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好きなもの 写真

自己紹介から2週間が経とうとしてますが、ようやく好きなもの紹介の第一弾です。あらかじめお断りしますが、ただ好きなものを書いてるだけなので長ったらしいです。お暇なときにどうぞ。

写真・カメラとの出会い

我が家は母が今で言うところのガジェットオタクなので、小さい頃からデジタルカメラがありました。僕をカメラ小僧にしたきっかけは幼稚園の年長くらいのときに、親戚にカシオのEX-S1を貰ったことでした。なんのきっかけか覚えていないのですが、貰ったカメラをずっと眺めてました。ただ、バッテリーがヘタってたため、すぐに充電が無くなるようになって、新しいカメラが欲しいなって思っていました。


EX-S1 (カシオ公式ページより)

その後、小学校1年の夏休み、新発田にある祖母の家に行くのに合わせて新しいカメラを買って貰いました。その時、どうしても欲しくて「お年玉の前借りで!」って7歳ながらに主張ことを今でも覚えています。その時買ったのがカシオのEX-Z700で、そこからはどこ行くときもカメラを持ち歩いていました。そして、家にいるときもしょっちゅうカメラを触ってはいろんな設定メニューを開いたり、説明書を読み漁ってました。
つまり、その時から写真にもカメラ本体にものめり込んでいったわけですね。
EX-Z700とその後のEX-Z1000(おそらく)はエラーメッセージが出て使えなくなるまで使い倒して、2台とも故障して、カシオに嫌気がさしてニコンのコンデジ(型番忘れた…)に変えました。

カメラ小僧の僕にさらに輪を掛けた出来事が起きたのは小6でした。

EX-Z700(カシオ公式ページより)

一眼レフそして写真仲間との出会い

母がキャノンのEOS kiss X50を買ったのです。母は赤色(シャア由来)が好きなので、赤いカラーが設定されたX50に一目惚れしたのでしょう。それによって母の物を借りる形で一眼レフを使うようになりました。
そして、芸術としての写真表現にもっとのめり込むきっかけが中学時代に市の教育プログラムで出会った友人でした。彼と出会ってからかなりの頻度で鉄道写真を撮りにいったり、その他のいろんな写真を撮って見せ合うようになったりして、表現をより深く考えるようになっていきました。
高校生(正しくは高専生)になって初めての夏、彼が持っていたEOS 6Dを安く譲ってもらい、ついにマイ一眼レフを手に入れました。

EOS 6D (魚眼レンズ買った時の写真)

そして、高専の写真部で出会った感性豊かな(そして一風変わった)仲間たちと毎週水曜日に部室で遅くまで話し込み、品評会を重ね、とても濃い時間を過ごしました。そんな仲間たちに触発されて、1日1枚写真をInstagramに投稿することもやっていて、常に自分の視界にあるいろんなものを観察していました。その頃が一番写真を撮っていた時期で、後述のイベント撮影も含めて年間2万枚くらいのペースでシャッターを切っていました。

イベント撮影にハマる

僕は音楽がずっと好きで、16歳からライブハウスに通っていました。写真と音楽が結びついたのは中学3年のころ、友達の兄がライブをするということでライブハウスに行った時のことでした。そのときもカメラを借りていったので友人の兄とそのバンドメンバーを撮ったときに、めちゃくちゃ良い表情の写真がたくさん撮れました。いま思えば、表情豊かでいつどこで切り取っても魅力的な方々なので、条件が良かっただけですが…
その写真を後日送ると大変喜んでくれて、大好きな音楽が生み出される場で最高の表情を浮かべる演者を撮るという喜びを感じました。
そこから、高校生になって出会った沢山の音楽好きな友人に頼まれて、たくさんのライブを撮る機会を得ることが出来ました。
そして、一瞬一瞬がすべて見逃せない、そして2度と同じにはならないイベント撮影を通じて、次を予測する力というものが少しずつ育っていったと感じてます。
その後、高校生だけでなく大学生や大人のバンドの撮影も挑戦させて貰いましたが、身近にいた先輩カメラマン(高専の同学科の先輩でもあった)がどんどん活躍していったので、数はあまり多くできなかったです…(ちなみに、その方は現在多数のフェス撮影もこなしておられます。)

高専があった町の地域のお祭りも撮影した

小さいカメラの魅力に気が付く

僕は最初に手にしたのがAPS-Cのカメラで、ボケの量(正確には被写界深度)や高感度特性にあこがれを感じてフルサイズを買ったくらいの人間なので、フルサイズが正義だと信じていました。(中判、大判は馴染みがないのでスルーしてください…)
ただ、毎日写真を撮るためにシステムで1kg以上あるカメラ(といっても6Dは当時フルサイズ最軽量)を持ち歩くのは流石に疲れるようになってきました。そこで小さいカメラも欲しいと考えるようになり、友人からソニーのRX100やオリンパスのOM-Dを借りては自分の使い方に合うかを試していきました。
RX100はコンパクトながら被写界深度が深すぎる、OM-Dは被写界深度は十分だけど、レンズが出っ張っていて何だかんだかさばる…
どっちもしっくりこないまま悶々としているうちにふと見つけたのがカメラにびびっと来ました。そのカメラを作っていたのは…松下!(古い)

1年くらい持ってたEOS 80D

m3/4センサーのコンデジ???

見つけた当時強く衝撃的だったのが、パナソニックのLUMIX LX100でした。このカメラはセンサーサイズがm3/4(マイクロフォーサーズ)相当、ズームレンズのテレ端解放F2.8というスペックを持っていました。そして、レンジファインダー風に仕上げたおしゃれなデザインで「求めてたのはこれだ!」となりました。
大型のセンサー(1型と比べて)や明るいレンズのコンデジは確かにあったのです。しかし、本体サイズが思ったより大きかったり、ズーム不可な単焦点レンズ(僕は35mm主義)だったりと希望にピッタリではなかったのです。
しかし、LX100はあまり人気がないものの僕のニーズをすべて満たしていたので、これにしよう!と心に決めました。
その後、初代にするかmark2にするかで迷ったりして時間がかかったものの、当時サブ機に持ってたEOS 80Dを後輩に売った資金を元手に、後継のLX100M2を手に入れました。

LX100M2(暗い部屋でスマホで撮ったので低クオリティ)

ちょうどいいからこその稼働率

イベント撮影を除いて、僕はスナップ撮影がメインなので、どこに行くにもLX100を持っていくようになり、6Dをほとんど使わないくらいにまでなりました。フルサイズ正義って言ってた人間が執着を捨てるようになるくらいにこのカメラがちょうどいいんです。
暗所で撮影しない限りはこのカメラの欠点を感じるところはほとんどないです。

制約は無くなった あとは自分だ

カメラの性能による不満や持ち出すときの障害がなくなったので、もうあとは何も言い訳できない領域です。つまり、下手に見えるのは自分のせいでしかない。思い描いていた画と違う仕上がりになった時に、言い訳は出来ないと言い聞かせながら日々写真を撮っています。
最近は成長の鈍化を感じるのですが、それはおそらく、思考が足りてないということなので、1枚1枚考えながら撮っていく必要があると改めて感じています。

自分には何が出来る?

写真には社会を変える力があるし、アーティストでなくてもカメラマンは人の役に立てる。この2つを今まで幾多となく感じてきました。
僕には副業としてカメラマンになるという目標があり、写真を通して得たものやスキルを活かしたいとずっと考えています。ただ、現状はあまり人の役には立っていないので、ひたすらこの問いに向き合いながらスキルアップを目指したいなと思っています。

最近の作品「踏み躙られるPeace」

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