「透明なゆりかご」はすべてを許す

「透明なゆりかご」を観た。
6話は、主人公と17歳で妊娠した女の子が、中絶するために山奥の看板もない産院へ向かう。
主人公は、「簡単に中絶なんてするべきではない」と彼女に言い、
山奥の産院の医師と看護師の夫婦にも、「なぜ格安で中絶を手伝うのか。軽い気持ちで、また
妊娠してしまうのではないか」と問う。
「本当は無料でしてあげたいのだけど、それは違法だから、最低限もらっているのよね」と優しく話す看護師。中絶後の17歳の少女に、交通費まで渡して「またおいでね」と見送る。
傷ついた少女を見送る夫婦を観て、主人公も、夫婦の底抜けの優しさが、彼女のキズを癒して
、次の生へ一歩を踏み出し、自分を取り戻していっていることを感じる。
命を救うということは、包み込むだけで十分。理屈や損得ではないのだと。
いつか、彼女が赤ちゃんを抱いて、山奥の産院へ出向くことを夢想する主人公。
孫が里帰りしたように喜ぶ夫婦の姿も。
なぜ老夫婦が、底抜けにも優しい理由も最後に明かされる。

命と言う奇跡の前では、理屈も損得も力はない。
ただ許すことでしか、前に進めないこともある。

5話では、14歳で妊娠した少女が、シングルマザーになることを許す母親と
その母親の急逝で、一人で子供を育て母になるまでを描いていた。

それと対になる6話は、命の前には、すべてを受け入れることこそが大切であることを
考えさせられる。

高校生の娘が妊娠した時に、果たしてすべてを静かに受け入れられるだろうかと、
突きつけられた気がしたのだった。

#透明なゆりかご #妊娠



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