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【セミナー書き起こし前編】起業家の学習による事業創造とは 〜成人発達理論を土台とした起業家と事業の成長〜

起業家自身の器で、企業の事業は決まるとよく言われますが、どのようにすれば、起業家は学習し、そして事業は発展するのでしょうか?

創業し起業家として社会と向き合いながら、「環境と自我の相互作用」を実践者としての立場と、起業全般を観察する「観察者」としての2つの視点で歩み、現在はベンチャー投資・支援会社の運営を通じて、実践・支援を展開されている諸藤周平さんにお話を伺った、対談セミナーの記事です。

■登壇者紹介
諸藤 周平
株式会社REAPRA(以下、Reapra)代表取締役社長
株式会社エス・エム・エス(東証一部上場)の創業者であり、11年間にわたり代表取締役社長として同社の東証一部上場、アジア展開など成長を牽引。同社退任後、2015年より、シンガポールにてREAPRA PTE.LTD.を創業。アジアを中心に、数多くのビジネスをみずから立ち上げる事業グループを形成すると同時に、ベンチャーキャピタルとして投資活動もおこなう。

嶋内 秀之
株式会社アントレプレナーファクトリー 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科修了(MBA)。オリックス株式会社にて6年間国内営業の後、7年間ベンチャー投資を担当。 2009年にアントレプレナーファクトリー設立。ラーニングテクノロジーと動画を用いて、地域や時間を問わずに学習できる動画サービスを企画し、3000コンテンツを保有し事業展開する。

【告知】Reapra協働講座プログラムのご案内 

オンライン講座「起業家の学習と成長から事業を生み出す方法」

“企業は、起業家の器で決まる”とよく言われますが、では一体、どのようにすれば、その器は変化し、その器はどのように事業に影響するのでしょうか?

本プログラムは、ベンチャー投資の実務や成人発達理論などをベースに、
起業家の学習がどのように事業創造に繋がっていくのかをテーマとしています。

今現在取り組まれている仕事や事業、経験から、「そもそもなぜそれをやっているのか?」を明らかにし、ご自身の学習の道筋を明らかにできる講座です。

事前学習動画、オンラインセッション、メンバー限定の専用SNSを活用し、地域を問わず学習できる講座です。

11/18(金)に講座のミニ体験会がありますので、是非お越しください。
ミニ体験会申込みはこちらから

講座詳細はこちらから
(お問合せは事務局「miyaji.se@enfac.co.jp」までご連絡ください)


起業家の学習による事業創造とは

嶋内秀之(以下、嶋内):ファシリテーションの嶋内です。経営学部で4年、その後ベンチャーキャピタル会社に務めて、今は立命館大学のMBAコースで経営学を教えております。

起業家の器に企業は限定される、という話をよく聞きますが、その器はどのようにして広がるのかを考えている中で成人発達理論に出会い、約3年ほどコンテンツや講座を展開しております。今回は、理論を起業家の支援に応用されていらっしゃいます諸藤さんにお話をお聞きしたいと思います。諸藤さん、よろしくお願いいたします。


Reapra 諸藤周平代表

諸藤周平(以下、諸藤):よろしくお願いします。

嶋内:既に諸藤さんのことをご存じの方は多くいらっしゃると思いますが、まずは4つの問いから始めたいと思います。
1番最初の問いですが、なぜ諸藤さんはReapra社を作られたのでしょうか?

エス・エム・エスを上場させた後に、どういう葛藤があったのか。学生時代からの振り返りから聞かせていただいけますか。

サラリーマンになれないかもしれない。葛藤の原石と学生時代

諸藤:そうですね。今思うと自分の葛藤は、小3ぐらいの社会との向き合い方にあったと思っています。それまでは社会に対してそんなに怖さはありませんでした。

普通に今日が楽しくて、昨日も楽しかったし、明日も楽しいだろうと思いながら過ごしていました。両親は旅行したり遊んだりしてくれる一方で、子供に対して「まあまあいい大学行って、おいしい会社に入る幸せなサラリーマン人生を歩んで欲しい」っていう、強い自我の重心も持っていました。

それはひとつの親の愛の形なんですけど、兄弟のなかで僕だけ頭があまり良くなかったので、日々は楽しく過ごしてるんだけど、これはずっと続かない、自分はサラリーマンになれない、おいしい生活はできない、っていう不安みたいなものをちょっとずつ抱えるようになって。それまでの幸せとのコントラストで、それが徐々に細菌のように自分を蝕んでくるのを感じていていました。

社会っていうのは、大人になったら残酷なものなんだ、といった感覚、葛藤の原石みたいなものはそこにあったのかもしれません。

嶋内:なるほど。その葛藤というのは、どういうふうに自覚されていったんでしょうか。

諸藤:そこは、徐々に深まっていったように思っていまして。小学校も高学年になるにつれ、これまで楽しかった毎日が、だんだん変わっていって、気づいたら毎日が楽しくなくなっていました。普通の思春期の人が虚無感を抱くのと同じ感じで、高校生のときには「死にたい」が口癖。全く死ぬ気はないですけど、そういう葛藤は自覚していたのかなって思っています。

嶋内:そうなんですね。その後は一般的には難関と言われる大学に進学されましたが、それでも葛藤は消えずに高まっていったという、そんな感じなんでしょうか。

諸藤:そうですね。学力に関しては、小学校の教員課程の免許を持っている父が一時期勉強を手伝ってくれて、英語と算数ができるようになったんです。あとは親の転勤の都合で通うことになった全寮制高校が異常に詰め込み教育をするところで、その学校の下の方の人が行くのが九州大学で、結果そこに入ったという流れです。

主観的には、与えられた課題で比較されると勝てないっていう感覚が一貫してあります。テストの点数が悪い、うまくスコアが出ないっていうのを、ずっと怖いと思っていて、入試的なものは不利だから怖いと感じていました。

大学に入った後も、これでサラリーマンになれると安心できるはずが、普通のこともできない自分に気づいてしまって。卒業すればいいと分かっていても大学に足が向かない。もう卒業できないんじゃないかっていう悪夢を見ながら、足はどうしてもパチンコ屋とか競艇場に行ってしまうんですね。

視座が低い、熱中できることもないし、得意なものもない。本当にダメダメだなって思いながら、まだ大企業で楽をしようと思っていたんですけど、大企業が潰れるような事態が、2000年の少し前から起こりはじめました。

そういう世の中を見て、サラリーマンになってもどうせ自分は不安なままだし、出世もできない、リストラされたら終わり。会社が倒産したら、もう仕事はないんじゃないかと、不安を募らせていました。長いこと将来の不安を飼い慣らしていたせいだと思うんですけど、「だったら起業しよう」と思ったんです。

大企業で働いても同じくらい惨めなら、起業する。

嶋内:なるほど。起業しようと思う人って、そこそこ自信があったり、サラリーマンの枠に収まらないから頑張りたい方が多いイメージがあるのですが、うまくいかないんじゃないかと思うところから、あの厳しいキーエンスさんに入られたんですよね。

そこから起業しようとされた、この辺りのプロセスについてお聞かせいただけますか。

諸藤:はい。自分は怠惰で楽なところがあるとすぐ身を寄せるっていう自覚があったんで、まあまあいい会社に入ると、最後はリストラされるかもしれないのに、安住するんじゃないかっていう不安がありました。

起業することを先に決めておけば勉強になるし、絶対一生働きたくないようなきつい会社にしておけば、絶対長くはいれないだろうと。それで選んだのがキーエンスでした。

嶋内:その後比較的短い期間で起業されたと思うんですが、仮に怠惰だったとするならば、起業の方が大変じゃないか、と思うのですが、起業の選択をされた辺りを、もう少し伺ってもいいですか。

諸藤:大学のときには、自分は何者でもないから、「将来伸びそうだけど誰もやってないところで、1発当たってリタイアできれば超ラッキー」っていう考えでした。キーエンスでは3年やろうと思って入社したものの結局1年で辞めて、ゴールドクレストっていう小さなマンションディベロッパーに行って、そこを10ヶ月で辞めて起業したんですね。

転職したのは、さすがに1年で辞めて小さい会社に入れば、より退路を断つことになるだろうと思ったのと、でも起業するのは怖いから、まずは小さくて伸びている会社に行こうっていう、ちょっと弱腰な理由です。

転職してすぐにそういうことやりたいって口にしていたら、同僚だった田口が一緒にやろうって言ってくれて。1人だと怖かったところに、背中を押してくれたっていうのもあって起業したんです。

嶋内:じゃあ、諸藤さんからしますと起業っていうのは、ギャンブルのように、能力を生かしてサラリーマンで働くよりも、向いているし当たる確率も高い、そんなイメージがあったんでしょうか。

諸藤:そういうことは全くないですね。ただ単に1発当たったらラッキーだとは思っていました。最高の成功は「35歳までに3億円でリタイアしてハワイに行く」。でも多分無理なんでメインシナリオは自己破産して中小企業で働くっていう。

その中小企業で働いてるときのイメージが、大企業で働いても同じぐらい惨めで辛いと思いました。結末がほぼ変わらないなら、リスクを取ってハッピーリタイアできる道を選ぼうっていう算段だったのですが、そう思うくらい自暴自棄だったのかな、とも思います。

エス・エム・エスが成功した理由と成人発達理論との接点

嶋内:ありがとうございます。ここまで諸藤さんの学生時代からエス・エム・エスまでのお話を聞かせていただきましたが、IPOなさって、当初のシナリオ以上の着地だったと思いますが、振り返られてどうでしょうか。

諸藤:ちょっと質問の意図と違うところもあるかもしれないですけど、成人発達理論っていうフレームに一部関連するかなと思っています。

自分は何者でもないという認識と、基本自分は多分ダメだけどハッピーリタイアしたいという、圧倒的に低い視座で起業したところから、運良く足場がかかったおかげで、視座が動くような感覚を比較的短い期間に体感できました。

あとは、小学生という人生のスタート付近で、社会は怖いもので、自分はうまく馴染めない、だから自分は自分のことだけを考えたいという状態だったことが、関係があるのかもしれません。

勉強ができる人は大企業に入ったり官僚になったりするけれど、世の中は結構複雑で、優秀な商売人のなかには中卒の人もいますよね。そういう人たちに自分を重ねて癒す中で、何かの物事があったときに時間軸を伸ばして見る習慣が、ある種の自分のサバイバル術として身についていたんですね。

将来伸びていくテーマを、まだやっている人がいないときに探索するとか、色々なものに触れるとか。自覚はなかったんですけど、それは良かったなと思います。

嶋内:なるほど。時間軸の先を見たり、新しいことを試したり、そういうことを嫌わない。好きで構造としてできるんですね。

諸藤:元々はそうしないと生きてけないっていう、恐怖心みたいなものがあって。でも恐怖に駆られていたから、そういう風に見れたのかもしれない。ただ、起業した後は結構早いタイミングで楽しいと感じるようになりました。

嶋内:ちなみに起業後にかかった足場というのは、マーケットの成長でしょうか。それともどなたかとの関係性など他にもありましたか?

諸藤:いくつかありますが、やっぱり創業時のパートナーですね。スタート時は4人いて、失敗する時はみんなで自己破産するのかなって思うと怖さが紛れました。今あるスキルで何かを成そうというよりは、テストしようっていうマインドでした。

これからできるマーケットって、今あるもので世の中を見通そうとしたり、事を成そうっていう発想自体が起こりにくくて、まずはやってみて、小さいところを作り込んでいくと上手くいくところがある。自分は視座が低くガラクタだったが故にそれがナチュラルにできたし、気質がフィットしたところもあったのかもしれません。あとは、そこに時間の概念で因果関係を見ることですね。自分はこのおかげで学習の足場がかかりやすい構造があったのかなと振り返っています。

自分だけ成長しても意味がない。辞める時期を決めた2年目

嶋内:なるほど。ありがとうございます。そこから楽しくなって、業績だけを見ると、ずっと売り上げが上がってらっしゃるように見えますが、卒業して次のことをやっていこうと思われた。この辺りを普通に考えると、いいレールに乗ったまま、続けていこうと思うところですが、どうして辞めようと思われたのでしょう。

諸藤:まず僕の場合は起業して3ヶ月ぐらいでまず、すごく楽しいって思いました。ミクロでやっていることが、ちょっとずつマクロに広がる感覚がさらに楽しかったです。

ただ、無邪気に会社を広げていく中で巻き込んだ人たちが、自分よりも頭が良かったり、意欲もスキルもあって、初めうまくだろうと思ったのに、そうならない現実を目の当たりにして。初めはその人たちに問題があるんだろうと思っていました。

それがだいぶ経った後、自分の問題なんだと気づいて、逆の立場だったらとんでもなく嫌だなって思ったんです。

成長のチケットを得て、ガラクタ状態から色々なことができるようになったのは、たまたま当人が囚われていたものと、その時期に伸びる領域が合わさっただけです。なのに、いわゆる成功経営者が自分だけ幸せになって、それを「天才」とか「神様」って無邪気に言われているのって、結局のところ究極のピエロみたいなものなんじゃないかっていう風に思ったんですよね。

この先のどこかに壁があって、いつか麻薬中毒のような感覚が終わってしまって絶望するんじゃないか。それは倒産という形かもしれないし、金銭的に勝ち得ても他に何もないっていう感覚かもしれない。

当時はどんどん学習に足場がかかっていて、24時間365日ずっとやれる感覚がありました。でも、自分はたまたま掴んだ運でわがままに振る舞ってるだけなのかと思ったとき、何の節目もつけずにこのまま年老いて、マシーンのようになってしまった人の元で自分は働きたくないと思い、2年目に10年やって辞めるって決めました。

そこから10年、実際は11年。散々辞めるって言ったのに、最後は「やっぱり残りましょうか」と言って断られるぐらい、ウジウジしていたと思います。

嶋内:私、初年度でオリックスという会社に入りまして、あの宮内義彦さんも65歳で辞めるとおっしゃいながら、80歳まで働かれて。そこで、「最後はどんどん楽しくなる」という話を聞きました。やっぱり最後、楽しさはどんどん増していったんですかね。最後の1年2年。

諸藤:そうですね。アジアが急速に動いていくのを見て、もっとやれるんじゃないかと思いました。でも、辞めるって決めていたので、後ろ髪引かれつつ辞めた感じです。

嶋内:ありがとうございます。

【告知】Reapra協働講座プログラムのご案内 

オンライン講座「起業家の学習と成長から事業を生み出す方法」

“企業は、起業家の器で決まる”とよく言われますが、では一体、どのようにすれば、その器は変化し、その器はどのように事業に影響するのでしょうか?

本プログラムは、ベンチャー投資の実務や成人発達理論などをベースに、
起業家の学習がどのように事業創造に繋がっていくのかをテーマとします。

今現在取り組まれている仕事や事業、経験から、「そもそもなぜそれをやっているのか?」を明らかにし、ご自身の学習の道筋を明らかにできる講座です。

事前学習動画、オンラインコンサルティングセッション、メンバー限定の専用SNSを活用し、地域を問わず学習できる講座です。

11/18(金)に講座のミニ体験会がありますので、是非お越しください

講座詳細はこちらから
(お問合せは事務局「miyaji.se@enfac.co.jp」までご連絡ください)

対談後編はこちらから


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