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18年前に書いた記事

今日はなんと、えんじろうがまだひらがなではなく本名を略した漢字表記でその名を名乗っていた頃に書いていたブログの記事をお届けします。
代表曲のひとつ「カナリヤ」を実際にお世話させてもらっていた当時の話題でした。いつも曲紹介では遠い過去の人ごとのような言い回ししかできていないカナリヤのお話が、当時実際に向き合っていた頃の立ち位置で話している記事はちょっと斬新でした。

18年も前に書いた記事ですが、ぜひどうぞ。


画像 懐中時計

記事を書いたのは2006年5月14日となっていた。当時のえんじろうは、一人称を「私」と名乗っていたようです。


自己主張

最近我が家のカナリヤは、私に対して自己主張をしてくるようになっている…気がする。勿論言葉は判らないのでそんな気がする…程度の話なのですが。

先日白菜が切れかかっていたとき、私が白菜の側からのぞき込んだにもかかわらず、その方向に近づいてきた。普段なら絶対にいやがって遠く(白菜のない側)に行くので、白菜が欲しいに違いないと確信!白菜を交換してあげると私が見ている前で平然と食べ始めた(無論ちょっとは警戒していたのですが。
今日になってまた行ってみると、白菜はまだ残っていた。でも何となく不満げな雰囲気を感じる。でまたしばらく見ていると、貝殻の入っている方に首を長く伸ばした。その後お辞儀のような「ここだよここ」とでも言っているような動作を数回。ケースを外してみると貝殻が少ない…と言うよりもカナリヤ自身のフンが貝殻に乗っている…。早速残っている貝殻もろとも処分して一度きれいに洗い直してみた。すると早速それを食べている。

何となくカナリヤの気分が判ったような気がして幸せだった。呼吸器の異常(推測)で本来のカナリヤの鳴き方はできないようですが、人間の身勝手な改良の結果とは言え、この世に生まれてしまった以上大切な命だ…と感じる今日この頃であります。
うちのカナリヤ…私以上に人前での自己主張が上手な気がする。

画像 鳥かごと黄色い鳥

コラム的な雰囲気

今の話し言葉風ではなく、当時はコラム的な文面に憧れを感じていたのかなと思います。ちょっと他人事のような、お硬い雰囲気にも聞こえるような、そんな印象ですね。

でも読んでいてもやっぱり「僕は僕のまま」なのだなあと言うのを感じました。根っこの部分はそう容易く変わるものじゃないし、だからこそ「個人」というものが意味を持つのだろうって思います。

みなさんも当時の日記やら記録やらを掘り返してみてはいかがでしょうか?もしかしたらそこに、宝だとか自分の本質なんかが眠っていたりするかも知れませんよ。

鳴かなくなってから

内容からして呼吸器系の異常が増し、余り鳴くことをしなくなってからの記事のようです。

美しい声

僕は「かなボー」と呼んでいたそのカナリヤは、呼吸器系に異常があるっぽく、普通に息をしているだけなのに「ヒューヒュー」という喘鳴のような声がしているんです。
ちょうどこんな感じというのを、オカリナに再現してもらいました。

本気でなく時にはとても美しい声でかなり長い時間鳴き続けるのですが、その声と相反する感じで普段の息漏れの声が切なく聞こえるのです。

そんな声を一晩中聴いていると、えんじろうの「カナリヤ」という曲の原案とストーリーができあがったというエピソードがあります。

曲はこちらのCDにございますので、ぜひ手に入れて聴いて頂けるとうれしいです。
ちなみにかなボーの鳴き声をオカリナといっしょに真似しようと試みましたが、本人のような美しく長い鳴き声は再現できませんでした。



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