正夢

病と恋愛事情 九話 正夢

俺は売り場で発注をしていると、夢の中に出てきた茶色い長い髪の女が入って来た。俺は、正夢? と、思い焦った。でも、声を掛けることができなかった。副店長の福原さんに話すと、そういうこともあるんですねえ、と否定的ではなかった。会話が途切れて、幻聴が聞こえてきた。

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 俺が出勤した時、副店長の福原さんはすでに来ていた。相変わらず、彼は早い。俺は、決まった時間までに行けば問題ないと思っているので、福原さんは自宅でゆっくりしていたいとは思わないのだろうか、といつも思う。まあ、彼の行動は評価に値するから何も言わないけれど。

 時刻は九時前。俺はいつものように売り場で発注をしていると、店に若い茶色の長い髪の女が入って来た。その時、一瞬にして今朝の夢を思い出した。正夢? と俺は焦った。いらっしゃいませ、の客への挨拶も忘れて俺はその女に見入った。夢に出てきた女と顔まで似ている。一体、どういうことだ? 俺は目を疑った。

 結局、話しかけることすら出来ずに女は買い物をしてから出て行った。俺は心臓が飛び出そうなくらいドキドキした。まさか、こんなことがあるなんて……。でも、なんて声を掛ければいいだろう? 次、来た時までに考えておかなくては。次、来るかどうかはわからないが。

 それ以降、若い女の客がくるたび、俺は過敏に反応した。特に茶髪の女。

 俺は今の心の裡を誰かに話したくて、休憩時間に福原さんに話しかけた。
「福原さん、ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけどいい?」
事務仕事をしている彼は不思議そうに、
「なんですか?」
と、訊いた。
「実はさ、今朝、夢の中に若い茶色の長い髪をした女が出てきたんだ。その女と同じ客がさっき店に来たんだ。どう思う?」
「どう思うって、正夢ってことですか?」
俺は笑みを浮かべた。
「そう、正夢。見た目がそっくりだが、どんな女かはわからんけどな」
「そういうことって、本当にあるんですね」
福原さんはあまり興味無さ気に言っている。そんなことは気にならないくらいに俺は熱を帯びていて、
「確かにあるようだ。次会った時、話しかけてみようと思うんだ」
「何て話しかけるんですか?」
俺はそれを言われて黙った。
「うーん……。そうだな、まずは近づいてさりげなくいらっしゃいませ、だよな」
「そのあとは?」
福原さんは仕事をしながら喋っている。よく両方同時にできるなあ、と感心した。俺は不器用だから、一つひとつじゃないとミスをしてしまう。

 彼の質問に俺はまた詰まってしまった。想像してみた。彼女がいる場面を。すると、徐々に思い付いてきた。まず、女の行動を窺がう。そして、何か探しているようなら、声を掛けてみる。この時がチャンスだ。

 今、考えたことを福原さんに伝えた。すると、
「うーん、下手に話しかけるのもまずいので、それしかないかもしれませんね」
「だよなあ」
何か得策があればいいのだが、いかんせん相手は客だから失礼や迷惑だと思われるのはまずい。だから、慎重にいかないと。その時、

「ヤッチャエヨ」

 と、いう幻聴が聞こえてきた。またか、と思った。一体、誰だ。感じ悪い。俺はこんな病と一生付き合っていかなくてはならないのか! そう思うと何で俺なんだ、という思いに駆られた。だいたい、何をヤレ、というのだ。担当医の安藤先生は、今の医学では統合失調症の完治は残念ながら見込めないので上手く付き合っていくしかない、と言っていた。ふざけんな! 何で、不治の病にかかるんだ! しかもこの俺が! そんなことも思ったがが安藤先生には言えないし。

 病気に関しては、悲観的に捉えたりしたこともあったけど、安藤先生が言うには、なってしまったものは仕方ないので少しでも良くなるように無理せず生活しましょう、と言っていた。それも一理あると思う。でも、仕事をしている以上、しかも責任のある店長、という立場上、無理をしなきゃならないときもある。それを伝えなくては。

 俺は次にあの女が来ることを期待して仕事を再開した。 

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