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梨木香歩『椿宿の辺りに』読んで、『f植物園の巣穴』(共に朝日新聞出版)を再読

梨木香歩の近刊『椿宿の辺りに』を読む。父方の祖父の強い意向で山幸彦と名付けられた主人公。一人っ子だったので、海幸彦の名づけは従妹に対してなされた...彦はあんまりということで「海幸比子」と名付けられ、それぞれ、余りに仰々しい名前を厭い、山彦、海子と自称し、周囲の人にもそう呼ばれているが、普段は殆ど接触を持っていない二人が共に、原因のわからない疼痛に悩まされ、医療機関や鍼の治療を受けながら、根本的な快癒の道が見いだせずにいる。
母方の祖母の余命が短いということで、休みをとって祖母のもとに向かった山幸彦は、海子が通っている鍼灸院(祖母の家に程近い)に行って、もともと祖父が所有していた椿宿という地域にある屋敷(自分自身は行ったこともないが、祖父から相続して自分が家主となっている)に行き、屋敷と共にある稲荷に油揚げを供えることで、何かが解決する、と鍼灸院の先生とその妹に示唆され、半信半疑ながら、何故かその鍼灸師の妹(亀子、かめし、と読む)まで連れて、椿宿に向かう。自分の屋敷を借りていた遠縁の家族の当主が宙幸彦という名前であることを知り、何の因縁があるか確認しようと思うが、何故か宙幸彦は家族の元から出奔していて、顔を合わすことが出来ない。しかし、亀シの導きや、さまざまな縁で、自分の祖父、そして父につながる大きな流れを知り、その過程で自分そして海子の痛みまでが引いていく。
あらすじを書くと、何を言っているのやら全く不明。人に説明出来ないなりゆき。
そして、屋敷の屋根裏にあった、祖父豊彦の手記「f植物園の巣穴に入りて」を宙幸彦が持ち出していて、それが謎を紐解くよすがとなるのだが、「f植物園の巣穴」って言えば、梨木香歩が2009年に発表した小説である。当時読んだのだが、とりとめもなく、あまり記憶にも残っていない...ので、『椿宿の辺りに』読了後に『f植物園の巣穴』も読んでみる。そうしたら、すべてが、ちょうど10年後に刊行された『椿宿の辺りに』への伏線となっている! 膝を打ちながら読み進める。途中から主人公(本の後半で、佐田豊彦という名前があかされるが、なんでそこまで名前が隠されていたのか、まるで『椿宿の辺りに』から戻ってくる読者に目を開かさせるため、みたいな)が、落ちた巣穴のなかで共に冒険する「坊」の正体がわかったところで、椿宿から戻ってきた読者は、涙しちゃうであろう。たぶん10年前のわたしは何も理解出来ないまま読了していたような気がする。
そもそも、この本を読む読者は、海幸彦、山幸彦の出てくる日本神話をどの位知っているものなのか。『古事記』由来の、イザナギ・イザナミとか、八岐大蛇と須佐之男命とか、大国主命と因幡の白兎とか、わたし自身は、子ども時代に日本神話の簡単な入門本みたいのを読んだが、自分の子どもにそういうものを読ませた記憶がない。そしてそういうものに親しむ素地が、若い人に限らず、適度に本を読む人の中にどの程度あるものなんだろう? 梨木香歩の本は、古来の伝承とか、民俗学的なものとかが重要な要素となっていて、読みながら自分が十全背後を理解して読んでいない、という気持ちがいつも強い。ぬか床が狂言回しとなる『沼地のある森を抜けて』とか、想像もつかない展開に驚かされる作品ばかりだが、自分の読書の体力が試されている、格闘技的な読書(実際の読後感は静謐なのに)の魅力にひかれ、梨木香歩を読み続ける。
そして、きっとまた何年もたって、今度は『椿宿の辺りに』が大きなヒントとなる小説がまた書かれるのだろう、と思う。それを楽しみに待ちたい。そして、忘れていることを思い出すために『椿宿の辺りに』も、その時に読み返すことになるだろう。
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