王者たちの帰還 ―― クイーン+ポール・ロジャース JAPAN TOUR 2005    記者会見から来日公演まで

(初出:「ロックジェット」Vol.22、2005年。同年のクイーン+ポール・ロジャース来日に関する原稿)


10月24日 成田空港 記者会見

  10月22日にロサンゼルス公演を終えた一行の乗った飛行機が、18時すぎに到着。ブライアン・メイとロジャー・テイラーの2人組になったクイーンと、今回ヴォーカルを務めるポール・ロジャース(元フリー~バッド・カンパニー)の3人が空港内に用意された会見場に現れたのは、19時20分のことだった。

 すでに行われたイギリスでのライヴの映像は、芸能ニュースやイベントなどで一部見ていたが、その時よりもロジャーのルックスがすっきりしていたのに驚く。お腹はやはりせり出していたものの、中途半端に伸ばしていた髪は、短く刈っていた。また、顔の輪郭もほんの少しだがシャープになり、ちょっと若返った。この人、もとは美男子だった、と思い出した。

 一方、ブライアンは多少密度が薄くなったとはいえ、いまだにあのカーリーヘアなのであった。自分が30年間、クイーン・ファンであり続けてるってことは、30年間この頭の行方を追ってきたわけだ。髪型が頑固に変わっていないのも、なんとも感慨深い。

 そして、ポール・ロジャースだ。ブライアンとロジャーにはさまれて立つと、彼は2人よりも身長が低い。これは意外だった。フレディ・マーキュリーの華やかさに比べると、ポールは渋い、地味――なんて先入観を持っていた。ところが、ポールもフロント・マンならではのオーラを発しており、物理的な身長よりずっと大きくみえる。なにもしないで座っているだけでも、のっぽのブライアン、横幅のあるロジャーを越えるくらいの存在感がある。そういえばフレディも、大観衆を自在に操っていたのに、背は高くなかった。

ロジャー「コンサートではフレディの魂が背後にいるように感じる。フレディとバンドと観客が一体になれる曲もあるよ。でも、ポールにはポールの素晴らしいスタイルと歴史がある。彼がフレディになる必要はない」

ポール「フレディと僕の共通点はパッションさ。僕も彼の魂を感じるけれど、自分なりの解釈で歌っているよ。〈オール・ライト・ナウ〉を歌う時には(フリーで一緒だった故)ポール・コゾフの魂を感じる」

ブライアン「この組合せは無理だといわれたけれど、自分たちはポールから影響を受けてきたんだ。僕が曲を書いて持っていくと、フレディから『ポールみたいに歌うよう期待してるのかい?』といわれたこともある」

 2004年に催されたフェンダー・ストラトキャスターの記念コンサートで、ブライアンとポールが〈オール・ライト・ナウ〉で共演(映像はWOWOWで放送。DVD『STRAT PACK』も出た)。続いて「ロックンロール・ホール・オブ・フェイム」のイベントでロジャーも加わり、3人が〈オール・ライト・ナウ〉、〈ウィ・ウィル・ロック・ユー〉、〈伝説のチャンピオン〉を演奏し手応えを得たことが、クイーン+ポール・ロジャースの合体ツアー実現のきっかけになった。リハーサルではクイーンのあらゆる曲を試してみたが、先にあげた以外では、〈タイ・ユア・マザー・ダウン〉を演奏した時、「これで、やっていける」と思ったそうだ。

 日本用の演出の有無を質問され、ブライアンが逆に「なにが聞きたい?」と問い返す。記者席から「アイ・ワズ・ボーン~」と歌声があがると、それが主題歌となったドラマ『プライド』のキムタクのセリフを真似て、ロジャーは得意げに「メイビー」と答えた。長旅のあとだけに疲れはあったようだし、途中でマイクの電源が落ちるアクシデントもあったが、会見はなごやかなムードで進んだ。

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