新本格ミステリ=パンク/グランジ説――ロックで読んだ法月綸太郎

(初出:「e-NOVELS」、2000年)

前口上

 以下の文章の原形は、法月綸太郎(のりづきりんたろう)が長編としては10年ぶりとなった『生首に聞いてみろ』(2004年)を刊行する以前(2000年)に書かれたものである。したがって、なかなか新作長編を完成できない法月の苦悩がテーマになっていた。



本来の序

 私は、法月綸太郎と同世代のロック・ファンである。法月は小説中でもあとがきでも、しばしばロックに言及しているが、そのセレクションや取り上げ方にはニヤリとしてしまう。彼が聞いてきたものと私が聞いてきたものは相当だぶっているようだし、同じような聞きかたをしているなと思うことが多いのだ。
 例えば、『法月綸太郎の新冒険』(99年)に収録された短編「背信の交点 シザーズ・クロッシング」。ここには、ワイアーなんてマイナーなバンド名が出てくる。
 名探偵兼作家の法月綸太郎(作者・法月と区別するため作中人物は以下「綸太郎」)は、短編の締切がもうじきだというのに構想がまとまらない。そんな状態のまま、旅行に出かけた帰りの列車内。綸太郎はウォークマンでワイアーを聞いている。ワイアーを知らなければ、すっと読み流す部分だろう。ワイアーとは70年代後半にデビューしたイギリスのニュー・ウェーヴ・バンドだが、彼らは「ロックでなければなんでもいい」という発言で知られていた。執筆が滞っている綸太郎は、「ミステリでなければなんでもいい」と、どんよりしていたのだろうか? そんな風に想像すると、ちょっとおかしい。
 さて、法月はミステリ作家であると同時に、現代思想を援用した難解なミステリ評論を書く人でもあった。今回の原稿では、彼のロックへの言及をテコに、法月ワールドに裏口から迫ってみることにしたい。彼がロックを語る時、評論家的な姿勢が若干薄れ、ロマンティシズムやセンチメンタリズムがこぼれ出す傾向が感じられるからだ。法月はこれまで、ロックを比喩に使ってミステリを語ることもよくしてきた。したがって彼のロックへの言及を考察することは、ミステリに対する心情をみることにもなるだろう。

新本格=パンク/グランジ

 法月が過去に小説、あとがき、エッセイ、解説、インタヴューなどで触れてきた英米ロックのバンドやアーティストをざっとあげてみよう。
 A キング・クリムゾン、ルー・リード、ドアーズ、ニール・ヤング、ビートルズおよびジョン・レノン。
 B セックス・ピストルズ、PIL(パブリック・イメージ・リミテッド)、テレヴィジョン、ザ・ポップ・グループ、ギャング・オブ・フォー、ジョイ・ディヴィジョン。
 C ニルヴァーナ、パール・ジャム、ストーン・ローゼズ、ライド。
 私の好みもいささか混じった列挙だが、法月が文章上で明らかにした嗜好はだいたいカヴァーできているはず。Aは60年代−70年代前半のロック・クラシック、Bは70年代後半−80年代初頭のパンク/ニュー・ウェイヴ、Cは80年代末期以降のロック(グランジ・ムーヴメント以降のアメリカもの、マッドチェスター・ムーヴメント以降のイギリスもの)という色分けになる。
 リストを眺めてみると、スタジオ録音における操作でサウンドを丸くしたものより、生々しい方が法月の好みだとわかる。特にギターの鳴りかたに関しては、轟音で荒っぽいものか、神経質でギクシャクしたものに興味が集中している。流麗に甘いフレーズを弾くプレイヤーはあまり見当たらない。
 上記3分類において、法月のミステリ作家としてのスタンスと関連するのは、B、Cである。彼は、不可解な謎、意外な真相、合理的な解決を信条とする本格ミステリ(1920年代に英米で黄金期だったとされるミステリのジャンル)を、80年代後半以降に日本流に復活した、いわゆる「新本格」ミステリの流れから登場した作家だった。

 新本格はパンクだと野崎さんが言ったのは正しいし、米国のグランジ・ムーヴメントっていうのは、担い手の社会的な階層を捨象すると、ある時期すごい似ていた気がして。今のヒットチャートはくだらないけど、昔のものはいいんだとか、いろんな音を体系的に聞いて、取捨選択して自分にふさわしいスタイルを見つけていくわけですよ。自分が作っている音楽はロック史へのリスペクトであって、全く新しいオリジナルだとは思っていない。
(山口雅也監修、千街晶之・福井健太編『ニューウェイヴ・ミステリ読本』原書房97年収録の法月インタヴュー)

 ここで法月は、評論家・野崎六助が提唱した新本格=パンク説を拡大して新本格=グランジ説を唱えている。この発言の直後には、「僕の理論はほとんど瞬間芸みたいなものですけどね(笑)」と言いつつ、新本格=ヌーヴェル・ヴァーグ説を開陳しているが、前段の新本格=パンク/グランジ説にこだわってみたい。というのは、同説には山口雅也や有栖川有栖なども同調していたし、ロック好きの新本格作家には受け入れられた節があるからだ。
 図式的かつ簡単に説明すると、60年代にビートルズ、ローリング・ストーンズなどを中心にジャンルが確立されたたロックは、既成社会に不満を持つ若者が容易に反発の意志を表現できる手段として革命的だった。ギターをジャカジャカ鳴らしてイェーッて叫べばいい。しかし、ジャンルが進化し細分化していく過程で表現は洗練されるが、初期衝動は薄れ、商業的に肥大していく。その揺り戻しとして、70年代後半にパンクが登場する。パンクの粗野なサウンドは、商業主義からの切断であると同時にロックが本来持っていた初期衝動の回復という二重の意味を持っていた。
 でも、パンク・ムーヴメントはイギリスではシーンに影響を及ぼしたものの、アメリカでは大きな動きにならなかった。アメリカでは90年代初めにニルヴァーナのブレイクをきっかけに起こった轟音ギターのグランジ・ムーヴメントが、パンクの役割を果たした。法月がパンクとグランジを同列に語っていたのは、このためである。
 日本で80年代後半に登場した新本格においても、西村京太郎などトラベル・ミステリの隆盛に象徴される謎解きの妙味を欠いた売れ線ミステリとは一線を引き、黄金期本格ミステリへの回帰が目指された。謎解きに関する初期衝動の回復だ。その意味で法月、山口、有栖川らが新本格をパンクに重ねたのは理解できる。

クイーンの王国に未来はない

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