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小さな日記帳から生まれた「書く」習慣

小さい頃から、ひどい引っ込み思案だった。
友達と遊ぶよりも部屋で絵を描いたり、本を読むのが好きだった。

お喋りするのが苦手で、近所の人に挨拶することすら緊張してできなかった。親には「挨拶も出来ない情けない子」とその度に嘆かれ叱られたけれど、叱られたからと言って直るものでもなかった。

一方で、手紙を書くことが好きだったので、文章で自分の思いを発するのはとても気楽で楽しいことだった。転校したクラスメイトには手紙を書いたし(なんせ内気で親しくなれなかったので、手紙のやり取りは一往復で終わったけれど)、「小学1年生」のような雑誌に感想を投稿することも好きだった。

かわいい日記帳を使いたくて、毎日日記を欠かさなかった夏休み

小学2年生のある日、母と地元のスーパーに行ったときのこと。夏休みの少し前だったと思う。

文房具も大好きで、母が食料品を選んでいる間、私は文房具売り場で待つのが日課だった。

紙のサイズ「A4」「B5」などはその当時クリアケースがサイズごとに並んでいるのを見て覚えたし、そのクリアケースをもし買ってもらえたら、どんな切抜きを入れて下敷きにしようか…なんて想像することも楽しかった。いろいろ見ていたら、やはりあれもこれも欲しくなってしまうけど、買ってもらえることは稀だった。

その日私が見つけたのは、A5変型サイズの日記帳。ピンクの表紙に女の子のイラストが描いてあったと思う。
一般的な日記帳…「○○学習帳」はカバーに動物や昆虫のどアップの写真、中はシンプルな罫線のみのB5サイズだったのに比べ、少し小ぶりのサイズでピンク色、中までイラストで飾られているのがとても可愛くて、どうしても欲しいとねだって、買ってもらった。

好きも嫌いも考えず、日記を書くことが私の日常となった

夏休みでは、5日分の絵日記を書くのが宿題で、海へ行ったり、花火をしたり、特別な事をした日に描けばよかった。
なのに私は買ってもらったかわいい日記帳を早く使いたくて、夏休み初日のなんでもない日から日記を書いた。

また、いつもとは別の紙のサイズ、少し太めのよろけた罫線だったので、1日1ページに収まるよう、いかに工夫をして日記を組み立てるのかが、私にとってはゲームのようでおもしろかった。

気づけば、3日、4日と毎日書くのが日課になっていた。数ページごとに中身のイラストが少し変わっていくので、新たなイラストが出てくるのも楽しみだった。

朝起きてラジオ体操に行き、あとは家でゴロゴロしているだけの日もあったと思うけど、何を書いていたのかは覚えていない。いとこの家に泊まりに行って、夜更かししたって、みんなが寝た後にせっせと書いていて、叔母に驚かれたのも覚えている。
とにかく私は日記を書くことに集中して夢中になっていた。

「毎日続けた」ことに褒められた

夏休みが終わり、40日以上書き続けたノートを提出した。
「頑張ったね」くらいには先生に言ってもらえるのかな、とは思っていたけど、先生はノート1ページ分を使って毎日書き続けたことを褒めてくれるメッセージが書き添えて返してくれた。

褒められることを狙っていたわけではなかったから、嬉しかったは確かだけれど、「へえー、こんなことで褒めてもらえるのか」と少し戸惑ったのも覚えている。

たしか、母にそのノートを見せたと思うのだけれど、そのあたりの記憶が曖昧ということは、おそらく大して喜んではいなかったと思う。「外で友達と元気に遊ぶのが子どもの仕事」が口癖の母は、引っ込み思案で家で過ごすのが好きな私の性格を良く思っていないから。

その後、すぐに興味が他へ移ってしまう、という性格もわたしは併せ持っていて、日記の習慣は2学期に入ってからは途絶えてしまった。かわいい日記帳も使い終わってしまった。

ただ、5年生のクラスで日記を毎日書くよう先生に勧められると、私はまた毎日書く習慣がつき、時々求められる抜き打ちの提出の際もまったく焦ることはなかった。(なのに、クラスのほぼ全員が慌てて数日分まとめて走り書きしたのと同じ扱いにされ、憤慨した記憶が…)。
6年生のクラスでは、班ごとに「学級新聞を作ろう」という取り組みが始まったのだけれど、同じ班の子たちが新聞づくりに興味がなかったのをいいことに、企画から執筆まで、喜んで1人で行なっていた。

大人になり、編集者となった私。徹夜の執筆仕事が続いても、mixi日記は欠かさなかった

社会人になり「mixi」や「blog」が流行り始めた頃は、数年間欠かさず日記を書いた。編プロに勤めて毎日朝まで原稿を書く生活だったのに、mixi日記を書く時間だけは確保していた。

mixi日記やblogは書いたところで褒められることはないのだけれど(本当に“日記”で有益な情報は何もなかった)、自分ことを文章で表す作業が私には性に合うのだろう。上手く言えないけれど…気分転換にジョギングをする、友達とキャッチボールをする、カラオケをする…そういうことに近いのかもしれない。

「文章を書く」仕事を経験し、その疲労から病気になって挫折も経験。

書くことは正直ただ楽しいだけではなくなってしまったし、日記の習慣も途絶えてしまった。

Blogがマネタイズするツールとなった今、気楽なことばかりも書いていられないので、素直に「書く=楽しい」とは言い切れない。それでも、言葉で自分を表すことは、私にとって一番しっくりくる方法である。

小学2年生の頃のあの日記帳が“原体験”と呼べるのかは分からないけれど、あのときから文章は私を表すためのなくてはならないツールとなっていることは確かなのだ。


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