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クラブグランパス「祝!5周年」に寄せて

本日2024/4/24、大須商店街にある名古屋グランパス公式グッズショップ「クラブグランパス」がオープン5周年を迎えられました。

本当におめでとうございます!

私はこのショップが大好きで、名古屋グランパスにとっては今や欠かせない「ファミリー」の一員であるとも思っています。

そんな私の超個人的なクラブグランパスへの想いを、こちらのnoteで失礼させていただきたく思います。

よろしければ、最後までお読みくださいますと嬉しいです。

ライバルクラブに憧れて

2016年の暮れ。一つのTweetが目に入りました。アビスパ福岡がクラブ初の「オフィシャルグッズショップ」を博多駅前にオープンすることを伝えるニュースに関するものでした。

もう当該ニュース記事はリンク切れとなっており、その時に福岡サポーターの方が呟かれたTweetを見つけることはできなかったのですが、下記のような具体的な場所や店内の様子を伝えるものであったこと、福岡のパートナー「アマパンショップ」によるサポートがあったという記述があったことを覚えています。

こういった福岡のショップ関連のニュースやTweetを見て、当時グランパスのスタッフであった私は、直ぐに同僚にシェアして「羨ましいね」「うちも作りたいね」と話をしました。そして、「栄にあのままショップがあったら良かったのにね」と、何度か話したことのある話で、その時の会話は終わったのでした。

その2016年12月から遡ること9年、2007年12月。名古屋グランパスのグッズ路面店「初代 クラブグランパス 」は、その幕を静かに閉じました。そのニュースを探したのですが、Googleは教えてくれませんでした。その閉店理由は、中日ビルに程近い好立地も影響したのでしょうか、採算性が災いしたと聞いたことがあります。

その跡地は私の自宅から程近く、しかし前を通り過ぎるたびに空き家であった記憶しか思い出せません。その立地の良さとは裏腹に、ビルの外側に設置された階段を登らなければならない2階に位置していた、ということもネックだったのだろうと今感じます。

翌年からJ2へと戦いの場を移すことになっていたアビスパ福岡と名古屋グランパス。あの時は、福岡の皆さんも辛い年の瀬であったと思うのですが、こうした明るいニュースがあるだけ羨ましく感じましたし、ただでさえ最底辺の時期を過ごしていた私は、「方や名古屋は…」と、更にやさぐれていたのでした。

※なお、旧クラブグランパス の跡地には、2021年に「ディスクユニオン」がオープン。ようやくこのスペースも落ち着き、栄/東新町の街に更なる活気が生まれました。

この街にグランパスがある意義

2010年代中頃、世の中が更なる「オンライン」の隆盛を誇っていたとは言え、グランパスもオフライン、いわゆるリアルにおける露出とブランディングを重要視していました。

2015年7月上旬、私はグランパスの中途採用一次面接を受けるために当時の栄のオフィスへ向かう
べく、地下鉄東山線の栄駅から地上へ向かう階段を昇っていました。そして昇り切ったその視界に、久屋大通の沿道に連なる名古屋グランパスのバナーが飛び込んできました。

残念ながら、その時のバナーを写真には収めていなかったのですが、栄の街では田鍋陵太選手(現在はサッカースクールを主宰)が写った行政のポスターなど、グランパスに関する掲出物を見る機会が多くあり、おべんちゃらでなく面接で「名古屋でグランパスは愛されていますね」と、口にしたことを覚えています。

2015年7月上旬
名古屋市栄の某所にて筆者撮影

東京からやって来た私がそう感じるくらい、栄をはじめとして「グランパスサポートタウン」における当時の露出は、ホームタウンチームのスタッフの尽力により、功を奏していたのだと思います。

ただ、いわゆる県外からの玄関口である名古屋駅や中部国際空港や、テレビ塔やオアシス21などの有名スポットでの露出はまだまだ弱かったのも事実で、クラブの課題でもありました。

その中で、「クラブグランパス 」のようなリアル店舗の重要性はクラブスタッフの誰もが抱いていて、日々の会話やMTGなどでも度々話題に上っていました。しかし、なかなか良いアイデアを見出せていなかったのも事実でした。

きっかけはJ1復帰

その突破口を開いてくれたのが、2017シーズンの「J1復帰」でした。

2017/12/3(日)、昇格プレーオフでJ1復帰を果たしたグランパスは、そのシーズンのお礼にと、シャーレと共にお世話になった関係各所へ「お礼行脚」をしました。

各行政やパートナー各社など、そのシーズンに多大なるお力添えをくださった関係各所様へ、小西工己社長が「J1昇格シャーレ」 と共に足を運ばれ、お礼をお伝えされたのでした。

何ヶ所か私もお供しましたが、それぞれ場所で大歓迎を頂き、お互い笑顔しかない、多幸感に溢れた行脚でありました。

※行脚の様子の一部は、上記動画でご覧いただけます。

その行脚の中で、小西社長は大須商店街にも足を運ばれました。その場でたくさんのお話があったのでしょう、小西社長が後日「過去に大須商店街を選手たちが歩くイベントがあったそうじゃないか」と興奮された様子で、私たちスタッフへお話されたことを覚えています。

その「練り歩き」はその2ヶ月後の2月下旬に、早々に実現することになったのですが、

同時に、大須商店街さんと小西社長との間で、リアル店舗の出店に関するアイデアが出ていたことを、その後に知るのでした。

私自身が最初にクラブグランパスの復活プロジェクトを知ったのは、グッズ担当が笑顔で見せてくれた建築パースによってでした。そのスタッフは嬉しそうに内装の構想を話してくれました。

「名古屋グランパス 公式サイト」より

そして、肝心の場所を教えてもらった私のテンションも、その時MAXになったのでした。その出店場所が、愛知のローカル番組でよく映る、あの大須商店街のゲートのすぐ近くだったからでした。

2024年2月 筆者撮影

その時から、どうやって盛り上げようか、どうやってPRしようか、皆で議論しました。そのプロジェクトは、そのシーズンのチームはJ1残留争いをしていたこともあり、精神衛生を保つ意味でも、大事な業務であったように思います。

笑顔しかなかったオープン初日

迎えた2019/4/24のオープン当日。その日は、昨年末にクラブから離れた私にとって、「2017/12/3 J1昇格プレーオフ」、「2021/10/30 JリーグYBCルヴァンカップ 決勝」に並ぶ、忘れることのできない大切な日になりました。

あの日の光景、あの日の各メディアの報道、あの日の各SNSのタイムライン…。名古屋に元気と笑顔を届けられたような気がして、「本当に名古屋へ来て良かった」と思った、忘れることのできない一日になったのでした。

初めての選手イベントは突然に

そのオープニングイベントが終了してホッとしていたところ、私のスマホに着信がありました。同じ部署の西村弘司さんからでした。

「マルがそちらに行きたいと言っていて…」

その日のトレーニングを終えた丸山祐市選手(現川崎フロンターレ)が「クラブグランパスを訪れたい」と、ニシさんへ相談したということでした。

ただ見に来たいというわけではないことは直感しましたので、「練習後なのに?」とニシさんへ返すと、「全然大丈夫と本人は言っている」とのこと。

直ぐにショップに残っていたスタッフと協議し、受け入れ態勢を整えました。しかし、午前中に大須商店街の皆さんに多大なるお力添えを頂いていた中で更なるご迷惑はかけられないと、告知はしないことに決めました。

「着いた」という電話と共に、クラブグランパスへと颯爽と歩いてくる丸山選手。オープニングイベントの喧騒から少し落ち着きを取り戻した大須商店街を闊歩するその傍らには、何故か成瀬竣平選手もいました。

2017シーズン、ラジオの生出演のためZIP-FMに到着した田口泰士選手(現ジェフユナイテッド市原・千葉)が、事前相談してくれないまま、杉本竜士選手(ザスパクサツ群馬)を連れてきたことを私は思い出しました。あの日も、急遽台本を差し替えていただくなど、ドタバタしたのでした…。

そして、丸山・成瀬の両選手共に私服だったので、ショップにあったトレーニングウェアに着替えてもらい、ゲリラ的なレジ対応がスタートしたのでした。

クラブグランパスの復活にあたって、選手イベントをしようという計画をしていましたが、オープンした初日に実現してしまうとは想像していませんでした…。それでも偶然居合わせていたお客さまの笑顔を拝見し、オープニングイベントの疲れは吹っ飛びました。

名古屋グランパスの腕章は、2016シーズンにキャプテンであった田口泰士選手から2017シーズンに佐藤寿人選手へと受け継がれ、この2019シーズンからは丸山選手へと引き継がれていました。

泰士選手と寿人選手の日頃の言動はもちろん、丸山選手のあの日の振舞いと心意気にも、名古屋グランパスのキャプテンとしての真髄を教えていただいたように思います。

※2024/4/24 23:00 追記
オープン初日、メ〜テレの取材が入っていて、青木亮太選手の中継収録(録画放送)があったことをすっかり失念していました…。

ですので、初めての選手イベントは青木選手でした。失礼いたしました🙇

指摘くださったみかべさん、ありがとうございました。感謝いたします🙏

再び、この街にグランパスがある意義

あれから5年、クラブグランパスはクラブだけでなく、名古屋の街にとって、より大切な存在になったのではないかと思います。

私も大須商店街へ行くたびに訪れていて、本当にこの街にグランパスが溶け込んでいることを実感しています。

J1昇格と大須商店街が紡いでくれた「クラブグランパス」の復活。クラグラの、これからの益々のご健勝とご発展を心から祈念し、この私的な文章を終わらせていただきます。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

2024年4月24日 筆者撮影

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