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昨年面白かった本

2018年は本を100冊ちょうど読みました。今年はもう少し沢山読めるといいな、と思っていますが、どちらかというと集中力を研ぎ澄まして、きちんとテキストを読み取り味わう読書を目指した方がいいような気もしています。

舞台「豊饒の海」を見る前に三島由紀夫『春の雪』『奔馬』を再読(『暁の寺』『天人五衰』もこれから読みたい)、舞台「メタルマクベス」disc1を見たら、あ、原作当たっておくべきだった、とdisc2見る前に、松岡和子訳『マクベス』(ちくま文庫)を読む、など、読書周辺から読書に戻る試みをしたり、中学・高校時代に何回読んだかしれないアーサー・ランサム全集(岩波書店)を、岩波少年文庫版の新訳で再読したり(昨年7作まで読んだので、今年あと5作読む)、若い時に好きだった本はいつになってもいいな、と思いました。読書は消耗品ではないのである。

昨年読んで面白かった本を何冊か列記。

オルローフ/秋元里予『ヴィオラ弾きのダニーロフ』:『プロコフィエフ短編集』を読んだときに、同じ出版社から出ている(群像社)から出ているこの本も知り合いに勧められ読んでみた。怪作。宇宙から来た悪魔が人間よりはるかに高い能力を持っているのに、なんだかしょぼく生きていて、悪魔界の支配階級の意向に翻弄されたりしている。表紙がユーリ・バシュメット風のイラストだったのだが、作者は実際バシュメットと交流があるようです。

山内マリコ『あのこは貴族』:先にcakes全文掲載で読んでいたものを単行本で再読。日本のお金持ちのノブレス・オブリージュみたいなものを、枠の外にいる人が客観的に眺める、という構成。勿論個人差はあるけれど、日本に存在するか存在しないかはっきりしない上流階級的なものは、狭い世界の中で思いのほか不自由に生きているのでは、と思わせることで、そうでない人を慰めている?

国分拓『ノモレ』:かつてヤノマミのドキュメンタリーなどを作ったNHKのプロデューサーが、新たに、ペルーの奥地のイゾラド(これまで他の文明と触れたことのない民族)とのファーストコンタクトを、中間的な先住民族のインテリ・ロメウを語り手に描く。ロメウが父祖から聞いていた、かつて自分たちの仲間から離れて森へ逃げた同類との再会を心の奥で求めている、そのロマンを、イゾラドとの交流により再燃したり、逆に萎えたり。

原田宗典『〆太よ』:原田といえばマハの時代になってしまったが、かつて敬愛し、覚せい剤で逮捕されたあとも、何か書いてくれることを強く望んでいた原田宗典が帰ってきた。〆太の強いキャラクターが輝く。

佐藤正午『月の満ち欠け』:遅れてきた直木賞作家。前に佐藤正午を読んでいたのは30年位前のことであったが、作風は健在であり、一種不思議なストーリーテリングもますます磨かれていることが嬉しい。

光永覚道『千日回峰行』:ウルトラマラソンをやっていると、そのまま千日回峰行に行っちゃうんじゃないの、と揶揄されたことがあったが、いやいや、ウルトラマラソンとは全然違った。当たり前ながら、まずは強い信仰。気力とか体力とかは、信仰のあとに付いてくるもので、やると決めると、体調を崩していても出来てしまうものらしい。というか、出来てしまうこと自体が超弩級の信仰心なのである。

梯久美子『狂うひと 「死の棘」の妻島尾ミホ』:第三の新人、って実は庄野潤三以外あまり読んでいないのであった。この島尾ミホの評伝を読む前に慌てて島尾敏雄『死の棘』も読んだが、ありえないような狂気と、先の見えない貧困の中、尖鋭化された愛と憎悪が激しく衝突するさまに、読みながら疲弊。『狂うひと』を読み、敏雄とミホがどのように生まれ育ち、出会い(飛行機ではない、共に生き、敏雄が亡くなった後もミホがどのように敏雄のフォロワーとして生き続けたか、作者の私見にひたすら付いていく。ミホへの聞き取りが、時間切れ間際ながら、不完全ながらある程度できたことで、この作品がこれだけ充実した評伝となったことを感謝したい。

堀江敏幸『オールドレンズの神のもとで』:数十年にわたって書かれてきたという、不思議な短編小説集。どの作品も、ふくらませば一つの長編小説に展開できそうな重いテーマを持ちながら、短編小説としてふっと終わり、その余韻がもどかしいような嬉しいような気持ち。

山崎佳代子『パンと野いちご 戦火のセルビア、食物の記憶』『解体ユーゴスラビア』:朝日新聞の書評欄で『パンと野いちご』の評を読み、気になったので読んでみたが、多民族国家だった旧ユーゴスラヴィアが、激しい民族対立の中で分断され、しかし現実問題として、多くの「混血」、近隣に入り混じって住む他民族の人々、突然難民となって、元々自国である国の中で住む場所を失ってさまようことになる様子を、子どもの頃から親しんできた料理というテーマを媒介に聞き取り、記録した本。ユーゴ内戦は一瞬のうちに攻める民族攻められる民族がひっくり返されたり、激しい地域差があったり、この本はセルヴィア人が追い立てられる状況を主に描いているが、どの民族にもそれぞれの悲劇があり、言葉を失った。その背景をもう少し知りたいと、旧作『解体ユーゴスラヴィア』も読んでみたが、チトーの築いてきた社会主義体制が、チトーが亡くなった途端ほころびて、一気に民族対立が激化していく様子を、やはり作者の知り合いからの聞き取りを中心に再現していく。この2作を読んだ後で、米澤穂信『さよなら妖精』を再読してみたが、山崎佳代子さんに話を聞いて、それを元にマーヤの物語を書いたということをあとがきを読んで知る(初読の時は認識していなかった)。

桜庭一樹『じごくゆきっ』:noteに既に感想を書いたのでそちらを読んでいただけると幸いです。

川上弘美『大きな鳥にさらわれないよう』:noteに既に感想を書いたのでそちらを読んでいただけると幸いです。

多和田葉子『地球にちりばめられて』:noteに既に感想を書いたのでそちらを読んでいただけると幸いです。

ジャレド・ダイアモンド/ジェイムズ・A・ロビンソン他/小坂恵理『歴史は実験できるのか――自然実験が解き明かす人類史』(慶応義塾大学出版会):年末の読書。かなり難航。これは学術書、というほどのハードな本ではないが、引用を明記した論文的なエッセイが7篇。同じ条件の土地に、違った要素が投入されると歴史はそれぞれにどのように展開するのか。実験、といっても誰かがスポイトで薬品をたらす訳ではないのだが、それと同じような対象比較の出来る歴史の事例を探し、論評する。「ポリネシアの島々を文化実験する」「アメリカ西部はなぜ移民が増えたのかー19世紀植民地の成長の三段階」「銀行制度はいかにして成立したかーアメリカ・ブラジル・メキシコからのエビデンス」「ひとつの島はなぜ豊かな国と貧しい国にわかれたかー島の中と島と島との間の比較」「奴隷貿易はアフリカにどのような影響を与えたか」「イギリスのインド統治はなにを残したかー制度を比較分析する」「フランス革命の拡大と自然実験ーアンシャンレジームから資本主義へ」という、比較的日本人には馴染みのないジャンルで、様々な文献を駆使し(引用されている文献の多さに、こんなに先行研究があるのか、ということにも驚かされた)、統計学的なアプローチも多用され(統計学がきちんと分かっていたらもっと面白く読めたんだろうなぁ)、歴史は、偶然でもあり必然でもあることをあらためて認識させられた。これはジャレド・ダイアモンドの名作『銃・病原菌・鉄』を読んだときの衝撃が再現された感じで、研究するとはこういうことか、というのも改めて考えさせられた。

今年も素晴らしい本との出会いが沢山ありますように。

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