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絶対消えないコンプレックスなら、抱えたまま走ってやる。と決めた2021年

本当に365日だった? 645日くらいあったよね?
2020年はそのくらい怒涛で濃密だった。

いちばん大きな転機はコロナ禍での転職。
時給1,050円の近所のクロ○コ○マト営業所のパートに応募しようと考えていた私が、まさか第2創業期資金調達後イケイケドンドンのTHEベンチャー企業で広報をやってるなんて、我ながら意味がわからない。

年末年始休暇に入ってからは完全に仕事やSNSから離れてモブサイコ100と約ネバを読みあさっていたけど、仕事のリハビリも兼ねて、2020年の振り返りと2021年に向けた気持ちを書いておこうと思う。

2020春

引越し。子供達は転校。私は退職。
しばらくはゆっくり子供達の様子を見るつもりだった。近所のパート募集を探しながら、「念のため」登録していた転職エージェントから送られてくる求人の給与と仕事内容を捨てがたくチラ見する日々。

仕事はするけど、もうがっつりは働かない。自分に期待しない。

前職を退職する時、自分のできなさにこれ以上打ちのめされたくない。仕事で疲れて子供達に八つ当たりするのが嫌だ。そんな気持ちに苛まれていたので、体力と精神力の半分くらいを常に温存できるような働き方がしたかった。でも結局、正社員で働きキャリアを築くメリットも捨てきれず、すっごい揺れながらいろんな人に相談してた気がする。

「本当にパートでいいと思ってる? いつか、もっとできるのにって悔しい気持ちにならない?」

そう言われたのが、編集・クリエイティブ領域の正社員という条件で転職活動を始めたきっかけ。

「悔しくなる」とすぐ思った。
自分に自信を持てない。だから、自分のできなさに打ちのめされない環境に身を置きたい。でも、余力ができたらきっと、もっとやりたくなる。可能性を捨てたくないからって無茶するだろうな。
そこまで明確に見えてしまったから、腹をくくった。

企画や決断は避けて、手だけを動かす仕事にしよう。スキルだけを身に付けられる仕事をしよう。

そう思って探してたのに、結局、いちばん企画して、いちばん決断する仕事をすることになってた。

2020夏

今の会社の広報として、採用ブランディングをメインに担当することになった。プレスリリースとかメディアリレーションみたいな広報っぽいことは上司がやってくれる。私は絶え間なくコンテンツを企画し、インタビュー、執筆、編集、バナー制作、写真撮影、デザインまで、できることもできないこともなんでもやる。ずっとなんか作ってる。Adobeのソフトを独学で使えるようになった。

毎日、いろんなジャンルの記事を何本も読む。ブランディングと編集、統計や広告について勉強する。
広報も編集者も横の繋がりが大事。人見知りと自信のなさを押し殺し、「私なんかと絡んでも相手にメリットが無いと思うけどごめんなさい」と思いながら細々とTwitterなどやる。

迷い込んだにも関わらず歓迎してくださったインハウスエディターコミュニティのみなさんにも、たくさん学びをもらった。
(そして、ようやくみなさんと近い立場でインハウスエディター的な仕事の話ができるようになって少し安心した)

▼参加者のみなさんが書いてくださったレポートたちと、主宰西丸さんの記事

プライベートでも、異常なクジ運の強さで、転校したばかりの学校のPTA役員をやる。子供達は新しい習い事を始め、家庭・夫婦関係のゴタゴタも続く。

2020秋

気付けば、何もやってないのに会社の月間MVPをもらってた。3ヶ月くらい経って、ようやく採用ブランディングとは? がぼんやりわかってきて、ひたすら事例を拾って抽象化して自社に落とし込む作業を繰り返した。

▼1ヶ月でやったことのまとめ

家庭・夫婦関係のゴタゴタが続く。

2020冬

忙しい。

悔しいのが、実力不足ゆえに、仕事が予定した速度で終わらないこと。
実力不足ゆえに、思ったようなアウトプットと成果が出せないこと。

自信がないせいで勝手に感じる疎外感にやられそうになった。周りが優秀すぎる。ついていくだけでも精一杯なのに、子育てはずっと横で走っているし、会社の人も、社外の人たちも、どんどん成果を出しているように見える。苦労や失敗を公にしてないだけだと思っても、やっぱり自分のできなさが嫌になる。

自分の感情に任せていたら頑張れなかった。上司や会社の仲間、アドバイザーで手伝ってくれる方、前職でお世話になった方にありがたくいただいた褒め言葉を糧に、なんとか年末まで持ちこたえた。

2020総括

そんなわけで総括。
月並みだけど、今年日本でいちばん周りに助けられたのは自分なんじゃないかと錯覚するくらいには、周りにお世話になりまくった1年だった。

そもそも、現職のCTOがポジションオープンしていない広報に私を紹介してくれなかったら今の仕事はできていなかったし、上司が私になんらかの可能性を見出してくれなかったら会社のブランディングを担当させてもらうこともなかった。かといってブランディングのアドバイザー阿座上さんがいなかったらそもそも何もできてなくて、記事を読んで「良かったです!」と声をかけてくれるメンバーがいなかったら虚しさに負けてただろうし、こんなんでいいのか? と思いながら出すアウトプットを100点と言ってくれるボードメンバーがいなかったら一瞬で自信は消えてた。プライベートでも、話を聞いてくれる義母がいなかったら家庭は今よりもうまくいってなかったし、毎日バタバタしてる私に「ママ愛してるよ!」と言ってくれる子供達がいなかったら、すべてにおいて頑張るモチベーションが保てなかった。

そして、2020年走りきって気付いたのは、悔しいかな、私の足を引っ張り続けるこの自己肯定感の低さや自信のなさは、どんなに頑張ってもどんなに褒められても消えないこと。
悔しいけど、絶対消えないコンプレックスなら、抱えたまま走ってやる。
そんな足腰の強さをいつの間にか手に入れていたことが、2020年いちばんの収穫だ。

ありがたいことに、70人規模の会社で広報3人体制にしてもらってるってことは、広報に期待してくれているってことだと思う。広報として「社長は黙ってビジョン語っててください!」って言えるくらい、会社の理想と現実を正しく外に伝えて、現実を理想に近づけていく役割をまっとうしたい。成果は見える形で出す。

自信のなさが消えないからこそ、いちばんビリから追いかけてる感覚がずっと持てているし、足りてない部分にすぐ気付ける。
もう少しだけ自信が持てたら精神的に楽だけど、それはもういいや。

目の前のことをがむしゃらにやってる時、いつのまにか誰かが引っ張り上げてくれることが多かった。ぐーんと成長したと感じるのもその時。
これまで経験した成功体験は、全部そのパターンだ。

戦略も計画性もないダサい成長プランだけど、コンプレックスが消えないなら、抱えたまま走ってやると決めた2021年。頑張るぞ!




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