈し、ヒッピーと重ね合わせて造形したのが斬新だった。
 このように『巨匠とマルガリータ』は前の時代のロシア文学でありながら、60年代の一連のポップ作品と共振する質を持っていた。そのポップさは、21世紀の今になっても楽しめるものであり再評価されていい。

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