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新潟県全市町村巡りの旅 第2弾 山古志~魚沼~栃尾

 全市町村巡りの旅の第2弾は、第0弾で上手くいかなかった中山隧道へのリベンジにチャレンジしました。そして、そのままトンネルを抜けて魚沼の守門や入広瀬に行きました。

流石に雪は解けただろう

 G.W.直前の4月28日は気温が高く、バイクで出かけるにはピッタリの日でした。当初は弥彦方面へ出かけようとしたものの、出発前にバイクがトラブってしまい、出るのが昼前になってしまいました。時間がそんなに残っていないので、近場に行き先を変更しました。そこで、思い出したのが第0弾で見事に失敗した中山隧道チャレンジのリベンジです。冬季閉鎖の多くはG.W.には解除されるように、特に規制していない中山隧道の雪もさすがに解けているだろうと思い、行ってみることにしました。

中山隧道に着いたけれど… 山菜採り???

 中山隧道までの道は何回か通っているので、サクサクと向かうことができ、12時過ぎに入口前の駐車スペースにたどり着きました。駐車スペースの隣には東屋があるのですが、そこで地元の人と思しきグループがお昼ご飯を食べていました。常識的対応として、こんにちはと一言挨拶をしました。すると、グループの方々から「おめ、昼飯けえ」(お前、昼飯食べていけ)とお誘い頂きました。お昼ご飯は幸いにもまだ食べていなかったので、お言葉に甘えて頂くことにしました。
 お昼ご飯としてテーブルに並べられていたのは、おにぎりや手作りのおかず、おすすめのおかきなど、のどかな春の一日に最高の品々でした。どれもこれも美味しく、とても幸せな時間でした。

ご飯はどれも美味しかった

話を聞いてると、近くに住んでいて、知り合いの山に山菜採りに来ているとのことでした。お昼ご飯の片付けが終わったその時、「おめ、山菜 採りいくか?」と予想だにしない言葉を掛けられました。山菜採りをする格好ではなかったので、最初は断ろうと思いましたが、せっかくのご厚意なので、ついていくことにしました。移動した先の山にはワラビやコゴメ(コゴミ)があるといい、見分け方から採り方まで教えて頂きました。

スニーカーでここまで登りました

ある程度の量が採れたので、帰ることになったとき、大きなウドを見つけました。これには毎年取りに来ている人も驚いていました。

スーパーや直売所で結構な値段がするものと同じサイズでした

 東屋に戻り、採れた山菜の分配を行っていたのですが、来ていない集落の人たちを含めて、等分するのが決まりだそうです。集落内で争いを起こさないためだそうです。僕が採った分はそのまま持って帰っていいとお許しを得られたので、ありがたく頂きました。そして、そこで地元の人たちとはお別れしました。美味しいごはんと貴重な経験ありがとうございました。
 採ってきた山菜の量はとうてい一人で食べきれる量ではなかったので、翌日に友人におすそ分けし、残りは実家による機会があったので、実家でてんぷらにしてもらって家族で食べました。めちゃくちゃ美味しかったです。

待望の中山隧道

 駐車スペースに着いて2時間ちょっとが経ち、ようやく隧道の中に入ることが出来ました。ここは旧山古志村(現長岡市)の小松倉地区と旧広神村(現魚沼市)を結ぶ877mのトンネルで、手掘りのトンネルとしては日本一の長さです。1932年から16年の年月が掛かったトンネルは村人自らの手で掘られたというものです。

入口

現在は安全な通り抜けが出来ないとして、70m地点までしか立ち入ることが出来ませんが、それでも凸凹した壁からは苦労の跡が見られます。

壁面の崩落から身を守る金網が設置されている
行き止まりの地点


照明が続く風景が美しい


土砂搬出用の運搬機も展示されていた

 現在は隣に新中山トンネルがあり、冬でも快適に魚沼方面に行くことが出来ますが、先人たちの苦労が見える中山隧道からは、冬の厳しさを感じました。

トンネルを抜けて魚沼へ

 中山隧道を後にした時にはもう15時前だったので、六日町に行く予定を変更し、魚沼の上の方に行くことにしました。目的地を道の駅いりひろせにし、トンネルを抜けて須原方面へ向かいました。
 道中、桜が咲いている場所があり、何台か車が止まっていたので僕も立ち寄ることにしました。

場所の名前が分からないまま帰ってきてしまった…

散り始めとはいえ、枝垂桜はとてもきれいでした。

豪農の豪邸に立ち寄る

 入広瀬に向かう途中には旧守門村があるのですが、越後須原の駅のすぐ近くには割元庄屋を務めた目黒五郎助の邸宅、目黒邸があります。敷地は須原公園の一部となっていて、隣のスキー場は行くのですが、目黒邸は行ったことがありませんでした。ウィンターシーズンにはわき目も振らずにゲレンデに直行してしまうので、この機会に行ってみることにしました。

とても立派な造り

宅内はとても広く、主人と家族の部屋や女中の控室など、身分で造りの豪華さが変わり、江戸後期から明治期にかけての身分関係がよく伝わるものでした。

トータル何畳あるんだろう?

また、この家は早くから電気を取り入れたとのことで、大正時代の配電盤が今も残されています。

むき出しのナイフスイッチが当時の雰囲気を醸し出している

目黒家は衆議院議員にもなり、鉄道や道路の整備など地方の近代化を推進したとのことでした。

庭園もとても良かった

 また、目黒邸の周辺には守門地域で使われていた道具などを展示した守門民俗文化財館や、目黒家の資料を展示した目黒邸資料館があります。目黒邸資料館は行ったときはまだ冬季閉鎖中だったので、民俗文化財館の方に寄りました。

農具が多く置いてあった
昔は道路確保さえ困難であったという

 写真を撮り忘れてしまいましたが、湿った雪が降るこの地域ではスコップが登場するまでの間、木製の平たい鋤で除雪をしていたそうで、木鋤(こしき)と呼ばれていました。現代ではスコップやダンプを使いますが、いまでも家にこしきがある家もありますね。

県境を手前に引き返す

 須原公園を後にし、入広瀬に向かいました。道の駅を目的地にした理由は特になく、ただ行ってみようと思っただけなのです。

よくある見た目の道の駅
裏には鏡ヶ池という池がある

 建物の中をさらっと見て、裏の池も見に行って、あまり長いすることなく、道の駅を後にし、来た道を引き返しました。
 入広瀬に向かう道はその先で六十里越峠に続いており、そのまま進むと福島県の只見町に行くことが出来ます。そのため、道中で多くの会津ナンバーの車を見かけました。ただ、この企画では県境を越えることを考えていないので、峠越えはしませんでした。いつか別の機会にやろうと思います。

寄り道しつつ帰ろう

 道の駅を出たときには帰るのには良い時間になっていたので、寄り道しつつ帰ることにしました。入広瀬から長岡に帰るには、栃尾を抜けていくのが早いです。そして、長岡の名水スポットの杜々の森名水公園が寄り道しやすい範囲にあります。という訳で、杜々の森で水を汲むことにしました。

汲みやすいように足場が整えられていた
取水ポイント以外にも大量に湧き出ていて、かなり水量が多いみたい

 水質はとてもやわらかく、まろやかで主張の穏やかな味でした。お茶を淹れるのに使っても、お茶の香りを邪魔することなく、引き立ててくれるものでとても良かったです。

油揚げを食べて帰ろう

 日がだいぶ傾いた夕方の良い時間になり、少しお腹が空きました。そんながっつりご飯を食べたいほどでないときにちょうどいいサイズなので、「栃尾の油揚げ」です。分厚い油揚げはそれだけでおかずとして成立する満足感が得られるものなので、小腹を満たすにはちょうど良いと感じました。ということで、油揚げをその場で作ってくれる道の駅 R290とちおに向かうことにしました。

道の駅の外観 これも至って普通 

普段は道の駅で買い物をすることがほとんどないのですが、揚げたてを食べられると考えれば、少し高めの値段設定も許容できるのです。というわけで

揚げたてサクサクの油揚げ

七味をかけて頂きました。普段は原信で売っている栃尾の油揚げを買っていてオーブントースターで温めて食べるのですが、揚げたては別格のおいしさでした。
 一瞬で食べ終え、エネルギーを補給することが出来たところ、もう少し寄り道する元気が出てきました。ということで、栃尾市街に行ってみたいと思います。

ルビの振り方が斬新だった駐輪場

ちょうどお祭りをやっていた

 栃尾の中心部に着くと交通規制をやっていました。案内看板を見ると露店出店のためと書いてありました。露店を出すということは何やらお祭りをやっているということです。
 近くの駐車場にバイクを停めて商店街を歩いていると露店が数多く出店していて、多くの子供たちがはしゃいでいました。旧栃尾市エリアにどれだけの人口がいるのか知らなかったので、人出の多さに驚きました。ただ、なんのお祭りなのかはよく分からず、立ち寄った和菓子屋さんで訊いてみました。このお祭りは、諏訪神社の春季大祭とのことでした。しかしながら、お祭り要素が他に見当たらないので、話をさらに聞きました。このお祭りは、大名行列が目玉とのことですが、感染症の拡大を受けてここ3年は中止していたそうです。今年も行列は中止になったものの、子供たちのために露店だけは以前のように開催することとなり、お祭り開催にこぎつけたようです。

多くの子供たちが楽しそうにしていた

 露店のものに全く興味がない僕は何も買わずにただ通り抜けていたのですが、さすがに、あちこちから漂う香りにお腹はどんどんと減っていきました。時計を見ると17時半で、そろそろ夕飯にも良い時間でした。ここから家までは40分ほどなので、空腹と掛かる時間を天秤にかけ、栃尾で夕飯を食べることにしました。

開店までの時間調整に街歩き

 選んだお店は商店街の通りにあったトチオノバルというところです。名前をどこかで聞いたことがあるというだけで、どんなお店か全く知りませんでした。店の前の看板にはスープパスタの文字があり、担々スープパスタや背油煮干しスープパスタなどの、見たことない文字列が並んでいました。どんなスープパスタなのかわくわくしながら、開店までの30分程を歩くことにしました。

ここが諏訪神社
川のせせらぎが聴こえる良い街並み

街は穏やかな時間が流れていてとても良い場所だと感じました。こうやっていろんな街を巡りながら、将来どんなところに住もうかと考えるのもまた楽しいです。

担々スープパスタに対面

 ついに18時を回り、お店の開店時間となりました。ただ、予約をしていなかったので、座れるか不安でしたが、1席だけ空いているとのことで、入ることが出来ました。

良い雰囲気の店先

お店は地域密着型ということもあり、地元の方が多く来ていました。密着型すぎて、初見の僕は一切会話をすることなく料理を待つことになったのですが、出てきたスープパスタにびっくり。

これがパスタなのです

どこからどうみてもラーメンの麺が入っていそうな見た目をしています。ただ、カトラリーはフォークを使うという、視覚が混乱するような装いです。
 いざ食べてみると麺は確かにパスタの丸い麺で、味もパスタそのものです。スープは担々麵をベースにしながらも、パスタに合うように味付けが変えられていて。新鮮な体験ができました。パスタの麺なので啜らなくていい分、食べやすいのですが、それでも咽るくらいにはしっかり辛かったです。
余談ですが、僕は辛いラーメンを啜って食べて初手で咽るのがルーティンです。
 美味しいスープパスタを食べて心もお腹も満たされ、胃まで火照った状態でお店を出ると、外はすっかり暗くなっていました。もうやり残したことはないので、家に帰ることにしました。日が落ちた後の山の中は寒く、辛さで温まった体は走りだして5分くらいで冷えて、ほとんどの時間をガタガタ言いながら家に帰りましたとさ。

おわりに

 今回は予定外がとても多い旅でしたが、その分自分の想像をはるかに超える良い体験がたくさんできました。無計画な一人旅はこういう楽しさが魅力ですね。これからも旅を続けて、その様子をnoteにしていくので、良かったと思った方はスキとフォローお願いします!

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