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特許翻訳歴16年、み・カミーノさんがコロナ禍で選択した新しいステージ

み・カミーノというハンドルネームで活動する女性がいる。ハンドルネームの由来はスペイン語の“Mi Camino”。「わたしの道」という意味だ。3人の子どもを育てながら翻訳者として16年働き、2年前からはnoteで文章を綴るようになった。選択の多い女性の人生、彼女はどんな選択をして「わたしの道」を作ってきたのだろうか。お話を伺った。

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警察から事情聴取?!非日常で溢れたホテルの世界

み・カミーノさんは、中学生の頃から英語が好きだったという。大学では英米文学を専攻し、卒業後はホテルに就職した。ホテルを就職先に選んだのは、英語を使えること、そして非日常の雰囲気に魅せられたからだった。ホテルでは外国人ゲスト担当のフロントクラーク担当になった。毎日のように大小さまざまな事件が起きたという。

「『HOTEL』という高嶋政伸さん主演のホテルが舞台のドラマがありますが、あのドラマとはいかないまでも事件が頻繁に起きました。一番印象深かったのはホテルに殺人犯が宿泊していたこと。接客したホテルスタッフの中でなぜか私だけが犯人の顔を覚えていて。そのことから実は殺人犯を匿っているのではないかという疑いをかけられ、数人の刑事さんから取調べを受けたことがありました

もちろんその疑いは晴れたのだが、犯人が捕まったあと、自分しか犯人の顔を覚えていなかったため担当刑事に呼ばれてマジックミラー越しに犯人の顔を確認しに行った。まるで刑事ドラマのようなことことまで起きる、そんな非日常に溢れたホテルの世界が大好きだった。

しかし勤め始めて4年半ほど経った頃、結婚を機にホテルを退職することにした。ホテルの不規則な勤務シフトと結婚生活との両立は困難だと判断したからだ。

「子どもが小さい時はお母さんが一緒にいないとダメですよ」

退職後に長男を出産。夫はみ・カミーノさんが外で働くことに賛成してくれた。子育てと両立でき、かつ英語が使える仕事を求めて、貿易事務などの仕事へ転職活動を始めた。ところが転職活動はまったくうまく行かなかった。

「書類選考が通り面接に呼ばれました。採用してくれるかもと期待して面接へ行くと、人事部長のような肩書きの男性が出てきて『お母さんがなぜわざわざ働く必要があるんですか?子どもが小さい時はお母さんが家にいないとダメですよね?』と説教されるんです。それも1度だけでなく3〜4回も

今から20年以上前、世間では母親は働くべきではないという風潮がまだ強かった。英語を使う仕事はキャリアを積む仕事だと思って志望していたのに悔しかった、と当時の気持ちを振り返る。

「悔しくて『そうですか。女性に対してそういう視点を持っている会社はこれから伸びないと思いますので、こちらからお断りいたします』と伝えました」

そう伝えたものの気持ちは晴れず、そんな日は家に帰って夫に泣きついた。

「特許翻訳を学びませんか?」翻訳スクールの広告にスポットライトが当たって見えた

転職活動は一向にうまく行かないが、どうしても英語を諦められなかった。時折、翻訳専門雑誌を買っては、いつかこんな仕事をやってみたいと憧れた。

「ある時、家の台所の床にぺたんと座って翻訳雑誌を読んでいました。パッとページを開いた時、『特許翻訳を学びませんか?』という翻訳スクールの広告が目に入りました。

これが本当に不思議な体験で忘れられないのですが、自分と雑誌がスポットライトを浴びているような感覚になったんです。その瞬間、『これだ!』と思いました

「自分に投資したことは必ず将来回収できるから、投資した方がいい」

特許翻訳者養成コースには、土日のみ通学するコースがあった。土日両方13時から17時まで半日授業に費やし1年間通うコースだった。当時長男は0歳、近くに頼れる親戚もなく、土日の子どもの世話を夫に頼まないと学校に通うことはできなかった。加えて、授業料も高額だった。

「夫に相談すると、『それは自己投資。やりたいことで、今後のキャリアに繋がると思うんだったら投資した方がいい。投資した分は必ず回収できるから』そう背中を押してくれたんです。夫がこう言ってくれたから、私は翻訳スクールに通うことができました」

再び難航を極める就職活動

翻訳スクールでの勉強は大変だったが、特許翻訳の世界に魅せられた。特許翻訳は一般に馴染みがない世界。だからこそこんな面白い世界があるのかと知的好奇心を刺激された。翻訳スクール卒業後は、特許事務所に絞って転職活動を行った。

「当時、特許翻訳者は人手が足りないと言われていたのですぐに就職できると思っていました。でも、応募書類を出しても出しても面接にすら進めなくて。そんな日が半年続きました」

特許翻訳は訳し方一つでクライアントに大きな損失を与えかねない責任の重い仕事。その責任感の重さから希望者は少ない。また、特許翻訳者のほとんどは、特許に馴染みの深い法律業界出身か元技術者たちだと、就職活動を開始して初めて知った。ホテル業という畑違いの業界からの、しかも翻訳スクールを出ただけの人間は相手にされなくて当然だった。

手当たり次第応募書類を送り続けて半年ほど経ったある日、一つの特許事務所から返事があった。

実は、間違えて同じ事務所に履歴書を2回も送ってしまっていたんです。事務所の所長が『そんなにうちの事務所に入りたいのであれば事務員として雇ってあげましょう。5年間事務員として働いた後、試験を受けて受かったら特許翻訳者にしてあげましょう』と言ってくれました

この事務所が今の勤務先だ。約束通り事務員として5年働いた後、試験を受けて合格し、晴れて特許翻訳者になった。今年で勤続21年になる。

母親としての不甲斐なさに涙した

仕事が充実する一方、母親として不甲斐なさに涙したこともあった。今よりもずっと働くお母さんが少なかった時代、まわりの「なぜ母親なのに働く必要があるの?」という視線に傷ついた。

子どもが小学校へ上がると、保育園時代とちがい同級生の母親は専業主婦ばかりになった。

「子どもが放課後にお友達の家に遊びに行った日、とてもびっくりした様子でこう話しました。『他のお母さんは平日の昼間に家にいるんだって!』『遊びに行ったら手作りドーナツ出してくれて、一緒にトランプで遊んでくれた!』子どもの何気ない言葉に、落ち込みました」

子どもは自分を責めている訳ではなく、純粋にただ驚いただけだとわかっていた。それでも、自分は母親失格なのではないかと思い、そんな話を聞いた日の夜は、込み上げる嗚咽をグッと喉の奥に押し込んだ。

「うちのお母さんは翻訳者」

そんな想いで育てた3人の子どもたちは、今や一番上は23歳、末っ子は13歳になった。

長男が小学生だったころに比べ、働くお母さんが珍しくなくなったと感じるという。

「末っ子の学校で『お母さんはどんな仕事をしていますか?』という宿題が出ました。上の子が小学生だった時代と違い『外で働くお母さんもいれば、おうちのことに専念するお母さんもいる。おうちで働くお母さんもいる。いろんな働き方がありますね』と先生が子どもたちに話すみたいです。

『うちのお母さんは翻訳者です』と娘がクラスで発表すると、先生がすごいねと反応してくれたらしくて。『うちのお母さんはなんかすごいことをしてるらしい』娘がそう感じてくれたことが嬉しかったですね」

「女性も働かなきゃ。自立しなきゃ」

毎日言い合いばかりしている夫婦仲の悪い家庭で育った。経済力の無さから自由になれず、苦労する母親を見てきた。だからこそ自分は自立しなきゃと思って生きてきた。

女性がキャリアを築くには男には負けまいとがむしゃらにならなければいけない時代だった。苦労して掴んだキャリアだからこそ「稼げるようになりなさい」と娘の将来に口を出してしまう。

「ついうるさく言ってしまい『もう何回もそれ聞いたから!』と娘には煙たがられてしまいます。たぶん今の子たちとは感覚が少しちがうのかな。プライベートとキャリア、どちらも自然体で大切にしていけばいいと若い子たちは考えているようです。会社の若い後輩にも『頑張りすぎ』とよく言われます。古い考えを押し付けないようにしないといけませんね(笑)」

今年で50歳、新たなステージへ

み・カミーノさんは長く勤めた会社を退職し、5月からフリーランスになる決断をした。

もともと55歳になったら、場所にとらわれずに自由に働きたいと思っていた。思いがけず、それより早い50歳というタイミングでフリーランスになる決断をした。

「きっかけは、昨夏に翻訳会社の人から連絡をもらったこと。翻訳の仕事についてたびたびnoteに書いていました。そのnoteを読んだ翻訳会社の人から『特許翻訳部門を新しく立ち上げるから試験を受けて登録翻訳者になってほしい』と言われたんです。登録翻訳者になると、その翻訳会社から仕事を紹介してもらえます。コロナでリモート勤務をするようになって、自宅での仕事の仕方も気に入っていました。仕事を獲得できて、自宅でひとりで仕事することも辛くない。それなら55歳を待たずにフリーランスになってしまおう、そう思いました」

ハンドルネーム「み・カミーノ」はスペイン語で「わたしの道」。彼女の道はこれからどこへ繋がって行くのだろうか。

「本当はいろんな国に住んでみたい。コロナですぐに実行できないのが残念です。これからいろんな働き方を模索して、翻訳をやりつつ、書くことが仕事に繋がるような活動もしていきたいと思っています。国際交流が好きなので、留学生の支援や在日外国人の困りごとを周知させる文章をかくとか。やりたいことがたくさんあります」

《インタビュー後の感想》
*み・カミーノさん世代の女性の頑張りがあったからこそ、私たち後輩世代は、当たり前のように仕事も家庭もと望むことができるのだな、と改めて感謝の気持ちを持ちました。
*人生の選択の際には「面白そう」「好奇心」といったキーワードが多く出てきたことが印象的です。家族のため、将来のため・・起こってもいない「もしも」に備えて自分の好きなことに蓋をしてしまう人は多いのではないでしょうか。私も自分自身の興味関心を育てて行きたいなと思いました。
▼表現力豊かな、み・カミーノさんのエッセイは、すでにたくさんのファンがいます。まだ読んだことがない方はぜひ読んでみてください!



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