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【初めての地方遠征 #1】『山里亮太の140』奈良公演

先週土曜日の2024年1月13日、いわゆる“推し活”において、生まれて初めての“地方遠征”をしました。

推しを求めて奈良へ向かった私は、ふとしたきっかけで大阪へと足を伸ばし、その街で新たな推しに邂逅することになり…。

意図しない形で1泊2日に渡ることになった、初めての“地方遠征”。その遠征記を、こちらのnoteにて失礼させていただきたく思います。

2018.9.1  天才に救ってもらった話

6年前の2018年、仕事でメンタルをやられてしまっていた私の心の拠り所はラジオでした📻

特に木曜日にタイムフリーで聞く『山里亮太の不毛な議論』(以下、『不毛な議論』)は、火曜-日曜勤務という不規則な勤務スケジュールであった私にとって、仕事を乗り切るためにチャージするエナジードリンクかの如く、日曜日まで走り抜けるために、週半ばにおいて欠かせない存在でした。

特に底辺に沈んでしまっていた6月、その『不毛な議論』にて、MCの山里亮太さん(以下、山ちゃん)によるソロライブ『山里亮太の140』(以下、『140』)が、9月に愛知で開催されるという告知がありました。

不毛リスナーとして、山ちゃんにとって『140』が大事なライフワークであることを『不毛な議論』でのエピソードトークを通じて知っていましたが、そのライブイベントは終了して会場を出た瞬間に、イベント内容が頭から雲散霧消してしまうとのこと。いまいちイベント内容について理解できていませんでしたし、イベントそのものにも特に魅力を感じることはありませんでした。

ただ、海の底に身体が沈み続ける感覚があり、いつ海面に顔を上げることができるかのさえ全く想像することができない日々を過ごしていた私は、「とりあえず9月まで頑張るための指標」として、その愛知での『140』へ行ってみることにしました。

ただ、2011年にスタートして以来、8年に渡り全国各地で開催され続けてきた“天才”山里亮太によるソロライブ、安易な気持ちで行こうと思いついた人間が簡単にチケットを手に入れられるようなものではなく、当時まだ規制が無いに等しかったアンオフィシャルの二次流通市場で、ようやくチケットを手に入れたのでした。

なんとか生き延びて迎えた9月1日、会場の「名古屋中小企業振興会館・吹上ホール」へ向かった私は、あろうことかライブの時間を一時間勘違いしており、開演から約30分過ぎたところで会場に足を踏み入れたのでした。

ライブの特性上、その内容を全く思い出すことができないのですが、初めて眼前に現れたステージ上を闊歩する山ちゃんのその脚が、オードリー若林さんが予々指摘していた通りにとても長く、そして着用されていたスーツがとても似合っていて、且つ至極上質なものであったことだけは憶えています。

そして、今では考えられないですが、ライブ終了後のロビーで、山ちゃんと触れ合うことのできる時間が設けられていました。

そしてそして、今でも考えられないですが、ロビーに現れた山ちゃんを取り囲んでいたのはわずか4-5人。不毛リスナーのコミュニケーションスキルの低さと言いますか、慎ましい人柄と言いますか…。

その光景に「BOSSに恥をかかせるな!」と憤怒しつつ、「ひょっとしたらサインもらえたりして」と、山ちゃんの著書『天才はあきらめた』を鞄に忍ばせていた私は、その脇を(山ちゃんの顔すら見れずに)通り過ぎ、静かに帰宅の途に就いたのでした。

今こうしてnoteに自分の想いを気ままに書き綴る、そんな些細な生き甲斐で日常を迎えられているのは、大袈裟でも誇張でもなく、あの日に山ちゃんが海底に沈む私を海面へと引き揚げてくれたからです。届くか分かりませんが、山ちゃんに最大限の感謝を伝えさせていただきたく思います。

2023.10.11  天才に縋ろうとしてしまった話

次の愛知開催となった2019年は仕事の都合でスケジュールが合わず、コロナが明けた2021年の愛知公演は幸運にも先行受付で当選し2回目の『140』に参戦することができましたが、2022年も仕事の都合で断念(結果、山ちゃんがコロナに罹患されてしまい中止)、次に行われる愛知公演は絶対に行こうと、とても楽しみにしていました。

翌2023年、私のメンタルは2018年レベルにまで低下してしまい、日常におけるあらゆる行動も最低のレベルにある状態でした。

そのような私が、7月の『140』愛知公演の情報を事前に掴むことができなかったのは不可思議なことでもなんでもなく、その公演の存在を知ったのは、山ちゃんが今池のピカイチウェルビーを訪れたという、愛知公演当日のXのポストに因ってでした。

しかも、そのポストを私が目にしたのは、ポストされてから3ヶ月が経った10月、既に季節も移り変わり、秋を迎えた頃だったのでした。

2018年と同様、直ぐにでも海面浮上する必要があった私は、待ち望んでいた愛知公演のチャンスを自分の不甲斐なさによって逃したその情けなさから自分に怒りが沸き、今後開催される『140』の公演スケジュールをチェックし、その週末に沖縄公演があることを掴み、未だチケットが販売中になっていることを確認しました。そして、身体中に熱を帯びさせながら、航空券販売サイトへとアクセスしました。

ただ、渡航直前の航空券はやはりそれなりのお値段(セントレア-那覇で往復約6万)、身体中の毛穴からプスプス煙が沸き出るくらい熱を帯びていた私は、急激に冷静さを取り戻していきました。

“地方遠征”をしたことがない人間による、無計画に向こう見ずなプランニングが故の破綻でした。初めて試みた“地方遠征”は、蜃気楼かのように沖縄の空へ向けて消えていったのでした。

浮上のきっかけを失った私は、再び海底に舞い戻ることなり、天才に縋り、頼ることを諦念しました。

2024.1.13  再び天才に救ってもらった話

2023年10月の『140』沖縄公演を断念した私は、2024年最初の『140』奈良公演のチケットを購入することで、2024年まで生き延びる指標を手に入れました。

年が明け、迎えた待望の『140』奈良公演。会場となったのは、400名の収容人数にしては最後列からもステージを近くに感じられ、木調とスチールと光のコントラストが意匠溢れる、世界的建築家磯崎新氏によって設計された「なら100年会館 中ホール」。

その適度にコンパクトで暖かな光溢れる会場が醸し出すアットホームな雰囲気と、奈良の皆さんの温かさが山ちゃんに伝わったのか、ライブは予定を一時間上回るぶっ通しの3時間に渡り(2021年の愛知公演も予定時間を一時間ほどオーバーしましたが、あの時はご時世柄、途中休憩があった記憶があります)、その内容はまたしても会場を出た瞬間に頭から消えてしまいましたが、幸せな3時間であったという感覚は身体から消え去らずに、私に取り憑いていた重石を、またしても山ちゃんは取り外してくれたのでした。

2024年、私は再び海面に顔を浮かび出すことができました。山ちゃん、本当に本当にありがとう。

閑話休題 - いわゆる“地方遠征・アウェイ遠征”について。そして、“メンタルの守護神”について。

私は音楽のライブにも行きますが、これまで基本的に近場で開催されるライブにしか足を運んできませんでした。

フジロックなどのフェスは、未知なるアーティストとの邂逅の可能性もある“ハレの日”のイベントであるため、たとえ遠方であっても訪れていましたが、アーティストの地方公演へわざわざ足を運ばれる方の心理はきっと、ライブ前後の小旅行が楽しいのだなと、その程度に理解しておりました。

しかし、近場の『140』のチケットを取り損ねてしまったという理由から、意図しない形で初めて住む街から離れた場所でのライブを体験してみて、遠征の魅力はその“ライブそのもの”にあることに、ようやく気付くことができました。

地方遠征される方々は、その地方でのライブがたとえ他の公演と同じセットリストや演目であっても、一つとて同じライブが存在しないことを、“ライブとは一期一会”であることを知っていたのだと、羨ましく、そして少し恨めしく(これまでの自分にです)感じてしまいました。

山ちゃんに対しても、『不毛な議論』での『140』に関するエピソードトークが、そのライブの特性上、どうしても訪れたその土地のヒトと食べ物に関する「旅行記」としてだけでしか展開せざろう得ないことは自明であったのに、私のような市井のビジネスパーソンが地方出張でその土地柄のランチを頂くようなささやかな幸せを、きっと山ちゃんも生活の糧にしているのだなと、『140』をライフワークと呼ぶ所以はそこにあるのだなと、早合点してしまっておりました。

愛知県公演以外の『140』を体験することによって、その土地の方々とのコミュニケーションを通じて創り上げる“一期一会のライブそのもの”が山ちゃんにとって欠かせないのだと、ようやく理解することができました。

“漫才師 山里亮太”にとって、その土地土地での“板の上”の時間が、多忙な心身に鞭を打ち、週末に愛する家族を東京に置いてまで全国各地を飛び回ってまで求める、“大事なライフワーク”なのだと。

翻って、前職においてアウェイ遠征を幾度も経験しながら、私が捉えていたその“アウェイ遠征”という言葉は、その表膜を掬う程度の解釈にとどまり、如何にその本当の意味と魅力を理解できていなかったのか、如何に理解しないまま業務にあたってしまっていたのか、目の当たりにすることになり、恥ずかしくなりました。

また、各クラブスタッフによる「アウェイ遠征記」になかなか面白いものが多くないのは、“試合”というライブそのものによって必ず笑顔が約束されるものではなく、そして訪れる街で何かを体験できる時間的・精神的な余裕もなかなか無いためです。サポーターの皆さんによる遠征記・遠征ブログに到底敵うわけがありません。

であるならば、クラブの手によってのみの発信に
固執するのではなく、アウェイまで駆けつけてくれるサポーターの方々の力を結集して、もっとアウェイ試合を盛り上げることができるはずです。

私が今回参戦した『140』奈良公演には、「#山里亮太の140奈良」というハッシュタグが設定されており、ライブの思い出や写真をアップロードできる特設サイトも準備されていました。

我々サポーターには、特設サイトの設置は難しいと思いますが(グランパスさんには『140』のようなサイトを検討いただきたいですが)、ハッシュタグ一つ設定すれば、リアルタイムに展開され、アーカイブもされ、遠征組もホームに残るグラサポも楽しめる、そんな遠征コンテンツを作ることができたのではないかと思った次第です。

などと如何にも世紀の大発明をしたような偉そうな文章になってしまいましたが、既に昨年、川崎フロンターレサポーターのセイネン(@frokawasaki2263)さんが、アウェイ毎に素敵なハッシュタグを考案されておりました。その名もフロサポアウェイハッシュタグ!素晴らし過ぎる活動であると思いました👏

以上のようなことに退職してから気付いたのは、シンプルに私の実力不足と、そして私自身が今回初めて遠征を体験したからこそだと思います。エンターテイメント企業に勤めておりながら、在籍中に摂取したエンタメのジャンルと量が圧倒的に足りていなかったことの証左であると思います。

指折りの忙しさを誇るテレビプロデューサーの佐久間宣行さんは、MCを務める『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』において毎週凄まじい量のエンターテイメントを紹介されていますし、私の敬愛する向井慧さんも『むかいの喋り方』の中で、毎朝の帯番組で睡眠時間が限られる中でも様々なエンタメを摂取することを日課にしていることを公言されております。

完全に努力が不足していました。自分への戒めとして、太字にしました。

これからは、たとえ忙しくても“推し”や“好き”を死守します。“推し”や“好き”は、“メンタルの守護神”でもあるのです。

遠征一日目 #1  新世界のご夫婦に笑顔を取り戻してもらう

『140』奈良公演が終わり会場を出たのが17時過ぎ。京都経由で19時前には名古屋へ到着できるだろうと思ったその時、ふとオードリー春日さんがラジオでされていた大阪の新世界へ訪れたエピソードトークを思い出しました。

スマホで調べると40分ほどで新世界がある新今宮に着くというではありませんか!お腹も空いていたので、すぐに快速大和路線に飛び乗りました。

新今宮駅に到着した頃には既に陽は落ち、新世界の雰囲気がより一層煌びやかにキラキラして、方やより一層ダークに満ち溢れ、私のテンションは一気に高まりました。

春日さんが訪れたであろうそんなダークな堺筋エリアに足を運ぶと、それはそれは非常にディープな雰囲気で、生ビールの価格が220円の店もあり、各店舗共に店外に流れてくるホルモンの香りがこれでもかと私の鼻と口とお腹を刺激しました。しかしお客さんで溢れかえる各店内を覗いて泣く泣くこのエリアは断念し、通天閣方面へ方向を変えましました。

素敵な衣装を纏った女性が奏でるアコーディオンの音色と歌声が響く地下通路を経て「ジャンジャン通り」へ。思えば、学生以来、約20年ぶりの新世界への来訪でした。そして8年前に名古屋へ転職してから初めてのプライベート旅行を今していることに気付きました。

大阪には出張で何度も足を運んでいましたが、こうして私服で普段と異なる街を歩くことが自体が非常に新鮮に感じられ、身体と心がとても軽くなりました!

土曜日のジャンジャン通りは海外からの旅行者であろう方々が非常に多く、店内に人が溢れる堺筋とは異なり、通り自体も大変賑わっていました。そして、そのような人々を受け入れることができる大きくスペースを確保した飲食店がいくつもあり、その中からカウンター席が空いていたお店に私は入りました。

二度漬け禁止の串カツソースが入った缶を角度を変えながら眺めていると、隣のイケご夫婦に「どっから来たん?」と話しかけられました。

これだけソース缶を凝視していれば旅行者と直ぐに分かるのだろうなと恥ずかしくなりながら、そうと判れば直ぐに優しい言葉をかけてくださる大阪の方の温かさに、心を大きく揺さぶられました。

そしてその時、自分が笑顔になったことが分かりました。笑顔を作ったのではなく、笑顔になったことに。

表情筋が弛緩するのが確実に感じられ、感情レベルだけでなく、筋肉レベルでリラックスすることができたのです。それまでの私の笑顔(恐らくあったはずです)が、どれほど作り上げられたものであったのかを、細胞レベルで証明されてしてしまった気がしました。

新世界のイケご夫婦に、本当の笑顔を取り戻していただいたのでした。

遠征一日目 #2  大阪のサウナで「井の中の蛙」であったことに気付かされる

真の笑顔を取り戻すことができた私は、ラジオでの春日さん同様「なんばグランド花月(NGK)に行ってみよう!」と思い立ち、直ぐスマホで検索してみました。ただ、NGKはその日の最終公演が既に始まっており、その側にある「よしもと漫才劇場」の公演もソールドアウトの状態でした。

イケご夫婦の優しさに心打たれ、大阪の街が生み出すエネルギーに元気をもらっていた私は、どうせなら一泊して翌日にNGKを訪れようと決め、宿泊先を探すことにしました。

しかし新年が明けてまだ二週目、世界中から旅行者が集う“天下の台所”であるこの街に、突発的に泊まれるホテルなどはなく、「サウナイキタイ」へ助けを求めました。そして、一番上に表示された梅田の「サウナ&スパ カプセルホテル 大東洋」に予約を入れました。

なんとは無しに選んだカプセルホテル。しかし“サウナの聖地”と呼ばれているそうで、DNAに「“名古屋” ウェルビー」を宿す私の身体が疼き、私は「我々に勝てるとでも😏」とニヤリとしてから(そして、ベタに道頓堀のグリコのサイネージを見に行ってから)、梅田へ向かいました。

到着した「大東洋」はカプセルホテルがメインとなる10階建ての歴史を感じさせる建物で、駅近で女性向けのフロアも充実していて、ロビーには列ができていました。

チェックインを終え、ロッカーに荷物を納め、サウナ着に着替えてから、エレベーターでサウナ用ロッカーのあるフロアへ。そこでスマホをロッカーに納めてもう一度着替えサウナパンツ姿に。女性の方が鎮座するアカすり受付ブースの前をパンツ一丁でスゴスゴと通り過ぎ、サウナフロアへの階段を降り…、ようやくサウナ&スパに到着しました。

その導線の複雑さに、長年愛されることにより店内改築・改装を繰り返さざるを得なかったのではないかと、その歴史に思いを馳せましたところ、来年に竣工60周年を迎えられるそうです👏その頃再訪したいと思いました。

大きな自動ドアを抜けてシャワースペースへ。身体を洗うためのタオルや歯ブラシなどのアメニティはウェルビーとほぼ同じ、シャワースペースもそのひとつ一つに十分なスペースがありました。

身体を洗ってから、室内のスパへと移動。2つある浴槽スペースから、空いている方に5分ほど浸かってから、室外の浴場へ移りました。

ホテルに到着した時の気温は3℃でしたが、室外浴場は天井と三方とで囲まれており、そして常時温かいミストが噴射されていたので、とても心地良い体感気温でした。広いマイクロバブルバスやジェットバス、寝湯スペースも2つ完備されているなど、充実のお風呂たち。ただスペースに限りがあるため、ウェルビー今池店の外気スペースには及ばないかなと思ってしまいながら😏、水風呂後にまた来ようと、アウフグースの時間が迫っていたサウナへ向かいました。

そのメインのサウナルーム(その名も「ロッキーサウナ」!)はウェルビー今池店の1.5倍ほどのスペース、アウフグースがスタートする頃には15名ほどの方々が入室していました。

いよいよ熱波師の方が入室されアウフグースがスタート。大阪の地ではありましたが、前口上は“名古屋”ウェルビーに完全に軍杯が上がり、その後のアウフグースへ一抹の不安を感じてしまいました。

そのような心配を私がしてしまうのも、致し方ないことなのかもしれません。こちとら、日々“世界チャンピオン”のアウフグースを体験してしまっている身。私は、自身の恵まれた境遇を、この時少し恨めしく感じてしまったのでした。

しかし、熱波師の方がサウナストーンにアロマを投入された後、その手に持っていたのは私がこれまで見慣れていたバスタオルではなく、大きな団扇であることを目にするのです。

これだけ湿気の高い室内に紙製品を持ち込むなんて何事だ!と動揺する私にお構いなしに、熱波師の方はその団扇で部屋を扇ぎ続け、サウナルーム中に熱気を届けてくれました。

「なかなか、やるじゃないか」そう感じてしまった私は、それでもまだ心に宿した「“名古屋” ウェルビー」を拠り所に呼吸を整え、じっとアウフグースを待っていました。

そして私の前に熱波師の方が仁王立ちされ、私へその手に持った団扇を一閃しました。その団扇から発せられた熱波が、私の身体に襲いかかりました。

アウフグースの魅力の定義には、サウナーの皆さんがそれぞれ一家言お有りかと思います。推し熱波師の存在やそのスキル、アロマの香りを重要視される方もいらっしゃるかもしれませんし、音楽を流して盛り上げる地域もあると聞きますので、BGMが重要という方もいらっしゃるかもしれません。

ただ、熱波そのものがアウフグースには欠かせない、それを否定される方はいらっしゃらないかと思います。

私は世界一のアウフグースを受け続けてきた身とはいえ、時には新人の方の「ぱさぁ〜」というよいな風を受けることもありました。そのような新人さんの初扇ぎから世界一レベルまで、数々のアウフグースを名古屋の地で8年間受け続けてきたのだと私自身自負しておりました。

しかし、シンプルに団扇という道具から発せられるアウフグースのその威力は、ウェルビー栄店で初めて熱波というものに遭遇した時の衝撃に、勝るとも劣らないものでした。

私はこれまで、恵まれた環境で、ぬるま湯に浸かり続けてしまってきてしまっていたのかもしれません。大阪の熱波師の皆さんは、私が井の中の蛙状態であったことに気付かせてくれました。

本当の笑顔を取り戻し、人生最大レベルの気付きを得て、私にとって“初めての地方遠征”の一日目が終了しました。

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