見出し画像

1話 9月1日(水) 【短編映画『夜間(企画・プロデュース 久保田徹朗)』公開中】

「……好きなの?」

隣、いや隣とも言い難い絶妙な距離に座っていた少女が、空いたレモンスカッシュの缶を片手に、僕に視線を送っていた。本当に僕を見ているのだろうか?確認してみたが、後ろには誰もいない。僕は観念して、そっと耳からイヤホンを外した。

「星野源……好きなの?」
「……え?」
「ほらこれ」

彼女はシリコンケースに入った僕のiPodを指差す。確かに画面には「星野源 ばかのうた」と表示されていた。

「えっ。源さん……源さん、知ってるんですか?」
「うん、知ってる!」
「えぇ!」
「それ、この間リリースされたファーストソロアルバムだよね?」
「そうです!最近ヘビロテしてて!」
「へぇ。まさかここに星野源を知ってる人がいるなんてね」

そう話すと少女は、缶の縁に唇を当てて喉を潤す。

「……君さ、南中の2年生だよね?」
「あー……はい」

やっぱり彼女は僕の存在を知っていた。なんとなく恥ずかしくなり、この感情を紛らす話題はないかと辺りを見渡す。

「……これ、一緒ですね」
「え?」

僕はさっき買ったばかりのレモンスカッシュを自信なさげに掲げる。勝手に掲げられたレモンスカッシュは、僕の代わりに汗を掻いているようだった。

「ふっ、本当だ。こんなにたくさん商品があるのに奇遇だね。乾杯」

真新しい夏のセーラー服を着た少女は、白くて細い腕を伸ばして、僕のレモンスカッシュにちょんと近づけた。

* * *

僕はコンビニなのか、駄菓子屋なのか、何とも断言しづらい空間にいた。僕たちが通う海沿いの中学校を出て、しばらく街のほうへと歩いた先にあるこのお店。笑っているんだか、怒っているんだか、いまいち表情が掴めないおばあちゃんが経営している世界に一つだけのお店だ。

店内にはイートインスペースのような空間があって、お店の物を何か購入したら自由に使っていいことになっている。ここは学校社会に馴染めずにいる生徒たちにとって、憩いの場所だった。

「部活は?入ってないの?」

痩せたレモンスカッシュの缶を覗きながら、少女が言う。

「僕は入らないって決めていて。……入らないんですか?」
「え、私?」

彼女は、授業で不意に先生から当てられた人のような顔をして、自分を指差す。子どもなりに社交辞令で質問返しをしたものの、僕は質問を仕返した自分を恨んだ。

「あーうん。入っても意味ないし。というかこの学校、部活あるの?」
「サッカー部とバド部しかないですね」

数時間前、彼女が体育館の壇上で堂々と自己紹介する様子を、少し前に転校してきた僕は先輩面で眺めていた。この人も僕と同じく、転勤族に生まれた側の人間だ。

生徒数が少ない南中学校の生徒は、最後の力を振り絞って鳴いている蝉の声に邪魔されながらも、真剣に彼女の自己紹介に耳を傾けていた。

「私、夏実。さっきも体育館で自己紹介したけど、一応」
「中村優太です。よろしくお願いします」
「えっ、かたいな〜!」
「いや、だって、年上なんで」
「まあ、年齢はね。優太くん、あだ名は?」
「あだ名。……ないですね」
「あーそっち側」
「え?そっち側って、どっち側ですか?」
「私はありすぎて困る側。転校する度にあだ名をつけられるから、もう何でもウェルカムスタイルに切り替えたの」

沈黙を紛らわすかのように、同じイートインスペースで眠るおじいちゃんのイビキが響く。気付くと店におばあちゃんの姿はなく、僕たちだけの空間のように思えてくる。

「じゃあ、優太くんって呼ぶね!」
「はい、僕は夏実さんで」
「えっ、かたくない?」
「年上なんで」
「またこの流れ (笑) 優太くんは上下関係を重んじるタイプなんだね」

真っ黒な髪を揺らしながら笑う夏実さんは、あまりにも自然に僕を「優太くん」と呼んだ。福島に来る前にも「優太くん」という友達がいたのだろうか。

僕は転勤族の家庭に生まれた長男。商社に勤める父と家族を支える母の3人家族だ。父の転勤が決まれば、一家はこぞって大移動。ヤドカリの引越しみたいに、僕はその土地に合った “自分” という貝殻を背負い、新たな環境へと冒険する。

けれど、僕は貝殻探しが苦手なようで、これまでしっくりきた環境には出逢っていない。僕は世間がイメージする通りの「転勤族」で、人間関係の切り替えが早いタイプだと思う。仲の良い友達ができたとしても、いずれ離れることが分かっているから、自己防衛のためにそれ以上の “名前のついた関係” にならないようセーブしているのかもしれない。

「ねぇ、優太くんは他に何が好きなの?」
「好きって、趣味ですか?」
「うん。ちなみに私はエンタメ全般イケる口だけど、一番はミスチル。CDが出る度に、歌詞カードを印刷して歌詞の意味を考えて、近くに桜井さんを感じるまでが一連の流れ」
「本格的……」
「音楽以外にも、ドラマも観るし、ラジオも聴くし、お笑いもみる。私の人生は100%と言っても過言ではないほど、エンタメで構成されているから。将来はね、エンタメに疎い人とは、絶対結婚できないって思ってるんだ」
「へぇ」
「……あのさ」
「はい」
「優太くんって口数少ないって言われない?」
「あっ、いや……」

僕は共感と緊張と興奮で、次にどんな話を繰り広げたらいいのか、困惑していた。

僕もエンタメが大好きだから。エンタメに支えられてきたから。エンタメは僕が日本各地のどこへ行こうとも、唯一連れていくことができる存在だから。何よりもエンタメは裏切らないと知っているから。

脳内にはこんなセルフトークが飛び交っていたが、急に饒舌になったら気持ち悪がられると考え、僕はいい塩梅を探った。その後、僕が選んだネタは間違っていなかったらしく、それからここは夏実さんと僕の待ち合わせ場所になった。

「源さんがゲゲゲの女房に出てたんですよ」
「ホタルノヒカリ2観た?」
「モテキ観てください」
「ミスチルのニューアルバム『SENSE』超いいから聞いて!」
「やばいです!源さんのワンマンライブが決まりました!」

気付けば、放課後の夏実さんとのエンタメ談義は僕にとって生き甲斐になっていた。でも僕は忘れていない。この出逢いも期限付きだということを。

僕は人生で初めて自分の感情をコントロールできなくなった。これまではリモコンを向けられたテレビのように、ボタンを押されたら制御できていたのに。

(作:須賀原優希 / 企画・プロデュース 久保田徹朗)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?