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川上弘美『大きな鳥にさらわれないよう』(講談社)

未来の人類の物語。弱弱しく見える人々の生活は、ディストピア的にも見えるが、例えば多和田葉子の『献灯使』(講談社)のような、具体的なカタストロフィがきっかけで、弱体化した社会を描いたものではなく、もっとロングスパンに、種としての人類が弱体化したのか、進化を模索しているのか、それを曖昧に綴っていく。人類とは違う立ち位置にいる、長生きの「母」たちが、地球を箱庭にして、人類を育てているような、そんな印象。分断された社会の幾つかを紹介していく物語たちは、それぞれに生きる人々の在り方がかなり違い、最初何編か読んでいる間は、繋がりがあるのかないのかもわからず、途中から、共通する登場人物が出てきたりして、ゆるい繋がりが浮かび上がってくるが、それでも、この物語の中には年代記もなければ地図もない。もやもやと、細く長く人類が生き延びていくのを見守っているあなたたちは一体誰なのか。

途中で説明的な物語があり、それが感興をそぐ、というレビューも読んだ。川上弘美はもともとSFの人だったのだが、こんなにSF的な舞台設定でも、ハードSF的説明をしないで物語を進めている方がずっと川上弘美らしい。人工知能、とかそういうワードはこの本にはいらなかったかも、と思った。

一番異色を放っていた最初の物語、一番最後でネタバレして、まぁ腑には落ちたけれど、あんなに説明的に落としどころを見つけなくてもよかったような気もした。

表題作の主人公エマがどこへ行ってしまったか、それだけが気になる。あなたは新しい人類になったのだろうか。エマのすぐそばにいたイアンとヤコブがその後も物語の展開をつかさどることになるが、何故二人はその後エマについて言及しなかったのだろう。15の8、リエン、ノア、カイラ、何人かの名前を持つ印象的な登場人物と、名前を与えられなかった「子供」とか緑の人とか旅人とか、繋がったり離れたりしながら、滅びに向かっているようでもあり、明るい場所へ向かっているようでもあり。

昔は読書に結論を性急に求めようとしすぎるきらいがあったが、川上弘美を読んでいると、結論だけが目的ではない、ということに気づかされる。

#川上弘美 #大きな鳥にさらわれないよう #ディストピア #SF #講談社 #多和田葉子 #読書


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