村上龍とドアーズ、そしてヴェルヴェット・アンダーグラウンド

(初出:「ロックジェット」Vol.14~16、2004年)

バンドの親近性

 60年代の米国ロックに関する文章を読むと、ドアーズとヴェルヴェット・アンダーグラウンド(以下、ヴェルヴェッツ)を正反対のバンドとみるものと、近しいバンドととらえるものの両方がある。ドアーズのファースト《ハートに火をつけて The Doors》と同じくヴェルヴェッツのデビュー作《ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ》は発表された。しかし、ドアーズがとっつきやすいオルガンの響きとポップなメロディでシングル・ヒットを連発したのに比べ、ヴェルヴェッツはフィードバック・ノイズと現代音楽的な反復性で一般性がなく、60年代の活動中には商業的に成功しなかった。彼らが評価されたのはずっとあとのことである。このため、ショウビズのアイドル=ドアーズ、マイナーな実験集団=ヴェルヴェッツと対照的なイメージがあったりする。
 その一方で、ドアーズはグッド・トリップ、ヴェルヴェッツはバッド・トリップを描く違いはあるものの、いずれもドラッグ体験による知覚の変容を音楽のテーマにしていた。ロック史では両方とも、サイケデリック・レヴォルーションの67年を象徴するバンドとして記憶されている。
 また、ドアーズのジム・モリソンが〈ジ・エンド〉で母との近親相姦や父殺しを歌ったのに対し、ヴェルヴェッツのルー・リードはファーストで同性愛やSMを歌った。ジムとルーはどちらも文学好きの詩人タイプであり、それまで詞にされることのなかった禁忌をモチーフにした点で共通していた。さらに〈ジ・エンド〉のシタールを模したギターがそうだったように、ヴェルヴェッツのジョン・ケイルが弾くヴァイオリンやピアノの反復フレーズは呪術性を帯びており、都会生活者の儀式音楽とでも呼びたくなる響きがあった。
 それら以上に重要な共通点は、ドアーズとヴェルヴェッツがコンセプチュアルでアーティスティックな創作姿勢を持っていたこと。UCLA演劇学部映画科出身だったジムは、27歳で早死にしたこともあり、結局、ろくな映像作品を残せなかった。だが、詩やサウンドには演劇的、映画的な視覚感覚を多く盛り込んでいた。一方、ポップ・アートの鬼才アンディ・ウォーホルが後押しして浮上したのがヴェルヴェッツだった。ウォーホルは、自作フィルムにダンサーやライト・ショーを加えたマルチ・メディア・ショー「エクスプローディング・プラスティック・イネビタブル」を催し、これにヴェルヴェッツが加わったのがバンド・デビューのきっかけだった。ドアーズもヴェルヴェッツも、ロック馬鹿が土着性や肉体性にのっとって直情的に音を出すのではなく、ロックの枠にとどまらず他ジャンルと交差するアート性を有していた(もちろん彼らにも直情性はあり、直情とクールの間で揺れ動き安定できなかったのがジムなのだが)。
 その後、70年代末以降のニュー・ウェイヴが引き継いだのは、ドアーズやヴェルヴェッツにあった直情的ではないロック感覚だった。直情的すぎて短命だったオリジナル・パンク・ムーヴメントに続いて起こったニュー・ウェイヴは、クールな距離をおきつつロックの枠を越えたアート性を志向したのだから。
 そして、同時期に日本でドアーズやヴェルヴェッツに注目していた1人が、村上龍だった。

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