思弁逃避行 12.見送りの呪文

【12.見送りの呪文】

 「おいしく召し上がれますように」

 たこ焼き屋さんで持ち帰り注文した時のことである。女性スタッフが丁寧に商品をこちらに渡しながら、そんな言葉を添えてきたのだ。当初はそのスタッフが独特な接客ワードを駆使しているのかとも思ったが、他のスタッフにも同じセリフと共に商品を渡されることがあったため、どうやらマニュアルか何かのようだ。

 おいしく召し上がれますように。店からしてみれば、これはせつなる願いだろうが、私はこれを言われるのがどうも苦手だ。

 世の中には、思い浮かんでも言わなくもいい言葉がたくさんある。例えば、差し入れか何かでドーナッツをもらった時だ。ドーナッツをまだ食べていないのは自分と、その場にはいないAさんとしよう。残った二つのドーナッツから、チョコのドーナッツを選ぼうと思っていたとき、Aの友人が助言してくる。

「そういえばAはチョコのドーナッツが好きって言ってたよ」

 これだ。

 これを言われてしまっては、自分がチョコのドーナッツを選ぶという選択肢が抹消されてしまう。もしもこの状況でチョコのドーナッツを選ぼうものなら、「こいつはAがチョコのドーナッツが好きだと知った上で、卑しくもチョコのドーナッツを選んだ」という不名誉なレッテルを貼られてしまう。Aさんも残りのドーナッツが一つだったならば「チョコが良かったのに…」なんてぼやくこともないのだ。つまり、これを言ったところで誰も幸せにならない。むしろ申し訳ないという感情を生み出させてしまっているのだ。

 「おいしく召し上がれますように」

 まさにこれもその言わなくてもいいことの一つである。これを言われることによって、そのたこ焼きに対して「おいしく召し上らねば」という精神的な呪縛が生まれる。これでうっかり帰り道にどこかに寄ってしまい、召し上がる時には冷めている、なんてことがあったあかつきには「おいしく召し上がれなくてごめんな…」とたこ焼きに対して、そしてあの女性スタッフにも心で詫びながら召し上がることになる。そんな心境で食べるたこ焼きがうまいわけがない。そんな祈りや配慮は心の奥にしまっておくべきなのだ。

 さて、このエッセイも楽しんでいただけただろうか。どうか楽しく読んでいただけますように。

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