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金井美恵子『噂の娘』『「スタア誕生」』(講談社)

北条裕子『美しい顔』を読むために、昨年の「群像」を借りてきた時に、書評欄を見て気になった、金井美恵子「『スタア誕生』」、それより前に発表されていた『噂の娘』とつながっているというので、まず『噂の娘』を読んでから、「『スタア誕生』」を読むが、金井美恵子を読むには本当に体力がいる。修辞に修辞を重ねた長い文章を、どこが主語でどこが述語か、見落とさないように注意深く読んでいないと自分が何を読んでいるかわからなくなるのだ。それは少女の夏休みの物語なのだが、舞台は昭和30年前後の地方都市、風俗とか、芸能とか、それはわたしが子ども時代を送った昭和40年代にも名残の残っていたものも多く、その時点で時代遅れになっていたものが、一番輝いていて、人の憧れの的になっていた様子なども伝わってきて、エアコンのない、扇風機がぬるい空気をかき回している、時代の空気が行間からたちのぼってくるのが心地よい。

母が病気の父の看病に行っている間に知り合いの美容院の家に預けられる主人公の少女と弟。美容院の家族や従業員、近所の商家、そこに祖父とその愛人(かつて女優だった)の思い出が差しはさまれ、更にバーネット『秘密の花園』の冒頭部分が引用される。『秘密の花園』って大昔にダイジェストを読んだだけであらかた忘れていたので、最初、メアリ・レノックスと文中に出てきてもそれが何の物語なのかもわかっていなかった。夏の暑さのけだるさに通じる、植民地インドの生活の様子が物語に入り混じる。

女優達、それも地元出身で、知り合いレベルの女優とか(祖父の愛人も)、映画の中でしか知らない名優たち(実名)とたまたま遭遇した思い出とか、近所の女たちの噂話。「噂の女」は誰のことでもある。結婚を前に死んでしまった若い女は、自殺だったのか事故だったのか。さざめく噂話、美しい持ち物の描写。ハレとケ。ページをめくると、すっかり忘れていた過去の光景が目の前に現れる。たゆたう光景に幸福に酔う。

4年かけて書かれ、2001年に刊行された『噂の娘』の直後に短い後日譚が書かれ、その続きが書かれるのに更に15年、2018年に刊行された「『スタア誕生』」は、前作の約1年後、美容院で修行していた、金魚の形のあざのある若い少女(主人公と仲良しだった)が、地元でたまたま開催されたニューフェースのオーディションで拾われ、美容院を離れ、撮影所の大部屋女優になる。金魚の娘からの便りで知る近況とか、残った人たちが見た映画のストーリー、女優を愛人にしていた祖父の思い出。映画館の緞帳の埃っぽさと華やかさ、恋愛、色々な要素が丹念に描写される。金魚の娘のスクリーンデビューとかその後の人生とか、「『スタア誕生』」の方が、ストーリーが立っているが、でもそのみっちゃん(金魚の娘)について話す美容院の人たちの物語から、様々なものが派生し、ぼーっと読んでいると自分が何の話を読んでいるのかわからなくなる。金井美恵子は読書の体力をつけるのに最適な作家だ。

そして、この2つの小説は、全く同じ文章で締めくくられる。突然わたしと弟は遠い遠い未来に飛んで、過去を回顧していたのだ、ということになる。不穏な終わり方。そしてわたしは更に『秘密の花園』(上下・バーネット作山内玲子訳 岩波少年文庫)まで読んだ。『噂の娘』の中で紹介されたのはメアリ・レノックスがインドでスポイルされていた時代の描写だけで、物語の大半のヨークシャの屋敷での物語は「また別の物語」といった体でこれはこれでわくわくする物語であったが、インドと金井美恵子の昭和30年で、わたしはぬるい空気に汗ばむ思いのする読書を楽しめたのである。

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