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10万人規模?の自律的ボランティア組織【ふんばろう東日本プロジェクト】

自然(じねん)的な経営を実践しているところを色々と紹介することを目的として始めてみたマガジン。

発起人である西條先生のお話をお伺いする機会があったことをきっかけに、西條先生の立ち上げられた「ふんばろう東日本プロジェクト」についていろいろと調べたり、書籍を拝見したりする中で、自然経営で表現したいことが色々と実践されていたのだなと感じました。

「ふんばろう東日本プロジェクト」とは?

東日本大震災の復興支援を目的に立ち上がったボランティア組織です。2011年3月に立ち上がり、2014年に発展的に解消しています。

同組織では、物資を3000箇所以上の避難所や仮設住宅へ届ける「物資支援プロジェクト」、個人避難宅を中心に2万5000世帯以上に家電を支援する「家電プロジェクト」など、複数のプロジェクトが自律的に動いていた。プロジェクト数は合計50以上と、多岐にわたる支援を展開した。
https://team-work.jp/2014/fumbaro.html

このプロジェクトの詳細については、次の2つの記事を読むととても分かりやすくイメージが付きます。
あとこれ以外には、当時のリアルな状況を時系列で追っていくには、西條先生の書籍がおすすめです。


どういった点がユニークなのか?

立ち上がった経緯も、そのときの環境も、また実態のない組織形態であることも含め、一般的な「組織」とは色んな意味で違っています。
その中でも、特徴的だなと感じた点をざっと整理してみます。

1) 中心はあるが、境界線はない。

「ふんばろう東日本」は、NPOなどではなく、明確な「団体」という境界線が存在していません。

西條:「未曾有の震災」に対するには「未曾有のチーム」を作るしかないと。僕たちの組織でユニークなところは、チーム名簿がないことです。組織の中心はあっても、そもそも組織の内外という「境界」がないんです。あえてNPO団体にしないことで、NPO、行政、企業の方々が、誰でも参加できるようにして「小さな力を集めて大きな力に」を実現できるようにしたのです。
https://team-work.jp/2014/fumbaro.html

名簿もなければ、人数もわからない。先日お話を伺ったときに、「マスコミの取材でもよく人数を聞かれたんですが、本当にわからないんですよね」みたいなことを仰っていたのが印象的でした。

糸井
西條さんがやっているのは内と外の境界線が明確な「団体」ではなく何十万、何百万という人に支えられている「プロジェクト」なんですもんね。
西條
そう、そうなんです。
中心となる「コア」みたいなものはありますが、境界線はないので、誰もが参加することができます。
https://www.1101.com/funbaro/


2) 「指示命令」ができない

関わっている人はほとんどがボランティア。そこには「指示命令」はなく、「強く依頼する」ことも難しく、基本的にはすべて「お願いする」しかありません。
そうなると、本人が「やりたい」と思うことが何よりも重要になりますし、
リーダーに求められる振る舞いとしては、そういった内発的な動機を下げる・阻害するものをいかに取り除くか、ということが求められます。

ボランティアの場合、お金をもらうわけではありませんから、それはもう気持ちしかないわけです。そして、ボランティアのリーダーというものは、「お願い」はできますが、命令権はありません。そういう中で何千人というボランティアの人に動いてもらうには、「やりたい」と思ってもらうしかないわけです。ですから、そのための原理は、営利的な組織でもスタッフに本気で動いてもらうためには役立つと思います。
https://team-work.jp/2014/fumbaro.html
糸井
パワー、つまり権力を増やすことに頼らずに機能するところが、新しいですよね。
つまり、まず県会議員になって‥‥というような、古いやり方じゃない。
西條
いままでのパワー理論は上が下を統率するという構造でしたけどぼくらは、横のラインで動いてるんです。
ぼくなんか、ただの一教員に過ぎないのにこれまでであれば国がやるような大規模なプロジェクトを動かすことになってます。
それも、一銭ももらえないのに、みんなが、何とかしたいという気持ちで、動いている。
糸井
その気持ちが、エネルギーですね。
西條
そもそも「エネルギー」の定義は、「物事を動かす源」ってことですからモノである必要も、お金である必要もじつは、ないんですよね。
https://www.1101.com/funbaro/


3) 「原理」は提示する、あとは任せる

代表者であり、発起人である西條先生は、ボランティアを経験したことのない、哲学・心理学の先生です。そのときに、運営にあたっては「構造構成主義」という考え方に基づいて行われています。

西條
ぼくのやっている「構造構成主義」とは、「無形の形」みたいな、何にでも通用する「原理」なんです。価値の原理でもあるし、方法の原理でもあって‥‥つまり「方法とは何か」という問いなんです。で、すべての「方法」に当てはまる「共通の原理」とは、何か。そういうふうに考える学問をやっていまして、その「原理」をすでに、学問的に作って持ってたんですよ。
https://www.1101.com/funbaro/
西條:「ふんばろう」の運営は「構造構成主義」という考え方に基づいています。その中に「方法の原理」というのがあり、どういう方法が良いかは「状況」と「目的」によって変わるというものです。目的の支援活動はブレないようにして、現地で状況を見ながら、目的を達成できるように有効な方法をその都度考え、それぞれが動いてください、ということを活動の指針として共有したのです。
https://team-work.jp/2014/fumbaro.html

この「構造構成主義」についても、書籍を読むと無茶苦茶おもしろいのですが、まだまだ咀嚼しきれていないので、詳しくは割愛…。


4) 状況をコントロールしない

インタビュー記事や書籍の中で明言されているのは、西條先生は「状況をコントロールしようとしていなかった」ということ。
特に書籍を読むと、当時の生々しい状況が書かれていて、2011年当時の空気感を思い出します。あのとき、「コントロール」なんてできなかったし、前もって計画する、なんてことも想像がつきませんでした。

西條
ぼくは、状況をコントロールしようとは思っていなかったので、「こういうやり方をすれば、こういうことができます」ということだけ、示していたんです。
糸井
うん、うん。
西條
たとえば、ちいさな避難所や家族で寄り添っている個人避難宅などに対してどうやったら支援できるか。
その方法だけ呈示したら、あとは動ける人にチームの組みかたなんかも教えて。できれば、ひとりでも地元の人を入れた方がうまくいく、とか‥‥。
糸井
あとは勝手に動いてください、と。
https://www.1101.com/funbaro/
被災地は避難所が統合されたり、移動したり、通じてなかった道が開通したりと時々刻々変化する中で、数千箇所ともいわれる避難所をまわることはできませんでした。僕たちは効果的な動き方を伝えて、あとは状況と目的をみながらその場で判断してくださいとしたのです。
https://team-work.jp/2014/fumbaro.html

このあたりの「分からないことを、分からないと受け入れる」というスタンスについても色々と考えたのですが、別の記事でも書いたのでここでは割愛。

どういった点が「自然(じねん)」的か?

では、ふんばろう東日本を自然経営という考え方から捉えると、どういう特徴があるのか?

自然経営の特徴として、次の「3つのインフラ」が整っていることが大事、という話をよくしています。
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情報の【透明性】:
関わっている人が、基本的に等しく情報にアクセスできること、言い換えれば、情報の非対称性がないこと。
力の【流動性】:特定の人に権限や権力が固定化していないこと、状況によってその在処が変化しうること。
境界の【開放性】:「ウチ」「ソト」が断絶していないこと、入れ替わりや出入りがしやすくなっていること。
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ここから見ると、ふんばろう東日本は、この「3つのインフラ」に通じる特徴が見て取れます。

境界線があいまい、というか存在しない(【開放性】の担保)
NPOや社団法人などではなく、多くの人が自発的に携わった「プロジェクト」として成立しています。名簿がなかったり、人数を把握していなかったり。
会社などの組織で、ここまで境界線が曖昧、ということは難しいと思いますが、様々な形で出入りがしやすいこと(特に"出る"という選択肢が自然と取りやすい環境であること)は、組織全体として状況に応じて変化する上でとても意味があったのだと思います。

権限が存在しない(【流動性】が高い)
原則として全てがボランタリーに成り立っているので、「指示命令」をする権力の中心がありません。
もちろん、発起人であり代表者である西條先生が、リーダーとして影響力を発揮されていたのは間違いありません。それはあくまでも属人的な「影響力」であり、組織構造として、特定の誰かに与えられている権限ではありませんでした。

SNSを活用した情報共有(【透明性】が高い)
上記の特徴では触れませんでしたが、ふんばろう東日本はTwitter中心に立ち上がり、その後Facebookを活用することで、日本中のボランティアをつないだ情報共有を進めています。(プロジェクト単位にグループを分ける、SNS上のやり取りに関するガイドラインのようなものを出す、など、様々な工夫はされています)

「管理」「コントロール」という意図がない
東日本大震災という特殊な環境だったこともあり、眼の前で怒る状況に対して「管理」しようという意図がまったく働いていません。ただただ、そのときの状況に合わせて個人も組織も「最適な対応をする」ことにエネルギーが向かっています。
構造構成主義という考え方が、こういう適応するような動き方と非常に相性が良い、ということもあったのだと思います。


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