二番手ポジションの悪について

『人の生涯は歩きまわる影に過ぎぬ。』シェイクスピア


「バイス」を観た。

観ながらわかったのだけど、バイスとはアメリカの副大統領のことを指す言葉らしい。
この映画はブッシュ政権の下で副大統領を務めたディック・チェイニーを描いている。

「バイス」に興味を持ったのは主演のクリスチャン・ベールが私のわりと好きな役者で、
ノーラン作品を観ながら彼は単なる2枚目でないと感じてきたからだ。
そのクリスチャン・ベールが肉体改造と特殊メイクでチェイニー副大統領そっくりになっている。
そしてブッシュ、ラムズフェルド、パウエルを含め当時の人物がそっくり!
風刺ブラックコメディだろうなとあたりをつけて観に行ったのだった。

結論を言うと、私としては大当たりの映画だった。

観に行く前の懸念として、
徹底的にこき下ろしてバカにして笑う、スラップスティックコメディではないか
というものがあったのだけど、そうではなかった。

チェイニー副大統領、アメリカ、ポピュリズム、
そういったものに真っ向から取り組んだ真面目な映画だった。
チェイニー副大統領の伝記映画といってもいいぐらいだ。

といいつつ「これって映画だからさ」みたいなおちょくり方もあって、
その距離の置き方というか皮肉っぽい姿勢が大変私の好みだった。
編集もとても凝っている。そっくりさんを出して満足という映画ではない。

大衆、観客をおちょくるような様々なネタがあって、
ニヤリと笑える話がいろいろあるのだけど、
これから観る人もいるかもしれないので紹介しないでおく。
物語の語り手の扱いも笑えないけど笑えるというようなブラックさでとてもいい。

ここからは観ながら私の感じたことを書く。

チェイニー副大統領は、ブッシュ大統領の下で副大統領権限を強化し、
今につながる様々な政策を実行してきたことが明らかにされる。
それは映画を見る限りではほとんどが言葉のすり替えや置き換えを利用したもので、
実質、独裁政治のような仕方であったようだ。

だけど私は途中からこの悪逆非道のチェイニーという人物に共感できてしまうことに気づく。
大統領ではなく、副大統領。
一番上ではなくその一つ下。
将軍と参謀。
その位置がどうしようもなく魅力に感じてしまう。
舞台の上に立つのは別人で自分は裏方で全てをコントロールする。
私は仕事でもなんでもそういう方に強く惹かれてしまうのだ。

だからこの映画を見ながら己の中のディック・チェイニー性というものを考えていた。
この映画ではチェイニー副大統領は平凡な男として描かれる。
ガールフレンドと別れたくないばかりに一念発起してしまうような、
良く言えば叩き上げ、悪く言えば退屈な人間だ。
権力志向であったことは間違いないようだけど、
チェイニーが副大統領のポジションで政策を実行し、コントロールしていく様を観ながら、
おぞましいと思いつつも「わかる……わかるよディック、そこが一番楽しいんだよな」と
共感している自分がいた。今のはうまいなーチェイニー!とか思いながら見ていた。

だからこれは、ビッグブラザーの次の悪を描いた映画とも言えると思う。
ビッグブラザーのように目に見える悪でもなく、
リトルピープルと言われるような小さな悪でもなく、
明確に存在しつつも人前では目立たない、
まるでチェスタトンの逆説のような悪の姿だった。
我々が警戒しなくてはいけない本当の悪は、こういう形をしているのかもしれない。
魅力的な悪の造形だった。
途中で引用されるようにマクベスがモチーフにされていることもあり、
ほとんどうっとりするような気持ちで私はこの映画を見た。

でも、この映画はひねくれているので、ピカレスクロマンではない。
この距離の置き方もとても好みだった。

見終わって気分がいいとか痛快とかそういう映画ではないし、
趣味がいいかといえば、そうではない。
悪趣味すれすれだけれど、そこで踏みとどまっているのは、
この映画が姿勢としては真面目に作られているからだと思う。
構成は凝っているしインサートされるイメージなども普通のハリウッド映画とは違うけれど、
チェイニー副大統領という存在を通してこの映画は観客に対し問うている。

お前は自分の頭で考えているのか?

その問いを最初から最後まで突きつけ続けるという製作者の姿勢が見える映画だった。
実に僕好みな映画だったよ。という熱のあまり、珍しく文章を書いてしまったぐらい
私は好きなので「バイス」おすすめです。

あと当時からパウエル国務長官はいい人そうだよなーとか、
ラムズフェルドはタカ派だなーとか、
ブッシュはバカそうだなーとか感じてたままの人物造形だったので、
本当にそんなことある?と懐疑的な気持ちがなくもないけれど、
先の問いを投げかけるこの映画をそっくり信用することが映画の趣旨ではないと思うので、
さして詳しいわけでも興味がある訳でもない人間の評価は留保したいと思う。


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