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4話 11月25日(土) 【短編映画『夜間(企画・プロデュース 久保田徹朗)』公開中】

「有終の美を飾る」とはこういうことだろう。引越しの準備をする私の元に、元同僚からLINEが届いた。

「最後に夏実が配信したメルマガからアポが3件取れた。ほんとありがとう」

AIが書きそうな定型文を返そうと思った瞬間、予想だにしない言葉が視界に入り込んでくる。

「でね、エースタッグっていうIT企業にアポ行ったんだけど、中村優太さんって人に会ったよ。夏実、知り合いなんだって?」

私は、彼女に返信をしたらそのまま荷造りに戻るつもりだった。まだまだダンボールに詰めきれていない最大の敵、エンタメコーナー。ここには大好きなミスチルを始め、数々のアーティストのCDやライブDVD、関連雑誌、写真集などがある。

よく友達や家族と「好きなものは最初に食べる?最後に食べる?」という埒のあかない質問をしあうことがある。私は「最初に食べる派」だけど、ダンボールの荷造りについては「最後まで残しておく派」らしい。だって、あの宝の山はギリギリまで眺めておきたいから。

あの山に行き着くまでに、片付けないといけない場所が沢山あるのに、「中村優太」という4文字を目にした私は荷造りへと戻るのを辞め、しばらく真っ白な天井を眺める。

私はもうすぐ約七年暮らした京都を出て、東京へと上京する予定だ。上京をしたらこれまでの一人暮らしには終止符を打って、これから先は二人暮らしになる。恐らくその二人暮らしは、これから五十年程続く。続いてもらわないと困る。

そんな未来を描いていた矢先にどうしてこの4文字は現れるのだろうか。私の中には、嬉しさよりも複雑な感情が込み上げていた。

それから数ヶ月後。東京の京王線・笹塚駅沿いに引越した私は、某恋愛映画でトイレットペーパーを持った主人公らが終電を逃した明大前で電車を乗り継ぎ、井の頭線のホームへと移動する。

やはり東京は駅のホームから熱気が違う。壁沿いまで人の行列ができて、急行列車が来るとホームにいた大方の人が電車に乗り込む。もちろん座る余地もなく、ただ目の前を流れていく外の景色を眺めながら、私は待ち合わせ場所へと向かう。

私がこれから向かう駅には、かつて無名だったミスチルが音楽活動をしていた「La.mama」というライブハウスがある。今から三十年程前、ミスチルの4人が音楽に情熱を燃やしたライブハウスだ。

他にもここ「渋谷」で、ミスチルは伝説のゲリラライブを行ったり、ラジオ番組の収録も行ったりしたらしい。ゲリラライブは1995年のことで、私はまだこの世に誕生すらしていないが、とにかくここはミスチルと関連深い場所だ。

駅からしばらく歩いた先に、指定された居酒屋があった。この居酒屋は食べログ評価3.9。私的にはちょうどいい。

私はスマホ画面を鏡代わりにして、唇にのせたリップが落ちていないかを確認。少し色が薄いと感じた私はバッグを空けて、3本ほど持ち歩くようになった選抜リップから1つを選ぶ。

今日に至るまで、化粧品をいくつ買い足しただろう。チーク、アイシャドウ、アイライナー。しばらく買い替えていなかった化粧道具を一気に替えたせいか、化粧ポーチにはすっかり新入りが増えて、古株の肩身は狭そうだった。

唇の色を整えた私は、暖簾をくぐる。……一瞬にして彼のいる場所が分かった。まるで自然界で獲物を視界に捉えた百獣の王レベルの目ざとさ。見つけるのが早すぎたせいで表情作りが間に合わなかった私は、一旦とぼけた顔で辺りを見渡す。

「……夏実さん?」

そこには十年以上も前に、南中学校の校庭から笑顔を向けてくれた彼と同じ顔があった。でも記憶の中の声が違う。いや、気のせい?

よくテレビ番組で何十年ぶりに再会する芸能人と恩師の再会を見るけれど、私もまさにあんな感じ。完全に幕の上がったカーテンからオドオドと出てくる側の人だった。

私は当たり障りのないリアクションをして、優太くんと反対の席に腰掛けようとする。……えっと。何を話そう?いや、何から話そう?そんなに使い勝手のよくない私の前頭葉をアクセル全開で動かしている間に、あるものが視界に入る。

優太くんの席の横にある「TOWER RECORDS」とロゴの入った黄色のレジ袋。……変わってない。確かに声は低くなったけれど、あの時と同じ優太くんがいる。そう思った私は、これまで必死に水を堰き止めていたダムが崩壊したかのように、彼に質問を投げかける。

「何買ってきたの?」
「え、第一声それっすか?」
「気になるから。中身見せてよ!」
「もー仕方ないですねー」

優太くんは相変わらず敬語だったけど、口調は変わっていた。「っす」とか言っちゃう系の男子になったんだ。そっち系ね。はいはいはい。でも、なんかかわいいかも。

そんな脳内対話を繰り広げているうちに、優太くんがレジ袋から渋々取り出したのは、何度も見たことのあるパッケージだった。

星野源のオールナイトニッポン リスナー大感謝パーティーの円盤。

「うわ、私も買おうとしてた!」
「え?まだ源さんのこと追ってくれてます!?」

私は十年前に彼から借りられなかった星野源の『くだらないの中に』を思い出す。借りられなかった曲だけど、今は私のSpotifyに入っている曲。

「何言ってんの!当たり前だよ!」
「ほんとっすか?一回観たら貸しますよ?」

……モノの貸し借りは本当によくない。転勤族というのもあって、友達に渡したまま返ってこなかったモノが沢山ある。私は人に貸して返ってこなかったモノは、いつまでも覚えている派だ。

時々貸して返ってこなかったモノを思い出しては、虚しくなる。

だけどもっと残酷なのは、その貸し借りが成立しないこと。その相手が大切であれば大切な人ほど、いつまでも、こうして十年後も。約束が心に引っかかったままだ。心に糸が絡まったように、解いても解いても外れない。

「えーいいの?じゃあ貸して!」

今度は、この約束は成立するのかな?そんな不安が過ぎるが、今回はその約束が成立した。

私たちはそれから季節が一周半まわる間、しばらくモノの貸し借りを続けた。

本や雑誌、CD、DVD。単純に物理的なモノが介在するおかげで「貸す」「借りる」という行為が続けられる。

あの頃のように私たちは好きなものを好きなだけ貸し合った。貸し借りがあるおかげで「遊べる?」とか「ご飯いかない?」とか、精神的ハードルが上がる誘い方をしなくてもいい。

それに……同居人への罪悪感も薄れる。

「レモンサワーおかわりする?」
「そうっすね」
「すみませーん!」

店員さんに向かって左手を挙げた私は「やってしまった」と思った。薬指にはめた指輪が、無邪気すぎるほど眩しい光を放っていた。今日家を出る寸前まで、着けていくか迷った指輪。

この関係をいつまでも続けることはできない。でも自分から言葉にして、彼に告げることもできない。だから私はいろいろと考えて、故意に指輪を着けてきた。

でも……。

膨らましすぎた風船が破裂するように、私は思考停止に陥る。

きっと私の左手薬指に気付いたであろう優太くんは、何も言えなくなった私の代わりに「レモンサワー2つ」と頼んでくれた。そして店員さんがその場を離れると、優太くんはいつもより早口気味で言う。

「これ、やっぱり先に観ます?」優太くんが咄嗟に差し出したのは、先程購入したはずの「TOWER RECORDS」のレジ袋。透けた袋の中には、まだ封も開いていない新品のライブDVDが見えた。

(作:須賀原優希 / 企画・プロデュース 久保田徹朗)


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