神さま、そしてカカシ――伊坂幸太郎とボブ・ディラン

(初出:「ロックジェット」Vol.28、2007年)

神さまとしてのボブ・ディラン

 伊坂幸太郎の小説は数多く映像化されているけれど、なかでもできがいいといわれているのが、2007年に映画化された『アヒルと鴨のコインロッカー』(小説は2003年)である。
 仙台で大学生活をスタートした椎名は、アパートの隣人、河崎から「一緒に本屋を襲わないか」と誘われる。河崎は、孤独なブータン人留学生ドルジに、広辞苑を贈りたいのだという。その2年前、仙台ではペットの虐待事件が連続しており、ドルジと恋人の琴美は犯人に遭遇していた。そして椎名も、彼らの物語に巻き込まれていく……。
 原作小説には、活字ならではと思われるミステリ的な驚きの仕掛けがあったので、映像に移しかえるのは困難と思われた。しかし、監督・脚本の中村義洋は、無理のない方法を選び、原作にかなり忠実に映画化している。意識のすれ違いによって悲喜劇を演じることになる青春群像が、ミステリ的な面白さを消すことなく、よく描かれていたといえる(出演は、濱田岳、瑛太、松田龍平、関めぐみ、大塚寧々など)。
 物語では、ボブ・ディランの〈風に吹かれて〉がポイントになっている。この曲を口ずさんでいた椎名に河崎が声をかけたのが、2人の出会いだった。椎名は本屋襲撃の際、河崎から〈風に吹かれて〉を10回歌い終わるまで裏口にいることを命じられる。そのほか、映画では登場人物が〈風に吹かれて〉を口ずさむシーンが多く、ボブ・ディラン本人の歌声も繰り返し流れる。また、ディランに関しては、「あの声は、神さまの声だ」というセリフが出てくる。そのうえで、原作も映画も、「神さまを閉じ込める」ことが重要な意味を持っている。神さま=ボブ・ディランは、物語において印象的な地位を与えられているのだ。
 映画『アヒルと鴨のコインロッカー』のチラシには、「神さま、この話だけは見ないでほしい」という文章が書かれていた。また、「時におかしくて、切ない物語が交差する」というフレーズもあった。人間個々の物語がどのように交差しあっているのか、一人ひとりにはなかなかすべて見渡せない。その全体を見渡せるのは、神さまくらいのものだろう。そして人には、神さまに見てもらいたくない時もある。ボブ・ディランは、そんな意味での神さまに喩えられている。
 ディランが21歳の時、《フリー・ホイーリン・ボブ・ディラン》(1963年)に収録した〈風に吹かれて〉は、ベトナム戦争に対する反戦歌として有名になった。ディランはプロテスト・シンガーである、というイメージを定着させた曲でもある。彼は若くして、時代を見通し世界を憂う預言者のごとく扱われた。しかし、プロテスト(反対する、主張する)・ソングの代表とされる〈風に吹かれて〉は、戦争をやめろとはっきり歌っているわけではない。戦争にまつわる光景を詞にしながらも、サビでは「答えは風のなか」と繰り返す。世界の愚かさや悲しさを見抜いてはいるが、それを直接どうこうしようとはしない。そのように、ある種、神に似た視点から歌われている。このことを考えに入れれば、『アヒルと鴨のコインロッカー』で、ボブ・ディランが神さまに喩えられるのは、いかにもふさわしい。
 伊坂幸太郎の小説群は、それぞれが微妙にリンクしており、同じ人物やモチーフが別の作品に出てくることが珍しくない。ユーモアと切なさの絶妙なブレンド、気のきいたセリフ、遊び心のある設定。それらの魅力が読者をひきつけるだけでなく、小説群がリンクしあうことで「伊坂ワールド」の全体をもっと知りたいという興味をかき立てる。
 ボブ・ディランの名は、『チルドレン』(04年)という本にも出てくる。この小説では、後に家裁調査官になる陣内が一風変わった男として描かれる。彼は、アーケードから外れた裏道でギターの速弾きをしながら歌っている時に、もう1人の主要人物とはじめて出会う。その歌は、原曲とメロディもテンポも違う滅茶苦茶なボブ・ディランだった。でも、陣内は「自分の音楽は正真正銘のパンクロック」と胸を張る。
 また、『フィッシュストーリー』(07年)の表題作にもこのシンガーの名は出てくるが、『アヒルと鴨のコインロッカー』にあったテーマ性との近さでは、『ラッシュライフ』(02年)でのボブ・ディランの使いかたが興味深い。すれ違ういくつかの物語が交差し、意外な全体像を描くのは伊坂幸太郎の得意パターンだが、デビュー2作目の『ラッシュライフ』はそれを極端な形でやっていた。ここでは、新興宗教教祖の死体解体、泥棒同士の鉢合わせ、歩き出す轢死体、拳銃を拾った失業者、強欲な富豪という五つの物語が鉄道路線図みたいに交差する。このなかで、人から予言者と思われ「神さま」と呼ばれる教祖、高橋の死体が解体されている部屋の隣から、ボブ・ディランが聞こえてくる。その時、登場人物は、「フォークの神様だ。あそこにも神様がいる」と口にする。
『ラッシュライフ』は、後の『アヒルと鴨のコインロッカー』と同じく、神さまみたいには全体を見渡すことのできない個々人の悲喜劇がテーマ。すべてを見通す神さま=ボブ・ディランが持ち出される意味あいも、2作で共通している。

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