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2話 3月11日(金) 【短編映画『夜間(企画・プロデュース 久保田徹朗)』公開中】

剥がれても削れてもいない「金井夏実」と名前シールの付いた下駄箱から上履きを取ると、私はいつもの癖で少し離れた下駄箱の中を一瞥した。確認するのが日課になっている下駄箱には、踵がすり減ったNIKEのスニーカーが入っている。

そっか。一つ下の学年は、卒業式の準備で早めに登校するんだっけ。残念に思いながらも、私は妙に日の差した大階段を登っていく。

今日は曇りのち晴れ。

それは今日の空模様ではない。今日の私の気分は “曇りのち晴れ ”なのだ。

私は本日をもって、一年も通っていない南中学校を卒業する。校長先生から賞状を受け取り、思い入れもない大人たちの挨拶を聞き、そして、歌詞もメロディもうろ覚えの校歌を歌って、この中学を卒業する。

「好きな子から第二ボタンなんてもらっちゃダメよ?卒業したら絶対無くすんだから」

母からはそんな忠告を受けたが、私には関係のない話に思えた。卒業式には母に加えて、話し掛けてもパソコンを見つめてばかりいる父も来ることになっていた。もちろん私の気分が晴れになる所以は、この卒業式ではない。“その後の約束 ”が待ち遠しいのだ。

階段を登り切ると、廊下からはいつもより浮かれた声が聞こえてくる。

今年の卒業生は私も含めて計15人。みんなは写真を撮ったり、卒アルにメッセージを書き合ったりしている。

私は足のない幽霊のようにみんなの間を通り抜けて、窓際の特等席に座る。普段はくじ運がなくて、商店街のガラポンでは絶対に残念賞を引く私だけど、なぜか最後の席運だけはよかった。マッチの燃え殻くらいにしかない私のくじ運を寄せ集めて、「最後の席」だけに全運を使い果たしたんじゃないかと怖くなるほどの席だった。

特に眺める場所もない私は鞄を枕がわりにして校庭を覗くと、帰宅部然とした走り方で校庭を横断する制服姿の青年を見つける。彼は先ほどの踵がすり減った、あのスニーカーを履いている。

「優太くんー!」

教室の騒がしさにかまけて叫んでしまったが、思った以上に大きな声が出た自分に、我ながら驚いた。

今日の私の気分を牛耳る優太くんは、不確かな呼びかけに恐る恐る振り返る。ウォーリーを探せならぬ、夏実を探せ。ページを捲った途端に「いた!」と指を差して、周りに鬱陶しがられる人みたいに、彼は瞬時に私を見つける。

すると優太くんは、私に向かってぎこちないジェスチャーをし始めた。

えっ……パントマイム?私が卒業するから、パントマイムでお祝い?絶対に違うけど、とりあえず優太くんにアフレコするか。私は勝手に優太くんの動きに声を乗せてみた。……何て滑稽なんだろう。高みの見物客のように、私はそれを繰り返す。

だんだん疲れてきた優太くんは、腰が曲がって諦めモードになっている。さすがに何度も同じジェスチャーをさせられる優太くんが可哀想になってきて、私はじっくりと彼の動きを観察することにした。

両手の人差し指で小さなまるを描き、何かを持つようにして右手を差し出す。

「……CD、持ってきた」

あんな完成度のジェスチャーで理解した私は天才だと思う。それ……わざわざ今、伝えること?

私が別の意味で笑うと、優太くんは私が喜んでいると勘違いをして大きく頷く。そして彼は満足げに私に背中を向け、目的地の飼育小屋へと走った。

予定調和な卒業式が終わり、溶け込むに溶け込めなかったクラスメイトたちと記念撮影。両親とも校舎をバックに写真を撮り終えて、一旦解散する。

そして、私が一人でいつもの場所へと向かう最中だった。

聞き慣れない豪快な音が、一気に街を呑む。人生で体感したことのない大きな揺れ。全く足が動かない。自分でも心臓の鼓動がドクドクと速くなっていくのがわかった。

お願い、早く止まって……。

道路標識や周りの建物が大きく揺れ、崩れていく姿を見て、私はただ事ではないと悟る。しばらくして揺れが落ち着くと、遠くから知らない声が聞こえた。

「逃げろ!高台へ逃げろ!」

緊張感の走った声に背中を押されながら、私は無我夢中で高台へと登った。
足を動かしても動かしても呑まれていく、蟻地獄のような感覚を味わったのは初めてだった。そして必死に辿り着いた高台で私が見た光景は、現実とは思えないものだった。

……それから数日後。私は当初からの予定通りに、家族と福島を出た。

卒業式の日。私は、優太くんから星野源の『くだらないの中に』のCDを借りるはずだった。どちらかというと、彼が貸したいっていうから借りる。CDに対してのモチベーションは、正直それくらいだった。

でも優太くんから借りるCDは、なんだか特別な気がしていた。

もしあの日、優太くんからCDを借りていたら……。

手垢がつかないように慎重にCDのパッケージを開け、生まれたての赤ちゃんを触るかのように優しく歌詞カードを手に取り、そしてジェンガーのタワーからブロックを抜くように、円盤を取り外す。

音楽を流す間は、曲よりも彼が歌う姿を頭に浮かべる。例えアーティストに、曲にハマれなかったとしても、彼の一部を知れた気になって思わずにんやりと笑う。どうして自分がそうなるかわからないけど、あの夜、私はきっとそうなるだろうと思っていた。

「優太くん、大丈夫!?」

私はあの日優太くんに連絡をしたが、返事は一切返ってこなかった。優太くんは、無事なのだろうか?いや、無事。無事だ。無事じゃないと困る。

でも彼は今、どこで、何をしているんだろう。彼の隣には誰がいて、どんな話をしているんだろう?

希薄な人間関係には、慣れっこなはずだったのに。私の近くには優太くんのことを気軽に聞ける人もいない。

気が付けば私は、福島から遠く離れた土地で、祈るようにして、フォロワーが13人しかいないTwitterに投稿していた。

「私は以前、福島の南中学校に通っていた者です。
 実は同じ中学校に通っていたある人を探しています。
 走り方が不恰好な飼育員の男の子です。
 もし心当たりのある方がいたら、DMください。
 ※私が彼を探していることは、本人には内緒でお願いします」

もちろん、フォロワーの中に南中学校の人はいない。

ただただ、彼に届くはずのないアカウントで、真っ暗闇なSNSの片隅で。優太くんの無事だけを願って、奇跡が起きるのを待っていた。

しかし、それから数年後。

「電話帳、移しますか?」

京都にある携帯ショップにいた私は「いや……大丈夫です」と答えていた。

(作:須賀原優希 / 企画・プロデュース 久保田徹朗)


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