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「学校を休む」同級生に嫉妬していた

引っ込み思案で自らアクションを起こせない子どもだった私。

人より目立ったら嫌われる、、、そう思ってなるべく集団からはみ出ないように行動するのが信条だった。
(生まれつき髪が赤かったので、それだけで目立っていたらしい。上級生…しかも男の子から「生意気!」と髪を引っ張られたりした)

今思うと、「子どもの頃、人目を気にせず行動できていればなぁ」ということがいくつもある。

その中の一つは、「不登校の同級生にやさしくできなかったこと」。

6年生から不登校になった同級生

6年生に入って間もない頃だったと思う。同級生Mちゃんが学校を休みがちになった。

5・6年生のクラスで初めて同じクラスになり、いわゆる”仲良しグループ”が別だったので、あまりたくさん喋っていたわけではないけど、保育園が一緒だったからとても馴染みのある子。

欠席が続いてるな…と思ってはいたけど、体が強い方ではなかったと記憶していたので、大ごととは感じていなかった。
けれど、ある日の朝、先生の近くにいた数名の女の子が呼ばれた。私もその一人。

先生について階段を降り来客用駐車場へ。白い車の中の外に大人の男性が立っていて、何かを引っ張り出そうとしている。近づいてみると、中にいたのはMちゃん。

「いやー!行きたくない!!」と泣き叫び、頑なに外へ出ようとしないMちゃん。私よりさらにおとなしいMちゃんがこんなに大きな声を張り上げるのを初めて見たかもしれない。

たぶん、その時点では状況を知る子はほかにいなかったと思う。何事か分からないけど、とりあえず「どうしたん?教室行こうよ」と私たちが声を掛け、Mちゃんはしぶしぶ外に出てきた。

たぶんその日は、ふつうに授業を受け、ふつうに下校したはずだけど、その後また休みの日は続いた。

たぶん1学期の初めの方から休みが増え、2学期は修学旅行の2日間、3学期は卒業式当日のみの出席だったと記憶している。

「休む勇気」に嫉妬していた

もちろん、長いこと休んでいたので心配はしていた。

何か助けになれないか、、、、と考えた一方で、

今だから言えるけど、本当は、長いこと不登校になったMちゃんが羨ましくて妬ましい気持ちの方が強かった。当時はそんなふうに感じていなかったけど、今思うとあれは嫉妬。

Mちゃんの不登校の理由は、クラスのリーダー格の子に睨まれたからだという。(その子たちには、睨んだ記憶もMちゃんに対するネガティブな気持ちもないそうで、本人たちは当惑していたけれど…)

「私だってつらかったのに…」

不登校の理由を聞いた私の心境はこうだった。

私も3・4年生の頃のクラスでリーダー格のグループからいじめを受けていたことがあった。無視をして、からかって、困る私の顔を見るのを楽しむようだった。わざと聞こえるように悪口を言ったり。

給食の時間は班ごとに机を集合させて食べるけど、私の机はいつも離されていた。先生の机の真ん前だったのに(先生も気づかないはずがない)。

それでも、私は毎日学校へ行った。

それは、休む勇気がなかったから。

「いじめられている。助けて」がどうしても言えなかった。

先生に言ったら、確実に学級会を開かれて話し合いになる。(余計にいじめがエスカレートしてしまうと思った)
親に言ったら「あんたが消極的やからや。仲間に入れてって言うたら済むことやん!」と取り合ってもらえないに決まっている。(過去の経験から、これは間違いない)

学校を休んだら勉強がついていけなくなる。先生に訴えたら、余計にいじめられる。親に叱られる。「いじめられっ子」のレッテルを貼られるのは恥ずかしい。

そんな負の感情ばかり抱え込み、体が重くて、毎日の登校は重労働だった。

だから、「学校へ行かない」という選択をしたMちゃんが羨ましかったのだ。「ずるい」とさえ思った。
何か彼女と向き合って手を差し伸べる手段はあったのだろうけど…何もできなかった。

本当は行きたかったかもしれない。当時の彼女にとってはその選択しかなかったのかもしれないから、こんな思いを抱いてしまう私は間違っている。

「学校へ行かない」という選択肢はあっていい

今、「不登校」の子に対する目は変わってきている。

ひどいいじめも相変わらずあるし、家庭関係、心の病など、「学校へ行きたくない」という理由はさまざまあるというのも理解している。

先日、『学校は行かなくてもいい』(著・小幡和輝)という本を読んだ。
不登校を経験した著者が若くしてイベント運営に夢中になり、今では会社を興し活躍されているというエピソード。

不登校を経験した人たちの経験談も交え、「不登校だって、好きなことに一生懸命になれば道は開ける」というメッセージが込められていた。



学校を休んだら勉強ができないわけではない。自分が好きなこと、自分にできることを見つけてスキルを磨くこと。家族でもネットでも、人との関わりを持ってみること”居場所を持つこと”で、いくらでも楽しく生きる道は開かれる。


そう思うと、あのときのMちゃんは全然ずるくなんかない。
私は何をひがんでいたのだろう…。辛いのを我慢することが「正解」ではなかったんだ。

「弱音を吐いたら叱られる」と、周りの反応に怯えていた子ども(=私)は、そのまま周囲の目をものすごく気にする大人へと成長してしまった。

もうこれが癖になっているので、自分の本音がどこにあるのか、探すのにとても時間がかかるという後遺症が残っている。

小学3年生のあのとき、「学校へ行きたくない」と言って、あのクラスメイトたちと距離を置いたら少しは変わっていたのだろうか。

なんて今さら思っても仕方ないので、根気よく自分と向き合いつつ、もし身近に「学校へ行きたくない」子がいるなら、「無理して行くことないよ。その代わり、自分が夢中になれることを見つけるといいよ!」と声を掛けようと思う。

夏休みの終わりは、「学校に行きたくない」子たちにとっては憂鬱な時間。そういう子たちに、この本が届けばいいと思う。

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