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ブログが書けなくなって3ヶ月考えたこと


ブログが書けなくなりました

2015年から3年くらい書いてきたブログが書けなくなった。

書けなくなったのは、私の素性を知ってる人が見るようになったからだ。
文章を書くのは、私にとって解放。
私はすぐいろんなものに縛られてしまう。人の反応が気になる。
反面、縛られたくない気持ちが人より強い。

だから、ちょっと窮屈な気持ちになってしまった。

ずっと続けてきた唯一のこと

30歳を目前に控え、同年代の友人たちは「やりたいこと」がだいたい決まってきているように見える。
「やりたいこと」がなくても、「得意なこと」や「できること」、「ずっとやってきたこと」がなにかしらあって、それを(良い意味で)淡々とこなしている。

私の場合、飽きっぽいのもあって、みんなのようになにか飛び抜けてできることがないんだけど、強いて挙げるとしたら「表現」することには興味があった。そして自分に合っていると思う。

そのなかでも「ずっとやってきたこと」に近いのが「文章を書くこと」だ。

音楽や絵画も好きだったけど、21歳で結婚して赤ちゃんを生んで、その日暮らしで生きているような時期が4年くらい続くなかで、お金と時間を捻出し続けるのが難しかった。

一方、文章を書くのは、携帯さえ持っていれば、お金がなくても、赤ちゃんがいてもできる。

夏休みの旅行は、読書感想文で行く

もともと本を読むのは好きだった。
顔も知らない誰かが溜め込んできた思いを爆発させるさまや、日々の小さな気持ちの揺らぎを丁寧に書き留めていくさまを見るのはとてもおもしろい。

昔から人と会話するのが得意じゃなかったので、アクティブでフットワークの軽い人のように毎日いろんな人に会って話して、自分の世界を広げて自己を確立していくような充実した生活は到底送れるわけがなかった。

そんなタイプの私だからこそ、ひとりで文字を見ているだけなのに世界が延々と広がっていったり、考え方や生き方に突き刺さって大きい影響を及ぼす「文章」たちに救われてきた。

読書感想文とか作文、小論文といった書く系の課題には、あんまり苦労した記憶がない。
むしろ読書感想文は夏休みの楽しみで、一大イベント。
終業式で、読書感想文の課題図書として紹介される3冊を見て、旅行に行くようなワクワク感を感じていた。

暑いなか外に出なくても、慣れない電車にドキドキしなくても、目の前に並んだ文字たちが知らない町に連れて行ってくれる。知らない人と会話する体験をさせてくれる。そう思っている子供だった。

文章を仕事にするということ

文章を扱う仕事をしようと思ったことはなかった。
だけど2年前、偶然入った会社で、偶然編集部に異動することになり、意図せず文章を扱う仕事をはじめることになった。

大きな仕事はない。
メルマガの文章を書いたり、コラムの紹介文を書いたりしていた。
だけどそんな小さい仕事たちを、先輩の編集者の方が褒めてくれて、ちょっと自信というものが芽生えたかもしれない。

その時期、仕事とはまったく関係なく、個人でブログを書いていた。
あまり人に話したくない内容だったから、完全匿名で誰にも教えず書いていたけど、だんだんと読んでくれる人が増えて、たまに感想をメールでもらったりしていた。

いろんな感想があったけど、そのなかで特に嬉しかったのが「私の思っていることを代弁してくれてありがとう」という言葉。
それが、私の気持ちをちょっと変えるきっかけになった。

自分のため→人のため

いままでずっと、自分のために書いてきた。
頭のなかを整理したいとき。怒りや悲しみのような、外に出しづらい感情を昇華したいとき。

対面で目と目を合わせて、生の気持ちを生の言葉で喋るのが苦手だったからこそ、どこかで私のことを知ってほしい欲求もあった。
それらを書くことで解消してきた。

だけど、「代弁してくれてありがとう」と言われたときから、「人のために書きたい」という気持ちが少しずつ生まれてきた。
文章の力を信じてきたからこそ、今度は私が与える側になりたいと思うようになった。

人に見られる恐怖

だけどいま、自信をなくしている。

人に見せるために書くというのが初めての経験だからだ。
見られる前提で自分の気持ちを書くのが恥ずかしい。
人前で喋るのが苦手だから書いてきたのに、これじゃあ人前で喋るのと一緒じゃないか。
そう思ったら、一気に書けなくなった。

見られることを意識しすぎているのだ。
文章を読めば、読者をどのくらい意識して書いているのかもわかる。
私の思考の限界、力の限界、そしてこの怯えまでバレてしまう。

自信を持てない私が、唯一自信を持ちかけていた部分を壊さないでほしいと思ってしまう。
ここが最後の砦なのだ。

私が見ている世界は、絶対に誰とも被らない

でも、その恐怖心に負けたくないなあと思う。

最近は、いろんな媒体でいろんな人の文章を簡単に読める。
どんな人の書いている文章もすごくいい。特に、渾々と湧き出る感情や瞬発的な感情を丁寧に文章にしているのを見ると感動する。

自分の存在そのものに自信を持てたら、それが文章を書けるようになる一番の近道かもしれない。

私は、私の考えていることなんてもう誰もが考えていることだと思っているし、考えの幅や多角性が人より秀でているという感覚もない。
自分の存在そのものに、特別だという感覚を持っていない。

でも、そうやって自分を見捨てることが苦しくなってきた。
せめて自分の感情くらい、ちゃんと掴んであげたい。

考えることは、みなに平等に与えられた権利だ。
客観的に見たときに、その内容の希少性や独自性で優劣がつけられることはあるかもしれないけど、自分が見ている世界の見方は、絶対に誰とも被らない。

私だって考えていることがあるのだ。心動かされる瞬間があるのだ。
それを掴まえられるのは私しかいない。

自信がないから書けないと嘆くのは簡単だけど、逃げているのと一緒だ。
そして「私のいま」はすぐに消えてしまう。

誰かに伝える段階に到達した気になっていたけど、私から見えるいまを切り取って丁寧に映像化する作業をもう一回やりたいと思った。

私のいまは、誰とも被らない。







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Yuko Kawabata

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コメント2件

( ・∀・) イイネ!👍
書くときは書くし、書けないときは書けないもんですね( ´ ▽ ` )ノ
ですね!書ける時が長く続くと嬉しいです!
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