見出し画像

チャイコフスキーの不遇な2曲

今回は、珍しくロマン派(というよりは国民楽派かもしれないけど)についてのお話です。

なんだか私は古楽と現代音楽しか聞かないんぢゃないかと思われている節がありますが、元々チェロを弾いてましたし、オーケストラでもシューベルト、ブラームス、チャイコフスキー、ヴェルディ、ショスタコーヴィチなどなど弾いてましたから、別にロマン派が嫌いなわけぢゃないのよ。。。
ただ、他の時代より突出してこの時代が素晴らしいとは思ってないだけで、もっと違った視座で評価できたら面白かろうな、とは思っていますけどね。

さて、今回は昨日聞いてきたコンサートで取り上げられていたチャイコフスキーの曲を取り上げます。他にもバーバーの曲もあったのですが、それはおいときます。

○チャイコフスキーの不遇な曲

昨日取り上げられたのは幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」とピアノ協奏曲第2番でした。前者はそこそこマイナー、後者は滅多に実演にあうことはないでしょう。
この2曲は作曲時期は近く作曲者の30代後半に作られました。この2曲が演奏機会に恵まれない不遇さは、このタイミングを境界線として存在するのではないかと思うのです。そして、不遇な作品と人気作品や代表作とされるものとの関係性においては対照的であるとも思うのです。

○フランチェスカ・ダ・リミニの場合

チャイコフスキーの管弦楽、交響作品の代表作の時系列を、この作品を境界線に考えてみると、

交響曲第1番
幻想序曲「ロメオとジュリエット」
交響曲第2番、第3番
--------
幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」
--------
交響曲第4番、第5番、第6番

となります。
フランチェスカ・ダ・リミニを境界線として、以前はやや素朴にしてシンプルな構成だったものが、この作品は3部形式とはいえ単一で30分近くあり、あらゆるチャイコフスキーらしいイディオムが存在し、すべてがぶちこまれています。
交響曲第3番と比べると極端すぎます。

そして、ここで見られたイディオムは適度な濃度に薄めて使用され、バランスよく後期の3つの交響曲に使われます。つまりこの曲を聴いていると、まるで後期の3つの交響曲を30分に凝縮して聞かされているような気分になります。ここはあの交響曲、あそこはあの交響曲って感じではっきりいってしんどい、、、しんどすぎる。。。

逆にいえば、適度な塩梅を知ったことで、後期の傑作の交響曲群ができあがったともいえそうです。

○ピアノ協奏曲第2番の場合

協奏曲の場合は時系列は次のようになります。

ピアノ協奏曲第1番
ヴァイオリン協奏曲
--------
ピアノ協奏曲第2番
--------
ピアノ協奏曲第3番

交響作品が「フランチェスカ・ダ・リミニ」からうまく希釈、分散されて良い結果を産んだとするなら、協奏曲の場合は逆パターンといえます。
第1楽章が巨大で第3楽章は民謡風で短いという構成は共通していますが、ピアノ協奏曲第2番は、代表作とされるピアノ協奏曲第1番とヴァイオリン協奏曲を過剰にしたものといえます。フランチェスカ・ダ・リミニがその後の作品のイディオムの響きを聞けるように、ピアノ協奏曲第2番では、逆にそれ以前の協奏曲のイディオムのてんこ盛りになっています。
第1楽章が主題の展開繰り返しでより規模が拡張されている点、そして第2楽章ではピアノ協奏曲第1番でチェロの旋律が特徴的だったものがより拡大され、ヴァイオリンとチェロのソロだらけになり、派手なソロだけでなく二重奏も朗々と響かせピアノが置き去りにされてしまいます。第3楽章は協奏曲で共通の民謡風の主題とその展開ですが、よりモチーフの切り替えが大胆というか脈絡がないものになり、終わり方もより唐突です。聴いている方は全然どうなるかなんて予想できない楽曲ですw

そして長く複雑なだけでなく、技術的にはより難しく、アンサンブルもヴァイオリンとチェロのソロはいうまでもなく大変なで、そのうえ全曲は45分から50分かかるなんて、チャイコフスキーは何を考えていたんでしょうね?
ソリスト、オーケストラ双方の体力なんて全く考えてなかったとしか思えません。
ある意味では、ブラームスのピアノ協奏曲第2番やブゾーニの巨大なピアノ協奏曲的な協奏曲を超えた何かを目指したのかもしれませんが(この意識はピアノ協奏曲第3番の混乱にも見られないでしょうか?)。

○2曲とも過剰で複雑すぎて難しすぎた

この30代後半という時期はチャイコフスキーの作品においては、すべてをぶっこみすぎ、技術的にも難しくなりすぎ、構成としても破綻寸前または破綻しちゃう極限状態に到達したといえるでしょう。
かわいそうにその境目にあるこの2曲は、おかげで演奏者にとっては労多くしてイマイチという曲になってしまい演奏機会に恵まれなくなったとえます。
たしかに、「フランチェスカ・ダ・リミニ」のように30分近くもあんな大変な各パートの技術とアンサンブルを要求されるなら、それよりはコンパクトな「ロメオとジュリエット」の方がよいでしょう。聴いている側が強いられる緊張感も半端ないですしね。
ピアノ協奏曲第2番でもそうです。やたら長く、途中ではピアノ協奏曲とは思えないヴァイオリンとチェロのソロばかり聞かされ、最後は脈絡なく終わり、ソリストもオーケストラも疲労困憊する曲を演奏するより、そりゃ難曲とはいえ、ヴァイオリン協奏曲とピアノ協奏曲第1番の方がわかりやすく盛り上がるよねってことですね。

作曲家チャイコフスキーとしては、ここを境目にして協奏曲作曲者から交響曲作曲者へと(構成感、作曲技法的にも)切り替わったという見方もできるのではないでしょうか。そのことはピアノ協奏曲第3番が交響曲からスタートして混乱しつつ作られた状況からも言えるのではないでしょうか。すでにチャイコフスキーには協奏曲を協奏曲としては書けなかったんだと思います。

このすべてぶっこんだような2曲を明確な構成感を持って破綻なくこの長さの緊張感を保たせて聴衆がついてこれる演奏ができれば傑作として再提示することができるともいえそうですが、、、いやぁ、そんなチャレンジなかなかできるもんじゃないですね。。。
ちなみに今回の実演でも、そこそこ面白く聞けはしましたが、大健闘というレベルで、ソリストのオーケストラもよく頑張りましたね、という感じでした。
でももう少し実演の機会があればよいとは思います。

○余談

さて、私が聴きにいった演奏会というのは、11月21日に学習院大学100周年記念会館で開かれた、エルサレム交響楽団のコンサートでした。
今回初来日のエルサレム交響楽団は西本智実氏の指揮をメインに11月20日から12月4日の15日間全国ツアーを行い、東京、横浜、大阪、青森、仙台、新潟、石川、山梨、山口、香川で計12回のコンサートを行い、10回を西本氏が指揮をしてマーラーの交響曲第5番をメイン、さらにチェロのヤブロンスキー氏をソロにドヴォルザークの協奏曲という超重たいプログラムを繰り返します。(ただし山梨だけはモーツァルトのピアノ協奏曲27番)
残り2回の1回は東京でヤブロンスキー氏が指揮をで、フジコ・ヘミング氏を独奏者にモーツァルトの21番の協奏曲(当初予定はベートーヴェンの「皇帝」)とブラームスの交響曲第1番という演奏会もあります。
そして私が聞いたのは、井上喜惟氏の指揮、安達朋博氏のピアノでバーバーの「管弦楽のためのエッセイ第2番」、チャイコフスキーの「フランチェスカ・ダ・リミニ」「ピアノ協奏曲第2番」というコンサートでした。
なんでこんな変則的な組み合わせのコンサートが用意されたのか、大人の事情は知りませんが日本クロアチア協会とかいろいろなところが関係してたっぽいです。
私としてはそれよりも、2週間で10回もマーラーの5番とドヴォルザークの協奏曲なんてのを固めて演奏会して飽きないんかな、という方が心配ですがw

ちなみに当日のゲネプロの様子をこっそりと公開しておきます、、、

○余談(その2)

さて、井上喜惟氏といえば、1990年代から2000年代にかけてのアルメニアフィルやアルメニア国立響での指揮であったり、日本におけるアマチュアオーケストラとはいえマーラー演奏に焦点を当てたマーラー祝祭オーケストラや、ジャパン・シンフォニアにおける活動、そして最近ではモンゴル国立フィルでの指揮と一風変わった活動で知られた指揮者です。
私にとってはやはりCDで一躍知られることになったアルメニアフィルでの日本音楽祭での録音が印象的です。
ここでは、ドビュッシー、ラヴェル、さらにハチャトゥリアン、チェクナヴォリアンといった作曲家の作品とともに、日本人作曲家、伊福部昭、小山清茂、外山雄三、矢代秋雄、武中淳彦各氏の作品が演奏されています。アルメニアで日本人作曲家の作品という取り合わせがなかなか衝撃でした(演奏の巧拙は正直ありますけども)。

で、今回、マエストロ井上喜惟氏とも少しお話できたのですが、何と今年アルメニアフィルに復帰もされて、その復帰演奏会でなんと芥川也寸志「オルガンとオーケストラのための『響』」を再演したんですと!!
この曲はサントリーホールのオープニング記念式典のために作曲された作品ですが、先日のサントリーホールオープン30周年の記念演奏会で再演されて話題となりましたが、なんとその前にアルメニアで再演されていたとは!!
なんでもアルメニアにいいオルガンと、すっごいオルガニストがいたから、って話でしたが、、、その演奏聴きたい!!(お願いすればデータもらえるかも、、、

さて、マエストロのお話では再演のために自筆譜に間違いが多かったので直して、全音でスコアを作り直してそれを使ったとのこと?

えっ???

「響」のスコアって、作曲家協議会版(自筆譜)と全音でポケットスコア版(印刷譜)がすでにあるのでは??
時間がなくて詳しくは伺えなかったのですが、サントリーホールの再演もマエストロが修正したスコアを大野和士氏が使ったのではとのこと。さて、全音のポケットスコアは間違いがいっぱいあるんでしょうか?
この謎もどこかで解明したい、、、

○余談(その3)

さて(何回めの「さて」だか)、今回のエルサレム交響楽団の全国ツアーは西本智実氏の指揮でマーラーの5番ってのが売りになっているわけですが、一番高いチケットは大都市と地方で異なりますが9千円から1万2千円です。
そして、昨日の超マニアックで、やたら大変なだけなんじゃないのってプログラムで、そんなプログラムでお客さん呼べるのってので、指揮者は知る人ぞ知るな井上喜惟氏、ピアノは日本では無名の安達朋博氏でSS席が1万5千円!
なんと、もうメディアで宣伝しまくりの西本氏よりも高かったのです。どうしてなのでしょう?どういう大人の事情がそこにあるのでしょうか??
西本氏はあれほどメディアには出てても、やっぱり指揮者としての評価はね、、、ってことでしょうか?
思ったよりもギャラは安いのでしょうか?
まぁ、学習院大学での演奏会は相当招待券を出したりしてたようですから、チケット代金は高くしないと収益が成り立たなかったのかもしれませんが。
いずれにせよ、ちょっと不思議なことでした。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?