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私と推しの12年。



突然ですが、皆さんに“推し”はいますか?

推す対象は沢山あるとおもいます。

アイドルや俳優さんなどの芸能人やアニメや漫画のキャラクター、鉄道から食べ物、建物まで人それぞれ好きなものや集めてるものなど推しは様々。

100人居れば100通りの推しが居ると言っても過言ではないほど好みは多種多様。

私も小さい頃から収集癖があり、はまったものはとことん突き詰めてるタイプでした。


そしてそんな私が変わらず長年推しているのが、

向井康二くん。

関西ジャニーズJrとして活動後、既にグループとして活動し根強い人気のあった6人組だったSnowManへ目黒蓮くんとラウールくんと共に加入しました。
その後、SixTONESと共に同時デビューし現在に至ります。

時は遡り12年前。私は拒食症を患いました。
それがまだ中学生の頃です。
そんな時にたまたま雑誌で見たのが向井康二くんです。
心身共に壊れて居た私に光が差したような気持ちになりました。

痩せたい一心で食べることを拒み、命を削りながら生きていた私。
あの頃が1番症状が酷かった時です。
166cmの34kg。
生きてることがやっとの状態。
栄養が回らず髪が抜けたり歩くことさえままならなかった。
痩せても痩せても太ってるように感じ、両親が私の死を覚悟するようなそんな時期に出会ったのです。

何かを考える栄養すらなかったあの頃に私が唯一心を動かされたのです。

そんな私に母が言いました。
「元気になったらライブ行こうね」と。

病気の影響で高校進学が叶わなかった私はその後、少しづつ食べることが出来るようになりました。
勿論、すぐすぐ完治し前のようにとは行かなかったですが通院と薬物療法、カウンセリングなど治療をしながら体力はアルバイトが出来るまでに回復しました。

そしてとうとう、私は生の向井康二くんを見ることが出来たのです。

それがHey! Say! JUMPの京セラドームで行われていた全国へJUMPツアー2013。
いわゆる矢印魂と言われるツアーでした。

そこへ関西ジャニーズJrがバックで着くと知り、Hey! Say! JUMPのファンだった友人が有難いことに誘ってくれて参戦しました。
元々、野ブタをプロデュースをきっかけに初めて好きになったジャニーズかHey! Say! JUMPの中島裕翔くんだったこともあり、初めてのジャニーズのライブがHey! Say! JUMPでとても嬉しかったです。

まだジャニーズWESTもデビューする前のこと。
スタンド中段で必死に康二くんを目で追っていました。
不慣れながらも一生懸命作った団扇と、まだオンライン販売が無かった時代に長い列に並んで買ったペンライトを持ち、目の前に広がる光景に釘付けになりました。

ファンサを貰えたわけでも、近くで見れたわけでもないけれど言葉にできない何かで満たされ幸せでした。

そしてその次に入ったのがオリックス劇場で行われたまいジャニコンサートvol.2。

関西ジャニーズJrの当時のグループ。
向井康二くん、平野紫耀くん、金内柊真くんのKin Kanと、西畑大吾くん、永瀬廉くん、大西流星くんのなにわ皇子の2グループがメインのライブです。

この時は友人のおかげで2公演入る事ができ、2公演共に1階席だったおかげでとても近くで見る事ができ今でも1番思い出に残っているライブでした。

今では考えられないキャパ2.400の小さい箱でメインのステージ横両サイドに小さなステージがある感じの会場で、1公演目は1階席下手前列。
2公演目は1階席中央最後列の音響前。

今でもこのライブのことはハッキリと思い出します。

これが康二くんがメインのライブに行った最初の日でした。

そこから徐々に。でも確実に人気になっていきました。

この頃、過食嘔吐とうつ病を併発しメンタルはボロボロでしたが、必死にアルバイトをしていました。

春には松竹座でライブが。
夏には松竹座で舞台が。
冬にも松竹座でライブが。

と、そんな感じで関西ジャニーズJrはある程度ライブや舞台の予定が固定されていたので、そのために頑張らなければ!という強い気持ちが残っていました。

2014年の4月23日にジャニーズWESTとしてBADや7WESTなど関西ジャニーズJrを引っ張っていってくれていたお兄さんチームがデビューし康二くんも関西ジャニーズJrを引っ張っいく立場になりました。

この頃は康二くんの存在だけが、自傷行為癖と希死念慮のある私の唯一の希望でした。

そして私が10代から20代の最初辺りはひたすら大阪に通っていました。
殆どは松竹座へ。時たま、城ホや梅芸や東京の日生劇場へも足を運びました。

とにかく楽しかったです。
メンタルの揺らぎは多く不安定だったものの、康二くんのためなら頑張れた。
同じジャニーズのファンの子ともたくさん知り合いができて松竹座に行けば誰かしら知り合いが居るような時期でした。

その後、平野紫耀くんと永瀬廉くんが東京へ行き、Kin Kanやなにわ皇子は自然消滅。
確かにグループもなく、シンメだった金内柊真くんは退社し不安定な時期もありましたがそれでも尚、関西ジャニーズJrならではのアットホームな空気感が心地よくて楽しく応援出来てました。

この頃の康二くんは室龍太くんや西畑大吾くん、大西流星くんらと関西ジャニーズJrでもメインと言われる位置に居ました。

そして一緒に活動していた平野紫耀くんと永瀬廉くんは2018年の5月にKing&Princeでデビューしました。

悔しさが無かったと言えば嘘になりますが、この頃には2人が違う場所で活動し活躍する姿を見ても悲しむことなく受け入れることができるようになっていたなで、素直に祝福しました。

なので私は、康二くんもいつかは…。と思いながら2人を祝福しご祝儀がわりにシンデレラガールを購入したのを覚えています。


でも、この数ヵ月後に私の目の前が真っ暗になることに…。


それは、なにわ男子の結成です。

SNSでそれを知った時は何か悪い夢を見てるじゃないかと。
7人の名前を見ながら何度も何度もあるはずのない康二くんの名前を泣きながら探しました。そんなわけない。なにかの間違えだ。と思いながら。

味わったことの無い悔しさや絶望。


誰も悪くないんです。
何か考えがあっての事だと思います。

だけど私はあまりにも悔しくてそこから数年は関西ジャニーズJrを見れなかったです。

とにかく受け入れられなかった。

たとえ本人が割り切ろうとも、康二くんが辞めるかもしれない…という不安や康二くんをメンバーに入れなかった運営への怒りもこの時はありました。

きっと私より康二くんの方が悔しいはず。
それでも、私は失礼ながらなにわ男子が活動する関西ジャニーズJrを見れなくなってしまいました。
現場にも行けなくなる程には体調を崩し、3ヶ月入院したりもしました。

今でもあの頃を思い出すと胃が痛みます。

康二くんが辞めるかもしれない。
怖くて仕方がありませんでした。

そして転機が起きたのは2019年1月17日。
SnowManのYouTubeにて向井康二くん、目黒蓮くん、ラウールくんの加入が発表されました。

知った時は時が止まりました。
すぐに理解が出来なくて何が起こったのか分からなかったです。

そして加入発表直後、6人時代のSnowManのファンの方から3人への厳しい、時には厳しすぎるお言葉を目にするようになりました。

あぁ、また康二くんが傷ついてしまう…。

3人に対する風当たりが強く内情は分かりませんがやはり同じジャニーズJrでも東西で文化や雰囲気が違うのかな…大丈夫かな…とハラハラしていました。

ただ、私はどんな形であれ康二くんが選んだ道でこれからもアイドルをやってくれる事が嬉しくて、とにかく応援するしかないな!という気持ちでした。

でも加入から数年はやはりなかなか受け入れて貰えてないな…という感じでした。

それでも耐えるしかなかったです。
せっかく貰えたチャンス。康二くんも頑張ってるからファンが支えなければ…。
私の中には不安ながらも確かな決意がありました。


加入後、初めてのライブが2019に横アリで行われました。

なにわ男子結成してから現場に行けてなかった私が久しぶりにライブ会場へ。
ここにいる人の中には康二くんを良く思ってない人が居るんだろうな…。
そんな不安も抱えながらも、ライブ中はとにかく康二くんへ歓声を届けようと普段声を出すタイプでは無いですが必死に声を出しました。


泣いたのを覚えています。
SnowManのオリ曲を歌うSnowManとしての康二くん。
あまりにもかっこよくて、やっぱり康二くんは自慢の推しでした。


その後はさいたまスーパーアリーナでもTravisJapan、なにわ男子と3グループでのライブが。

なにわ男子を今まで悔しくて直視出来なかった私がなにわ男子を受け入れられていた。
あぁ、康二くんのおかげで私も変われたんだなぁ。と感じました。

とても嬉しかったです。
ずっと康二くんと一緒に頑張ってたなにわ男子を応援出来なくなってから感じなくなっていた感情。

やっと時間が動き出した気がしました。

2019年7月9日にジャニーズ事務所の創設者が亡くなりました。
ひとつの時代が終わったと思いました


その後にTDCでSummerParadiseが行われました。

前半と後半があって、私は後半に2回行く予定でした。
その間の8月8日には東京ドームでJr祭りが行われる予定でしたがこれは、どうしても予定が動かせず泣く泣く断念しました。


そして運命の2019年8月8日。
私は新幹線の中にいました。

新幹線の中で小さな端末に目を向けてました。

何かが起こる。
事前の情報もあったので複雑な気持ちを抱えながら覚悟しその時を待っていました。

そしてMCの最後に発表されたSnowManとSixTONESの同時デビュー。

あの複雑な気持ちは忘れることができません。

康二くんがデビューした。
それはどんな気持ちになろうとも紛れもない事実で駅に着いたタイミングだったこともあり、改札前で泣き崩れました。

ただ、思い描いて居たものとは違いました。
それは多くのファンが思ったと思います。


デビューが決まり迎えたSummerParadiseの後半戦。

Jrとして最後の単独ライブでした。

色んな思いを抱えながらもとても楽しいライブでした。


そして次にSnowManとSixTONESでの舞台、少年たちが2019年9月に日生劇場で行われました。

これで最後か。寂しさを感じながらも観劇しました。


そして2020年1月22日に康二くんはとうとうデビューしたのです。

朝から注文していたCDたちが3箱ほど届きました。
今では沢山配り歩いて枚数も少なくなりましたができるだけの枚数を買いました。


数字を出すことが康二くんに対して私のできる唯一の目に見える祝福でした。


デビューしてからすぐにコロナ禍を迎えました。

デビューして始めてのライブすら無観客。

もどかしかったです。

ほんとなら1番売り出したいタイミングで社会が止まってしまったので大勢いる中の1人のファンでしかないどうすることもできない。

その後も数字を出すことが大切だと考え、セカンドシングルもサードシングルもできるだけ多く購入しました。

少し駆け足でその後の話をします。


2021年春に行われた滝沢歌舞伎ZEROは体調を崩し見に行くことは出来ませんでしたが冬に行われたスノマニと言われるライブに無事当選。
私は福岡公演に2公演参戦しました。
声出し禁止で少し寂しさを感じながらも心が満たされる公演になりました。

2022年の滝沢歌舞伎ZEROには何とか観劇できましたが、秋に始まったスノラボにはまた体調を崩し参戦できず。

闘病から11年。
私はまだ体調の不安定な日々を送っていました。
拒食症は治るもうつ病、重度の不安障害を抱えながらの応援でした。

そして2023年の最後の滝沢歌舞伎ZERO。
まさかの当選に狂喜乱舞し最後の滝沢歌舞伎を目に焼き付けました。
そして初めてのドームツアーも2公演参戦し満足な結果に終わりました。

そして今。
ファンとしては悲しい毎日を送っています。
今起きてることは夢なんじゃないか。
あまりにも信じられない現実を受け止められずにいます。

私としては康二くんが決めた道を応援するだけです。

ジャニーズ事務所に居続けても、退社しても私は全力で応援し続けます。

私にとっては永遠のアイドルです。

それだけは誰にも変えられない。

これが12年、康二くんを推し続けて来た私のお話です。

誤字脱字やもしかしたら時系列を間違えてる部分がありましたら申し訳ございません。

書ききれない部分は沢山ありますし、一つ一つ言及し続けるともっともっと長くなるのでひとつの区切りとしてここて終わります。


私は闘病生活の中で何度も何度も康二くんに助けられました。
少なくとも私は康二くんというアイドルの存在に救われ励まさ癒され。
幸せを与え続けて貰えました。

感謝しかありません。


これからも健やかに幸せに楽しく康二くんがアイドルで居続けられますように。

こんな時に、こんな時だからこそ、記録に残した私の12年でした。

拙く長い文章になりましたが、読んでくれた方、ありがとうございました。


これからも皆さんが楽しい推し活かできますように。



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